じじぃの「人の生きざま_682_金・正恩(北朝鮮・労働党委員長)」

北朝鮮の歴史3=金正恩キム・ジョンウン 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=K3impNjWPTo
金正恩

プライムニュース 「核実験&ミサイル3発 凶暴北朝鮮次の狙いは 前防衛相に聞く対応策」 2016年9月12日 BSフジ
【キャスター】秋元優里、反町理 【ゲスト】中谷元自由民主党衆議院議員 前防衛相)、宮家邦彦(キヤノングローバル戦略研究所研究主幹)、平井久志(ジャーナリスト)、岡部いさく(軍事評論家)
G20開催中の“弾道ミサイル3連射”に続き、今年2度目となる “核実験”を断行した北朝鮮
国際社会からの非難を歯牙にも掛けず、金正恩体制は、日本の排他的経済水域EEZ)に、通告もなくミサイルを落下させ、無謀なスピード感で核開発に猛進している。
その真の狙いとは? 核&ミサイル開発の現状を読み解き、日本と国際社会が速やかに打つべき対応策を考える。
平井久志、「北朝鮮は1発でも核兵器を使ったら終わりだ。彼らが使う時は、自分たちが滅亡すると思ったときに使うことしかありえないと思う。優秀な軍事システムを作ってもそこには限界がある」
宮家邦彦、「北朝鮮の頭には、リビアイラクがある。核を持っていないためにやられた。彼らは核を持っているからアメリカが攻めてこないと信じている」
前編:http://www.bsfuji.tv/primenews/movie/index.html?d160912_0
後編:http://www.bsfuji.tv/primenews/movie/index.html?d160912_1
北朝鮮が核実験=5回目、「弾頭爆発に成功」−過去最大、10キロトン 2016/09/09 時事ドットコム
核実験により北朝鮮の核爆弾の小型化が一層進めば、弾頭に核を搭載した「核ミサイル」の脅威が現実化しかねない。北朝鮮には、米次期政権をにらみ、「核保有国」の地位を既成事実化させるとともに、9日の建国68周年に合わせ、国威発揚を図る狙いもあるとみられる。
北朝鮮による度重なる弾道ミサイル発射で悪化している朝鮮半島情勢は、一段と緊迫した局面を迎えた。
http://www.jiji.com/jc/article?k=2016090900197&g=prk
金正恩氏は32歳 米政府の制裁リストに明記 2016年9月9日 聯合ニュース
米政府が6日(現地時間)発表した制裁対象者のリストに北朝鮮金正恩キム・ジョンウン朝鮮労働党委員長の生年月日が明記され注目を集めている。
聯合ニュースが7日に確認した結果、米財務省外国資産管理室(OFAC)は北朝鮮で人権侵害に関わった人物を新たに加えた制裁対象リストで、金委員長の生年月日を1984年1月8日と記載した。金委員長の生まれた年をめぐっては、82、83、84年で見方が分かれていた。
http://japanese.yonhapnews.co.kr/headline/2016/07/07/0200000000AJP20160707002100882.HTML
『この社会で戦う君に「知の世界地図」をあげよう』 池上彰/著 文藝春秋 2012年発行
北朝鮮 ”金王朝”独裁3代目はどこへいく (一部抜粋しています)
ブータンは、2008年までは王朝でした。国王が絶対権力を握っていたのです。しかし、千代の国王つまり第4代国王は、王制廃止に踏み切り、政治権力を議会選挙で選ばれた議員や首相たちに譲りました。
これにはブータン国民が驚き、「王様、そのまま政治を続けてください」と嘆願しました。しかし、先代の国王は「王政だと、とんでもない国王が出現したときには国民にとって不幸な事態になる。おかしな為政者が出現したとき、これを取り換えることができるのが民主主義だ」と国民を説得したのです。
2007年の総選挙実地の際には、国民がそれまで選挙をしたことがなかったので、大々的なリハーサルをしたほどです。この結果、国王は政治権力を持たず、国民統合の象徴となりました。この路線を定めた先代国王は、2006年にさっさと退位し、いまの第5代国王が就任したのです。
なぜこの話をしたのかといえば、事実上の「金王朝」になってしまった北朝鮮を考える上でブータンは示唆的だからです。世襲ではだめだ、たとえ効率が悪くても、長期的には民主主義体制が1番だということを、ブータンは教えてくれるからです。
2011年暮れ、金正日総書記の突然の死で、息子の金正恩が4月に朝鮮労働党第1書記に就任しました。父親の称号の「総書記」に代わって、肩書は「第1書記」。「総書記」という称号を、野球でいえば”永久欠番”にしたようなものです。
北朝鮮は初代の金日成、息子の金正日、その息子の金正恩と続いて世襲するという、まるで王国のような様相です。これを「金王朝」と呼ぶ人もいます。
世襲のもとで、北朝鮮は食糧難に苦しんできました。1995年からの3年間には空前の飢餓が襲い、95年に50万人、96年に100万人が餓死し、97年までに計300万人餓死したと伝えられています。
北朝鮮の建国後、トップに立った金日成主席(建国当時は首相)は神格化され、彼の指導は絶対のものとされました。金日成主席は全国各地の農村を視察。細かい現地指導を繰り広げました。これが食料不足を招いたのです。中国の毛沢東が展開した「大躍進政策」を模倣したものでした。
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金正恩第1書記がトップに立ってから、北朝鮮は変化を始めました。軍の幹部が失脚し、「先軍政治」を見直し、労働党が軍を指導するという本来の形に戻そうという動きが見られます。
また、金正日総書記は、いつもひとりで軍の施設を視察している映像が公開されてきましたが、金正恩第1書記は、畝に妻と一緒に行動し、遊園地や幼稚園など庶民の生活を視察している様子が国内で報道されています。
経済に関しても、市場経済を重視した改革をする動きが伝わっています。中国のような改革・開放政策を導入するつもりなのか。北朝鮮が、今後どうかわろうとしているのかに世界の注目が集まります。