じじぃの「人の生きざま_680_マイケル・ガザニガ(認知神経科学・心理学)」


左脳、右脳

〈わたし〉はどこにあるのか ガザニガ脳科学講義
●マイケル・S・ガザニガ/著、藤井留美/訳
認知神経科学の父ガザニガが2009年に行った「ギフォード講義」の内容をまとめる。これまでの脳科学の歩みを振り返り、自由意志と決定論、社会性と責任、倫理と法など、自身が直面してきた難題の現在と今後の展望を総括。
略歴
〈マイケル・S・ガザニガ〉1939年生まれ。カリフォルニア大学サンタバーバラ校教授(心理学)。同大学のSAGE精神研究センター所長。著書に「人間らしさとはなにか?」など。
http://honto.jp/netstore/pd-book_26322569.html
NHKドキュメンタリー 時空を超えて「運命か?自由意志か?」 2016年9月9日 NHK Eテレ
【語り】モーガン・フリーマン
人間は、自由な意志を持って生きているのか?それとも定められた運命に従って生きているのか?運命にとらわれているとしたら、どのように人間は生きるべきなのだろうか?
私達は、自分が「私」とか「自己」とか呼ぶ「精神」が、自分の脳内にあるように感じていますが、それは、大いなる錯覚であるかもしれない、と、ガザニガは言います。
脳は、他の脳と、関係する。相互作用する脳と脳の間の空間に、精神と脳の関係を解き明かす答えがある、とガザニガは言います。
http://www4.nhk.or.jp/P3452/
『フューチャー・オブ・マインド 心の未来を科学する』 ミチオ・カク/著、 斉藤隆央/訳 NHK出版 2015年発行
「私」はどこにあるのか? より
前の章で、分離脳疾患の困った状況について語った。彼らは時として、自分の手なのにまさしくそれ自体が心を持つような「見知らぬ手」と格闘する。どうやら意識には、同じ脳のなかに棲むふたつの中枢があるようだ。ならば、これらがどうやって、脳のなかに一個のまとまった「自己」があるという感覚を生み出すのだろう?
私は、答えを持っているかもしれないひとりの人物に尋ねた。数十年かけて分離脳患者の不可解な行動を研究している、マイケル・ガザニガ博士だ。彼は、分離脳患者の左脳が、同じ頭のなかに異なる意識の中枢がふたつあるかのように思える事態に直面したとき、どんなにばかげていようと奇妙な説明をこしられることに気づいた。そこでこんな説明私にしてくれた。明らかな矛盾を前にしたき、左脳は不都合な事実を説明する答えを「作話」するのだと。ガザニガは、これによって、自分がひとつにまとまったものなのだという偽りの感覚がもたらされると考えており、左脳を「解釈装置」と呼んでいる。これが、意識の矛盾やギャップを取り繕うアイデアをつねに考え出しているというのである。
たとえばある実験で、ガザニガは「赤」という単語を患者の左脳だけに示し、「バナナ」という単語を右脳だけに示した(したがって、支配者たる左脳はバナナのことは知らない)。続いて患者に左手(右脳が司っている)でペンをもたせ、絵を描かせた。当然だが、彼はバナナの絵を描いた。改めて強調するが、右脳にこれができたのは、右脳がバナナを認識したからだが、左脳には、右脳にバナナを示したことなど知るよしがなかった。
それから患者に、なぜバナナを描いたのかと質問した。発話をコントロールするのは左脳だけで、左脳はバナナのことは知らないことを考えれば、患者は「わかりません」と答えるはずだった。ところが患者は、「左手で一番描きやすかったからですよ。線を下ろすのが簡単なので」と答えた。ガザニガは、患者自身がなぜ左手でバナナを描いたのかわからなくても、左脳がこの不都合な事実に何か言い訳をみつけようとしているのだと気づいた。
ガザニガはこう結論している。「左半球こそが、混沌のなかに秩序を見出す人間の傾向にかかわり、すべてをひとつのストーリーにまとめ、ひとつの文脈に収めている。それは、何の関連性もない事実にでくわしても、世界の構造の仮説を立てるべく導かれているように見える」
こうしてわれわれのひとつの「自己」という感覚が生まれる。意識は、競い合い、しばしば矛盾する性向の継ぎ接ぎでできているが、左脳は、われわれにひとつの「私」という感覚を与えるために、矛盾を無視して明らかなギャップを取り繕う。つまり左脳は、いつでも言い訳をしていて、そのなかには、世界を説明するためにとんちんかんでおかしなものもあるのだ。左脳は絶えず「なぜ?」を問い、その問いに答えがなくても言い訳をこしらえている。