じじぃの「失われた260年・リスボン巨大地震!地震と人間の歴史」

歴史秘話ヒストリア : リスボン地震 1755年11月1日 NHK 動画 Dailymotion
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The City of Lisbon Before, During and After the Earthquake of 1755 AllPosters.com
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歴史秘話ヒストリア 「あの日から世界が変わった 〜リスボン巨大地震の衝撃〜」 2015年1月14日 NHK
【案内役】渡邊あゆみ
ヨーロッパの西端ポルトガルの首都リスボン大航海時代に栄華を極めた港町です。この町を襲った「リスボン地震」。揺れ、火災、津波が重なり、4万人を超える犠牲者を出しました。
https://www.nhk.or.jp/historia/backnumber/227.html
『図説 地震と人間の歴史』 アンドルー・ロビンソン/著、鎌田浩毅、柴田譲治/訳 原書房 2013年発行
神の怒り――1755年のリスボン (一部抜粋しています)
18世紀中頃に地震リスボンが廃墟と化したことは、同時代のヨーロッパの生活と思想に影響を与えている。それは20世紀中頃、原子爆弾の投下で壊滅状態となった広島によってもたらされた衝撃に匹敵するものだった。19世紀になるとこのリスボン地震は、ヴェスヴィオ火山の噴火とならぶ自然災害の少将的イメージとなる。古代ローマの都市ポンペイは紀元後79年のヴェスヴィオ火山の噴火で地中に埋められたが、その廃墟が再発見された1749年に、偶然ではあるが地震が発生している。
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しかし地震発生を予期できるほどの変化を感じ取った者はいなかった。リスボンは1531年にも激しい揺れに襲われたことがあり、このときには約3万人が犠牲になっている。人々の記憶によれば被害はずっと少なかったものの1724年にも激しい地震があった。そして1750年にも前述の地震があった(ジョアン5世が死亡した日)。しかしこの1750年の地震は非常に小さかったため、人々の地震への関心を呼び覚ますことにはならず、同年のロンドン市民が見せた地震に対する反応とはまったく異なっていた。
1755年の強烈な地震は11月1日午前9時半頃に始まった。揺れは約10分間続いた。1923年に東京で起きた関東大震災の場合で4〜5分、1994年カリフォルニア州ノースリッジの地震が8秒、1884年コルチェスターのイギリス大地震が約5秒だった。リスボン地震では1分弱の間隔をおいて3度揺れが襲い、そのうち第2の揺れが最も激しく、後に、地震学者はその破壊の程度からマグニチュード8.5から8.8と推定している。この大都市がわずか15分足らずで「廃墟と化した」と英国領事は記している。小さい揺れがその日一日中昼も夜も続き15分と息をついていられず、ちょうど1週間後の11月8日本震発生以降最大の余震があって揺れの峠は越えた。ところが1761年にさらなる大きな地震が起き、リスボンの揺れは少なくとも3分、おそらくは5分間ほど続き、1755年に破壊されていたリスボンは完全に崩壊した。
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地震と火災、津波による犠牲者の総数は不明だ。最も信頼できる推定によれば、リスボンの死者が3万から4万人、さらに1万人がポルトガルとモロッコ、スペインで犠牲になった。(地震から100年後の『イラストレイテッド・ロンドン・ニュース』でリスボンの死者は3万人以上と伝えたことは先述の通り)。リスボンの病院はすべて地震で崩壊するか火災で焼け落ち、刑務所とリスボンの記録局も破壊された。リスボンの主要な宗教施設のうち4分の3が消失あるいは大きく崩壊した。つまり40教区のうちの少なくとも30教区を失ったことになる。この震災による経済的損失については、その年の秋にブラジルから到着した船団が積んでいた貨物の価値の20倍の規模で、1666年の大火でロンドンが被った損失の3倍にも相当した。
リスボン地震では正確な震央もはっきりしていない。津波が発生していることから大西洋上であることは間違いない。1969年にこの海域で地震活動の空間パターンがリスボン地震と似ているマグニチュード7.3の地震があり(リスボン地震ほど激しくはなかった)、このときに生じた津波などから判断すると、震央はおそらくサン・ビセンテ岬の西南西200kmだったのだろう。だとすればその震央は、アゾレス諸島からジブラルタル海峡を通り地中海へと走る断層線近くのアゾレス・ジブラルタル断層帯にあり、アフリカプレートとユーラシアプレートが接する地域にあたる。

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じじぃの日記。
8月24日、イタリア中部にあるペルージャで、マグニチュード6.2の大地震が発生した。
この地域では、ユーラシアプレートとアフリカプレートが衝突している。
1755年に起きたポルトガルリスボン地震ユーラシアプレートとアフリカプレートが衝突して起きたものらしい。
日本は、ユーラシアプレートと太平洋プレート、さらにフィリピンプレートが重なった場所に位置している。
太平洋プレートは、ユーラシアプレートに潜り込んでいるので、アメリカ大陸の太平洋側では日本の方に引っ張られている。それが、サンフランシスコ地震らしい。
リスボン地震では1分弱の間隔をおいて3度揺れが襲い、そのうち第2の揺れが最も激しく、後に、地震学者はその破壊の程度からマグニチュード8.5から8.8と推定している」
1755年のリスボン地震の2度の強い揺れが、熊本地震を連想させる。
リスボン地震を境に、世界の覇権がスペイン・ポルトガルからイギリスに移っていった。
そういえば、関東大震災(1923年)には100年前後の周期説がある。
昨日、カインズ・ホームに寄って「防災グッズ(防災避難セット)」を買ってきた。