じじぃの「巨大地震(MEGAQUAKE)・南海トラフ・富士山噴火の可能性は?歴史秘話ヒストリア」

南海トラフ巨大地震 犠牲者想定 NHK-TV NEWSより 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=72xXF59LYhg
NHKBS1スペシャル 「3.11 巨大地震 〜明らかになる地殻変動〜」 動画
http://www.at-douga.com/?p=7315
警戒 Mt. Fuji loud explosion. 南海トラフ巨大地震から富士山大爆発! 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=pPaL9_LIwtU
The history of the eruption of Mt. Fuji. 富士山の噴火史 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=coZ0LpXSZqM
御厨の父 伊奈半左衛門忠順公之像 画像
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/c1/ad80fdec30a57aeb72355a04dd45e774.jpg
怒る富士・・・神様になった関東郡代・・・伊奈忠順 比企の丘から
http://blog.goo.ne.jp/musshu-yuu/e/d11eb7503c631a1c0d0a07180cc3b4ed
南海トラフ地震の被害想定 2013.3.19 朝日新聞デジタル
南海トラフ地震、被害220兆円想定 3.11の10倍
南海トラフ沿いで起きるとされる巨大地震をめぐり、国の有識者会議が被害想定を明らかにしました。地震が発生する恐れは「1千年に1度、あるいはもっと低い頻度」(有識者会議)とされますが、最悪のケースでは甚大な被害が予想されます。耐震化や防火対策で被害を確実に減らすことが大切です。
http://www.asahi.com/special/nankai_trough/
NHKスペシャル 「MEGAQUAKE3 巨大地震」 (追加) 2013年9月1日放送
●第4回 南海トラフ 見え始めた“予兆”
M9の巨大地震が発生、日本に甚大な被害をもたらすと恐れられている、南海トラフ。ひずみをためながら沈黙を続ける南海トラフが、実は、不気味な“予兆”を発していることが、最新の観測技術で明らかになってきた。地下深くのプレート境界で、岩盤が非常にゆっくりと動く、「スロー・クエイク」と呼ばれる現象だ。四国東部では、ここ数年、急増しているという分析もある。この謎の現象は、巨大地震とどのような関係があるのか。科学者たちは急ピッチで解明を進めている。そして、東日本大震災の1か月以上前から、巨大地震震源のすぐ東側で、「スロー・クエイク」が発生していたことが明らかになった。巨大地震の引き金となっただけでなく、津波を巨大化させる要因にもなったと考えられ始めている。南海トラフでも、同じメカニズムで、巨大津波が引き起こされる恐れが懸念されるのだ。
メガクエイクIII−第4回は、最新の科学によって見え始めた南海トラフの“予兆”を手がかりに、巨大地震の謎を解明しようと挑戦を続ける科学者たちを追う。
http://www.nhk.or.jp/special/megaquake3/schedule.html
NHKスペシャル 「MEGAQUAKE 巨大地震 2013年3月28日放送

第1回 2012年4月1日(日)放送 いま日本の地下で何が起きているのか 〜M9.0の衝撃〜

第2回 2012年4月8日(日)放送 津波はどこまで巨大化するのか 〜地球の記憶は警告する〜

第3回 2012年6月9日(土)放送 “大変動期”最悪のシナリオに備えろ

●巨大地震と火山噴火の関連性
・M9.0 1952年 カムチャッカ半島(ロシア) ⇒ 3年後にカルビンスキなど2火山、ベイズアミ休火山が大噴火した。
・M9.5 1960年 チリ ⇒ 2日後にコルドン・カウジュ火山、7ヵ月後にカルブコ火山が大噴火した。
・M9.2 1964年 アラスカ湾 ⇒ 2ヵ月後にトライデンナ火山、2年後にリダウト火山が大噴火した。
・M9.1 2004年 スマトラ沖(インドネシア) ⇒ 4ヵ月後にはタラン火山、3年後にはケルート火山が大噴火した。
・M9.0 2011年 東北地方太平洋沖(3.11) ⇒ ???
(テレビではM9.0以上の地震の後には、必ず火山大爆発があっと言っていた)
http://www.nhk.or.jp/special/megaquake/
あさイチ 「地震に火山の大噴火 備えは大丈夫?」 2012年12月10日 NHK
【キャスター】井ノ原快彦、有働由美子 【ゲスト】水道橋博士(タレント)、室井佑月(作家) 【専門家ゲスト】鎌田浩毅(京都大学教授/富士山)
●もし富士山が噴火すればどうなるか?
東日本大震災以降、多くの火山学者たちが富士山の噴火を懸念しています。
富士山直下のマグマに大きな圧力がかかった可能性が高いことが明らかになったからです。
もし、噴火すればどんな被害が想定されるか?国や研究者の最新データを元に、最悪のシナリオをお伝えしました。900度を超える溶岩の流出や首都圏にまで到達する可能性もある火山灰などによる大きな被害が想定されています。
http://www.nhk.or.jp/asaichi/2012/12/10/01.html
南海トラフ ウィキペディアWikipedia)より
南海トラフは、四国の南の海底にある水深4,000m級の深い溝(トラフ)のこと。非常に活発で大規模な地震発生帯である。南海トラフ北端部の駿河湾内に位置する右図黄線の部分は駿河トラフとも呼称される。
【概要】
プレートテクトニクスでは、北西に進んできたフィリピン海プレートが、ユーラシアプレートの一部である西南日本と衝突してその下に沈み込んでいる沈み込み帯に相当する。駿河湾富士川河口付近を基点として、御前崎沖まで南下しその後南西に向きを変え潮岬沖、室戸岬沖を通って九州沖に達する。その先は琉球海溝(南西諸島・沖縄の東を南北に走る)に繋がる。
東海地震 ウィキペディアWikipedia)より
東海地震は、駿河湾内に位置する駿河トラフで周期的に発生する海溝型地震マグニチュード8級と想定されている。最新の地震1854年安政元年)の安政東海地震である。
【想定】
2003年に東海地震対策専門調査会が報告した被害想定によれば、冬の午前5時にM8 最大震度7東海地震が発生した場合、死者は最大1万人、冬の午後6時に発生した場合火災による被害は25万棟に及ぶと推定されている。
M8規模となると考えられているため、静岡県・愛知県・山梨県岐阜県三重県などで最大震度6強以上となることが予想され、揺れによる被害は比較的広範囲に及ぶと考えられている。また、揺れによる建物の倒壊などはもちろんのこと、埋立地液状化現象、堤防の損傷や液状化による低地への影響、東海道新幹線東名高速道路などの基幹交通網への影響などが、起こる可能性のある被害と考えられている。 そのためJR東海では東海道新幹線のバイパス線となるリニア中央新幹線の2025年開業実現に向けて調査・調整を行っている。
一方、地震による長周期地震動が、関東や関西といったやや離れた地域の高層建築物内において大きな被害をもたらす可能性が指摘されている。
東南海地震
東南海地震は、紀伊半島沖から遠州灘にかけての海域(南海トラフの東側)で周期的に発生する海溝型地震。規模は毎回 M8.0 前後に達する巨大地震で、約100年から150年周期で発生している。
【昭和以前の歴史】
・1605年(慶長9年) 慶長地震(東海・南海・東南海連動型地震) M7.9 - 津波地震。南海地震も連動したとされ、房総沖の地震も同時発生したとする説もあるが、詳細は不明。
・1707年(宝永4年) 宝永地震(東海・南海・東南海連動型地震) M8.6 - 東海地震東南海地震・南海地震が連動。
1854年嘉永7年) 安政東海地震 M8.4 - 東南海地震東海地震が連動。32時間後に安政南海地震も発生。

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『知りたがり!』 フジテレビ 2011年5月11日 より
【司会】伊藤利尋渡辺和洋 【ゲスト】堀ちえみ北斗晶田中雅美 【コメンテーター】東大地震研究所 郡司嘉宣
浜岡停止のワケに地震発生確率 … どう算出? 数字の意味は
伊藤さん、「浜岡原発停止要請の根拠というのは、M8程度の東海地震が30年以内に87%、きわめて高い確率で起きるからなんです。今日は地震発生確率ってどうやって出ているかです」
浜岡原子力発電所の運転停止が国民生活に大きな影響を及ぼしている。昨日、閣僚からは電力不足を懸念して国民に説明を求める声が相次いだ。そもそもこの浜岡原発停止の根拠となったのが管首相の示したある"数字"だった。
管首相、「これから30年以内にM8程度の東海地震が発生する可能性は87%と極めて切迫しております」
では87%という確率はどうやって出しているのか。そしてどこまで信用できるものなのか。
地震予知の実態と課題に迫る !!
日本列島の地図上に原子力発電所の場所と地震の予測値が書かれている大きなパネルが出てきた。
伊藤さん、「これ、1月に出ているんですが『宮城県沖地震 M7.5 前後99%』。マグニチュードは実際にはM9.0だったわけですが、実際に起きた。もう1つ高い数値があるところというとここなんです。『東海地震 M8.0 前後87%』。これを根拠に静岡にある浜岡原発の停止要請がなされたわけです」
東大地震研究所の郡司嘉宣先生が伊藤さんの解説のサポートを行う。
伊藤さん、「まず地震のメカニズムから。海溝型の地震というのは海洋プレートと大陸プレートがあって、海洋プレートが沈み込んでいくと大陸プレートが耐えられなくなってポーンと。東海地方には東海地震東南海地震に今言った沈み込みがある。東海地震30年以内に87%の計算というのは、ものすごく複雑だそうですね」
郡司さん、「まあ、そのとおりです」
伊藤さん、「どうやって割り出しているのか。1つには周期です。
理由① 周期
                             東南海域 駿河湾

                                                                                                                • -

1605年         慶長地震(M7.9)       ○    ○
1707年 (↓102年) 宝永地震(M8.6)       ○    ○
1854年 (↓147年) 安政東海地震(M8.4)    ○    ○
1944年 (↓90年)  東南海地震(M7.9)       ○    ×
伊藤さん、「慶長地震から宝永地震まで102年、宝永地震から安政東海地震まで147年と、こういった周期をみると100〜150年で大地震が起きている。1605年と1707年と1854年は東南海域と駿河湾内は一体として起きていた。ところが1944年は揺れたのは東南海域だけで駿河湾内は揺れなかった」
郡司さん、「1944年の東南海地震では駿河湾にまで及んでいない」
伊藤さん、「東海地震駿河湾内だけみると、安政東海地震以後揺れていない。すなわちここは157年の空白があるということで、地震の確率が高くなる」
郡司さん、「海洋プレートの沈み込みに合わせて沈下している」
伊藤さん、「つまり、これはエネルギーが蓄積している。だから確率も上がる」
北斗さん、「25㎝というのはかなりの沈下ですか?」
郡司さん、「30年間に25㎝。1年に大体1㎝沈下しているということですからね」
伊藤さん、「耐えられなくなったらドンと跳ね上がる。そして大きな地震が起きる。まさにそれを示している沈み込みです。この2つから東海地震は87%。東南海地震では60〜70%の確率で30年以内に起きるだろうと予測が立てられているわけです」
http://www.fujitv.co.jp/b_hp/shiritagari/index.html
歴史秘話ヒストリア 「江戸の復興代官 奇跡の4年 〜巨大地震・富士山噴火からの再生〜」 2013年3月6日 NHK
【キャスター】渡邊あゆみ
●エピソード1 エリート官僚と未曾有の大災害
 伊奈半左衛門忠順(いなはんざえもんただのぶ)は、江戸時代に関八州の幕府領を治めた関東郡代で治水や干拓工事のエキスパートでした。宝永4(1707)年、巨大地震が日本列島を襲い、その49日後に富士山が大噴火します。この大災害の復興担当の代官に任命されたのが伊奈半左衛門でした。
●エピソード2 復興を妨げる驚きの真実
 特に噴火の被害が大きかった富士山麓。この地域の復興を重点的に行うため、半左衛門は小田原に前線指揮所を設け任務に取りかかります。しかし、幕府の資金流用など周囲の身勝手な行動が、復興は難航。餓死者が続出するなど一刻の猶予もない被災地の窮状とそれに直面した半左衛門の苦悩。
●エピソード3 窮地の復興代官 起死回生の一手
 困窮を極める被災農民たちに、半左衛門は考え付く限りの支援策を打ち出します。しかし「完全な復興」を遂げるには、膨大な火山礫に埋まった田畑の再生が必須でした。そのための資金をどうするか?どうすれば火山礫を除去できるのか?数々の難題を解決すべく、半左衛門は前代未聞の行動に出ます。
http://www.nhk.or.jp/historia/backnumber/158.html
じじぃの日記。
3/6、NHK歴史秘話ヒストリア』で「江戸の復興代官 奇跡の4年 〜巨大地震・富士山噴火からの再生〜」を観た。
こんなことを言っていた。
山頂に雪が積もっている富士山の映像が出てきた。
富士山は何度も噴火しています。最後の噴火は江戸時代、宝永4(1707)年のこと。同じ時期に巨大地震が発生し、当時の日本人を恐怖に陥れました。
かってない大災害。その復興に力を尽くしたのがこちら、伊奈半左衛門忠順です。
     ・
天地返し・・・表面の土と下にある栄養分の高い土を入れ替える土壌改良法
現代の農作業でも行われています。この方法を利用し、火山礫(れき)を農地から撤去しようというのです。
農地の表面に富士山噴火による火山礫が積もっていて、農民が掘り返す画像が出てきた。
こちらは実際に天地返しを行った農地の断面。黒い火山礫が見事に埋められていることが分ります。この方法が確立した頃から、ようやく被災地の復興が軌道に乗り始めました。
巨大地震と富士山の噴火。相次ぐ自然災害に打ちのめされた宝永4年。復興代官 半左衛門は様々な苦難に阻まれながらも、復興作業を行ったのでした。
ようやく御厨(みくりや)の人々を救う道をつけた半左衛門でしたが、復興代官就任後から4年後、志半ばにして急死します。その亡骸はこちら、埼玉県・川口市にある源長寺に葬られました。
半左衛門がなぜ亡くなったのか一切の記録がなく、真相は不明です。しかし、半左衛門が復興に力を尽くした御厨地方にはある言い伝えが残っています。
「半左衛門様は飢えた人々のために独断で幕府の米を配り、その責を負って切腹なされた」
じじぃの感想
「半左衛門様は飢えた人々のために独断で幕府の米を配り、その責を負って切腹なされた」
東日本大震災(2011年3月11日)で、被災者を救おうとして、犠牲になった消防団員や町役場の人々が思い出された。