じじぃの「カオス・地球_132_南海トラフ地震の真実・おわりに」

リアルな恐怖”南海トラフ起きたら・・・CG映像公開(16/09/28)

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=1XlPXiOnVBs&list=PLtG8oBkCgHlQep5HkFr6_it2ZBPj28_2s&index=1

南海トラフ地震の新しい想定震源域 (2012年)


南海トラフ地震臨時情報が発表されたら!

防災情報のページ - 内閣府
●時間差で巨大地震が発生するかも
南海トラフ沿いでは、1854年安政東海地震安政南海地震が約32時間の間隔を置いて発生した事例や、1944年の昭和東南海地震・1946年の昭和南地震が約2年間の間隔を置いて発生した事例など、時間差で巨大地震が発生した事例が知られています。
南海トラフ沿いの8事例の大規模地震のうち、少なくとも5事例は東側・西側の両領域がほぼ同時若しくは時間差をもって破壊しています。

今後も同様の事象が発生する可能性があるため、南海トラフ沿いで一度地震が発生した場合には注意が必要です。
https://www.bousai.go.jp/jishin/nankai/rinji/index2.html

南海トラフ地震の真実』

小沢慧一/監修 東京新聞 2023年発行

はじめに より

静岡県から九州沖にかけてマグニチュード(M)8~9級の巨大地震が30年以内に「70~80%」の確率で発生するとされている南海トラフ地震。この数字を出すにあたり、政府や地震学者が別の地域では使われていない特別な計算式を使い、全国の地震と同じ基準で算出すると20%程度だった確率を「水増し」したことを、ほとんどの人は知らないだろう。なぜなら、そうした事実は私が取材するまで、政府や地震学者によって「隠す」かのように扱われていたからだ。

この確率の根拠となっているのは、元をたどれば江戸時代に測量された高知県室戸市室津港1ヵ所の水深のデータだ。しかもこの数値は、港のどこを、いつ、どうやって測ったかが不明なデータで、さらにその港は測量前後に何度も掘削工事を重ね、確率計算の前提となる自然の地殻変動をきちんと反映していない。このことを知ったらこの数字を信用できるだろうか。

第7章 地震学と社会の正しいあり方は より

「やりすぎ」の南海トラフ地震被害想定

東日本大震災後、さかんに想定外が叫ばれる中改訂されたのが2013年評価だ。
報告書では「はじめに」で、「不確実性が大きくても防災に有用な情報は、誤差等を検討したうえで、評価に活用する」との方針を定めている。当時は政治家や地震学者たちの間に「想定外恐怖症」といった空気が流れていたこともあるだろう。

少しわかりにくいが、長期評価は文部省管轄の地震本部が公表しているのに対し、地震が発生した場合の被害想定は内閣府の中央防災会議が発表している。中央防災会議は2012年に、南海トラフ地震が起きると、最悪の場合死者・行方不明者が32万3000人に及ぶと推計を出し、13年には経済被害は220兆円を超えると発表した。

東日本大震災が発生する前の2003年に中央防災会議が出した想定では、南海トラフ沿いでM8.7のの東海・東南海・南海の3連動地震が起きた場合、最大死者数を2万5000人と推計していた。2012年の想定では死者数が13倍もはね上がったことになる。
2003年当時から、地震学が大きく進歩したわけではない。2012年の想定では「想定外をなくす」ことが至上命令となり、想定を出すための前提を「歴史上最大」だったものを「考えられる最大」に変更。震源域を2倍に拡大し、季節や時間帯などについても最悪の条件を重ね合わせた。

つまりパラメーターを変えたということだ。2012年の想定ではそれを最大限大きくした。そのため、地震学者たちからは「あまりにもやりすぎだ」との批判が多く出た。

おわりに より

本書は関東大震災から100年を迎える2023年9月1日前の刊行となった。よく周囲から「首都直下地震は30年以内に70%の確率で発生するといわれているけど、この確率の出し方に問題はないの?」と聞かれる。実は専門家に聞くと、「南海トラフよりも『えこひいき』した確率の出し方をしている」と言う人も多い。

「元禄地震」と「関東大震災」は、関東を襲ったM8クラスの巨大地震だ。2つの地震は約220年の間が空いているが、関東ではこの220年の間もM7クラスの地震が8回発生した。単純計算するとM7クラスの地震は27.5年に1度起きていることになり、これを30年確率に当てはめると70%という確率が出る。地震本部は「相模トラフのプレートの沈み込みに伴うM7程度の地震」の確率としているが、内閣府はこれを首都直下地震の確率として紹介している。

えこひいきのゆえんは、8回の地震の発生した領域の広さだ。首都直下というと23区内をイメージする人が多いのではないか。8回の地震の中には、1855年安政江戸地震のように東京の千代田区墨田区江東区などを強い揺れが襲ったものもあるが、他にも茨城県南部や神奈川県の小田原、三浦半島付近で起きた地震も含まれる。首都直下というよりは「関東直下」の方がイメージに近いだろう。大都市は災害に弱く、首都が大地震に見舞われたら国が破綻しかねない被害になることは目に見えている。備えるのは当然だ。だが「30年間で70%」という伝え方は、地震の切迫性をアピールするため、わざわざ近隣の地震をかき集めて高い数値を出すような「せこいまね」をしているようにもみえる。

取材ではさまざまな立場の人から「確率を出さないと地震学の存在意義がない」「低い確率を出すと防災予算が下りない」などとの声を聞いた。確率は地震学や防災、政治の思惑が複雑に絡み合い、本質的な意味が見えにくい情報になっている。本当に必要な情報とは何か、立ち止まって考え直すべきだろう。

この問題を記事にする上で、乗り越えられないと思うような困難が幾度もあった。それがこうして1冊の本に仕上がったのは、奇跡とも思える出会いが連続したからだ。
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最も大切だったのは、橋本学東京電機大特任教授の存在だ。橋本氏は確率の検討当時から科学のあるべき姿を貫き通そうとした気骨の地震学者だ。鷺谷氏や橋本氏が当時海溝型分科会委員でなければ、「確率がえこひいきされている」とここまで問題にならなかったかもしれない。
また、室津港の水深データの問題を高レベルな科学的議論として指摘できたのは、ひとえに橋本氏の執念ともいえる調査・研究があってのことだ。共同研究のメンバーの加納靖之東大准教授の協力も欠かせなかった。

高知での出会いにも恵まれた。先祖から子孫へ約300年間、連綿と受け継がれた久保野文書。資料の保管が難しくなる昨今、久保野由紀子さんがいなければ文書は失われていたかもしれない。高知城歴史博物館で文書の整理を担当した学芸員水松啓太氏が、偶然にも地震学を専攻していたことも幸運だった。水松氏のさまざまな指摘は研究を大幅に進展させた。

室戸ジオパーク推進協議会の専門員小笠原翼さんにはヒントとなる資料を献身的に提供していただいた。小笠原さんから紹介された室戸の郷土史家の多田運さんからは、室戸ならではの習慣や歴史など多くの知見を示してもらった。