じじぃの「科学・芸術_29_アインシュタインの脳」

地球ドラマチック 人間はどこまで賢くなれるか? 動画 Dailymotion
http://www.dailymotion.com/video/x3g4pqb
アルベルト・アインシュタイン

地球ドラマチック 「人間はどこまで賢くなれるか?」 2015年11月28日 NHK Eテレ
【語り】渡辺徹 (2012年アメリカ)
天才の脳は凡人と違うのか?
現存するアインシュタインの脳を解析すると、空間をつかさどる部分が大きく、通常は3つしかない部分が4つある。
全米記憶力選手権の優勝者からは、記憶力を飛躍的に高める方法が披露され、リポーターは40の単語を10分で覚えることに成功。さらに、プレッシャーを軽減するための秘けつも公開!さまざまな角度から脳の不思議を解き明かし、実生活に活用する手立てを探る。
http://www.nhk.or.jp/docudocu/program/183/2340417/index.html
『フューチャー・オブ・マインド 心の未来を科学する』 ミチオ・カク/著、 斉藤隆央/訳 NHK出版 2015年発行
天才の脳と知能強化 (一部抜粋しています)
アインシュタイン」という言葉は、もはや特定の人物を指す固有名詞でなくなっている。今では単に「天才」を表す言葉になっているのだ。この名前が呼び起こすイメージ(だぶだぶのズボン、もじゃもじゃの白髪、だらしない風貌)も同じぐらい象徴性があり、すぐにそれとわかる。
アインシュタインの遺産は莫大なものだった。2011年にある物理学者のチームが、アインシュタインは間違っていて、粒子が高速の障壁を突破することがあるという可能性を提示したとき、物理学会に激し議論が巻き起こり、大衆紙にまで波及した。現代物理学の土台を形成する相対性理論が、間違っているかもしれないというその考えに、世界じゅうの物理学者は首を横に振った。案の定、結果を精査しなおすと、やはりアインシュタインは正しいことがわかった。アインシュタインに刃向かうのは、いつでも危険なのである。
「天才とは何か?」という疑問に対し、洞察を得るひとつの方法は、アインシュタインの脳を調べることだ。どうやら出来心だったようだが、アインシュタインの検死解剖をおこなったプリンストン大学病院の医師、トマス・ハーヴェイ博士は、遺族の知らぬ間に、彼らの希望も聞かずにこっそり脳を保存したらしい。
     ・
40年後、ハーヴェイは、アインシュタインの脳をタッパーに入れてビュイック・スカイラークにのせ、アメリカを横断した。アインシュタインの孫娘にあたるイヴリンへ返したいと思ったのである。ところがイヴリンは受け取るのを拒んだ。ハーヴェイが2007年に亡くなると、ハーヴェイが持っていた脳の一部や、切片を収めたプレパラートはすべて、遺族の手によってきちんと科学のために寄贈された。アインシュタインの脳はあまりにも数奇な運命をたどったので、それについてテレビのドキュメンタリー番組まで作られている。
アインシュタインの脳だけが後世のために残されているわけではないとも言っておきたい。彼より1世紀前、数学の大天才のひとりで、数学王の異名を持つカール・フリードリヒ・ガウスの脳も、ある医師の手により保存された。当時、脳の構造はほとんどわかっていなかったので、ガウスの脳の隆起や溝が著しく大きいこと以外、何も結論を引き出せなかった)
アインシュタインの脳は、ふつうの人の脳をはるかに超えたものだったのではないかと思うかもしれない。きっと大きくて、もしかしたらあちこちの部位が異常に大きかったのではないかと。実際には、その反対だったことがわかった(ふつうの人より大きくなく、やや小さかった)。全体として見れば、アインシュタインの脳はいたってふつうだ。神経学者も、アインシュタインの脳と知らなかったなら気にも留めなかっただろう。
     ・
じっさいアインシュタインは、若いころ数学で苦労していたと打ち明けている。学校で仲間の子たちにこう言ったことがあると。「君らがどれだけ数学が難しいと思っていても、僕ほどじゃない」 では、アインシュタインはどうしてアインシュタインになったのだろう。
第1に、アインシュタインはほとんどの時間、「思考実験」によって考えていた。実験物理学者でなく理論物理学者だった彼は、絶えず頭のなかで未来の高度なシミュレーションをおこなっていた。言い換えれば、彼の実験室は自分の頭だったのである。
第2に、彼はひとつの思考実験に長ければ10年以上もかけていたらしい。16歳から26歳までは、光について、そして光速を超えることは可能なのかという問題を集中的に考えていた。それが相対性理論へ導き、ついには星々の秘密を明かし、原子爆弾をわれわれに与えた。26歳から36歳までは、重力の理論に集中し、それがやがてブラックホールの概念と宇宙のビッグバン理論をもたらした。さらに36歳から生涯を閉じるまで、物理現象のすべてを統合する万物理論を見出そうとした。明らかに、10年以上もひとつの問題に専念できるというのは、頭のなかで実験を繰り返しシミュレートする粘り強さを示していた。
第3に、性格も大きく影響した。アインシュタインは自由奔放な人間だったので、物理学会に逆らうのはなんでもなかった。彼が現われるまで200年にわたり君臨してきたアイザック・ニュートンの理論に挑みかかる度胸や想像力を、すべての物理学者が持っていたわけではないのだ。
第4に、ちょうどいいときにアインシュタインは登場した。1905年、ニュートンの古い物理学の世界が、新しい物理学の誕生の兆しをはっきりとうかがわせる実験によって崩れだしていり、進むべき道を示す天才が待ち望まれていた。たとえば、ラジウムとう謎めいた物質は暗闇のなかでいつまでもそれだけで光りつづけ、まるでエネルギー保存則に反して無からエネルギーが生み出されているように思われた。つまり、アインシュタインは、この時代にぴったりの男だったのである。