じじぃの「なんとまあ汚い・科学のことばは数学か?ヤバンな科学」

エレガントな宇宙(超ひも理論)第1回アインシュタインの見果てぬ夢 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=479SrqufkDk
アインシュタイン

ブラウン運動 2014.9.18
理系の読者なら誰でも一度は聞いたことがあるブラウン運動だが、その奥深い意味についてはどの程度、知っているだろうか?ブラウン運動の研究には3人の科学者が登場する。ブラウン運動を発見したロバート・ブラウン、それを理論的に説明したアルバート・アインシュタイン、そして、その理論を実験的に証明したジャン・ペランだ。
http://shibayama.issp.u-tokyo.ac.jp/one_point/files/BrownMotion.html
『ヤバンな科学』 池内了/著 晶文社 2004年発行
科学のことば=数学 (一部抜粋しています)
自然科学の言語が数学であることは誰も異論のないことだろう。時に物理学の理論は微分方程式の形で書かれており、さらに群論や確率論、スペクトル解析や関数解析など、数多くの数学的手法が応用されている。数学抜きにして物理科学は語り得ないのだ。ユージン・ウィグナーは、「自然科学において数学が奇妙なくらい有効である」ことについて疑問を呈しているが、確かに応用性をいっさい考慮せずに作られた純粋数学でも、後に物理学の分野で大きな寄与をしたことが何度もある。なぜ、数学は自然科学に有効なのだろうか。そのことを考えてみるために、自然科学において数学をことばとして使うこのに効用から始めよう。
近代科学の創始者であるガリレオは、実験と観察を非常に重んじた人であった。しかし、直接の観察に基づく直観的結論は、誤った手がかりに導くことがあるから必ずしも信用がおけるものではない、ということもよく知っていた。重い物の方が軽い物より速く落ちるとか、物体は力を加えないと運動しない、というようなアリストテレス流の直感では間違うことに気づいていたからだ。そこで、彼がとった手法は、「自然界に生起するもろもろの現象の奥に存在するであろう法則を、観測事実を基礎にして追求する」というものであった。そして、「法則の中で最も基本的なものをいくつか数学の形で表現し、それを公理あるいは原理とし、そこからいろいろな定理を導く」という方針を貫徹した。
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物理学者にとって、実験と観察によって規律を与えられる想像力が、数学によってより幅広く展開することもある。自然を分析し法則として記述するにおいて、得られた事実を一般化し抽象化することが不可欠なのだが、それには数学の言語が最も適している。簡明な表現による抽象力が有効さを発揮するからだ。さらに、数学が物理学者の想像力を刺激することもあるのかもしれない。アインシュタインに言わせれば、物理学の理論は、「経験との合体によって支持される直観」であり、「人間の知性が自由に考え出したもの」である。この「直観」と「知性」をつなぐのが数学であり、それが想像力の源泉になるとも言える。
その創造の過程は、私たちの認識と同じ過程を経ており、すべての知的活動に共通していると言えるだろう。ある事象に対して、まず脳の中で直観としてイメージを抱き、しかる後に、ことばによって具体的に認識し表象するからだ。その場合、ことばが多様であり柔軟性に優れているほど、知的表現も豊かになる。物理学者の知的活動も同様であり、ことばとしての数学が想像力をかき立て創造へと誘うのである。逆に、数学の言語で自分の考えを後付けし、直観が正しく反映されているかどうかの点検を行うことも可能となる。私たちが、言葉を反芻してイメージと合っているかどうか確かめるのと同じである。
さらに、自然科学のことばとしての思いがけない数字の効用もある。美的観点である。天体物理学者のハーマン・ボンディがアインシュタインに対して、自分としては説得力があって妥当と思える説を説明したことがあった。そのときアインシュタインは、その説になんら反応せず、ただ「なんとまあ汚い」と言っただけだという。アインシュタインにとって、理論物理学で重要な結果を探るときの指導原理は「美しさ」であったのだ。

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どうでもいい、じじぃの日記。
図書館をうろうろしていたら、少し古い本だが、池内了著『ヤバンな科学』という本があった。
「そのときアインシュタインは、その説になんら反応せず、ただ『なんとまあ汚い』と言っただけだという」
この世界は、単純な数式からできている。
実は、生物も「ブラウン運動」という数式からできているのです。ほんとです。(^^;