じじぃの「人の死にざま_1582_トマス・ホッブズ(哲学者)」


森一郎評 『哲学原論/自然法および国家法の原理』トマス・ホッブズ著 【プロの読み手による 書評空間】 紀伊國屋書店
ホッブズとは何者か。『リヴァイアサン』の著者は、自然状態を戦争状態と等置したうえで社会状態への移行による平和と安全の確保を説き、社会契約論の創始者となった。――このような理解は決して間違いではないが、その前に確認しなければならないことがある。
ホッブズは、ガリレイケプラー、ハーヴェイ、デカルトらと同じく、17世紀科学革命に参画した革命家の一人であった。その正統な続行として、伝統的政治哲学を転覆し新しい政治哲学を確立することに意を注いだのである。この事実をはっきり示すのが、『哲学原論』第一巻『物体論』に付された献呈の辞である。
https://www.kinokuniya.co.jp/c/20130130112905.html
トマス・ホッブズ ウィキペディアWikipedia) より
トマス・ホッブズ(Thomas Hobbes, 1588年4月5日 - 1679年12月4日)は、イングランドの哲学者である。17世紀の近世哲学にあって、ルネ・デカルトなどともに機械論的世界観の先駆的哲学者の一人であり、バールーフ・デ・スピノザなどとともに唯物論の先駆的思索を行った哲学者の一人である。
政治哲学者として側面は広く周知され、人工的国家論の提唱と社会契約説により近代的な政治哲学理論を基礎づけた人物として一般的に知られる。政治哲学における主著は、『リヴァイアサン』。

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『心をめぐるパラダイム 人工知能はいかに可能か』 西川泰夫/著 左右社 2015年発行
新心理学とは何か (一部抜粋しています)
デカルトによれば心とは「思惟」、つまり「考えること」「思考」である。これはデカルトの「第1の原理」ともいわれる。これを「cogito ergo sum」、英語に訳すと「I think, therefore I am.」と彼は記した。昔流の訳では「われ思う、ゆえにわれ在り」、現代訳では「私は考える、それゆえに私は存在する」ということになる。「われ」と言っても英語表記から明らかなように「我々」ではない。一人称の「この私」である。ここから哲学的には、他者の存在問題という大きな論点が引き起こされた。私の存在は確かであるが、私以外の他者は、はたして存在するのか、という問題である。
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デカルトと同時代のもう一人の哲学者の「心観」をみておこう。ホッブズ(Hobbes, T)である。彼の考え方をデカルトと対比して「心身一元論」という。もちろん「唯心論」ではない。「物質一元論」、すなわち心身共に機械であるという考え方である。
ホッブズは『リヴァイアサン』(1651)の中で、人を人造人間、自動機械(オーとマン)になぞらえ、心の働きを「推理すること」と規定している。彼によれば、推理することとは、名辞と名辞とを一定の規則にのっとって結び付ける操作であり、その操作をアリストテレス流の三段論法で論じた。すなわち、名辞(文章命題や数字など)、つまり記号と記号とを結び付ける操作、計算であり、それは四則演算(加減乗除)であるという。したがって、推理することとは、計算することであるということになる。心とは計算機である、といえよう。そして、計算を具体的に実行する際の手順は、計算規則(四則演算)にのっとった記号の処理、操作である。
このホッブズのアイデアは、現在の人工知能研究の源流となるものである。そのため、ホッブズ人工知能研究の祖父と例えられている。