じじぃの「神話伝説_141_ウル・ナンム(シュメール王)」

Collizion Zero - Ur-Nammu 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=PsDM-qzJT_M
Top 10 Oldest Recorded Laws by Region Toptenz.net
http://www.toptenz.net/top-10-oldest-recorded-laws-region.php
ウル・ナンム王 (シュメール)

そっぽを向いた夫婦 (シュメール)

ウル・ナンム ウィキペディアWikipedia)より
ウル・ナンム(Ur Nammu、在位:紀元前2115年頃 - 紀元前2095年頃)は、ウル第3王朝の初代王である。ウル・ナンム法典と呼ばれる古い法典を成立させたことで名高い。
ウトゥ・ヘガル(ウルク第5王朝の王)の没後、彼はウルの王となりウトゥ・ヘガルの後継者の地位を占めた。これをウル第3王朝と言う。彼は独立状態にあった他のシュメール都市国家を次々と打ち破り統合していったが、その具体的な過程は殆ど知られていない。僅かにラガシュ第2王朝の王ナンマハニを打倒したことが記録に残るのみである。しかし、ウル・ナンムによって行われた建築事業がウルクニップル、ラルサなどで確認されており、ウル・ナンムが広い範囲に支配権を及ぼしたことは確実である。

                            • -

『文明の誕生 - メソポタミア、ローマ、そして日本へ』 小林登志子/著 中央公論新社 2015年発行
法の誕生――男と女のもめごとを裁くには (一部抜粋しています)
最古の文明を作ったシュメル人は男女の機微に通じていた人たちで、面白い夫婦像をつくっている。仲良く寄り添い、信頼しあった夫婦像もあるものの、手をつなぎながらもそっぽを向いたおかしな夫婦の像(画像参照)がある。夫婦喧嘩の後だろうか。
夫婦もにならず、男女のもめ事は永遠の普遍的な問題であって、こうしたもめごとは先史時代の村社会にもあったにちがいない。これが、文明社会シュメルともなると、もめごとはときには裁判沙汰になることもあった。こうしたもめごとに国家権力が介入し、条文化されているのである。
現時点で最古の「法典」は『ウルナンム「法典」』であり、ついで『リピト・イシュタル「法典」』そして『ハンムラビ「法典」』にいたる、法の流れがあったことがわかっている。「法典」とかぎかっこ付きなのには理由がある。法典とは序文、本文および跋文(ばつぶん)で構成され、立法の意義も明記されている法集成であると定義すると、たとえば『ウルナンム「法典」』は同時代の裁判記録に『ウルナンム「法典」』への言及は見られず、現実に公布された実定法とは考えがたい要素もある。そこで、かぎかっこ付きで暫定的に「法典」と呼んでいるのである。以下で、さまざまな「法典」を紹介しよう。
まず、『ウルナンム「法典」』である。ニップル市、ウル市から断片が出土し、シュメル語で書かれた序文のほぼ全文と約30の条文が復元され、さらに研究が近年進展している。
ウルナンム王は「序文」に、社会的な弱者を庇護することを明文化し、ウル市の都市神ナンナ神および正義を司るウトゥ神の加護により、「私は国土に正義を確立した」と、高らかに宣言している。
条文はまず「もし人が……ならば」と条件節があって、「……すべし」と帰結節がつづく。条件が異なれば、当然帰結も異なってくる形式で、こうした形式を決疑(けつぎ)形式あるいは解疑(かいぎ)法形式という。後代の『ハンムラビ「法典」』などもこの形式で書かれている。
人(自由人)と奴隷に分けて、刑罰が明記されているが、それというのも、身分制社会であって、法の下に平等ではなかったためである。
      ・
ウルナンム「法典」
「人の身体を傷害した者は、15年以下の懲役叉は50万円以下の罰金に処する」
これは我が国の「刑法」第204条の傷害罪である。ちょっとした言い争いから、喧嘩沙汰になり、人を傷つけてしまった。こうしたことは、人間社会であれば、いつ、どこにでもありうることである。