じじぃの「人の死にざま_1662_アンドレアス・ヴェサリウス(解剖学者・医師)」

On the Workings of the Human Body (de Humani corporis fabrica) by Andreae Vesalii 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=z5LGCCjZcCo
De Humani Corporis Fabrica

医療の歴史(8) 近代解剖学の夜明け〜ヴェサリウス 医療あれこれ
人体解剖学の研究は16世紀になって盛んになりました。その中心人物が解剖学の歴史上最大のビッグネームであるアンドレアス・ヴェサリウスです。
ヴェサリウスは1514年ベルギーのブリュッセルで代々医師であった家に生まれました。
1543年、ヴェサリウスは写実的なイタリア絵画を多く取り入れた大著「人体構造論(ファブリカ)」を出版します。(右は今でも解剖学書の序章などで紹介されているファブリカの挿し絵です。)正確な人体構造の知識を得た西洋医学はこの後、飛躍的な発展を遂げていくことになるのです。
しかし、いつの時代も新しい真実を最初に述べた人は周囲から冷たい視線を浴びせられることが多いのですが、ヴェサリウスも例外ではなく、最後は不遇な生涯を43歳という若さで閉じてしまうことになりました。
http://www.suehiro-iin.com/arekore/history/8.html
『医療の歴史 穿孔開頭術から幹細胞治療までの1万2千年史』 スティーブ・パーカー/著、千葉喜久枝/訳 創元社 2016年発行
ヴェサリウスと解剖学者 (一部抜粋しています)
人体を解剖する最良の方法はそれをひとつ――できれば死んだばかりの遺体、しかも内部が病気に冒されていない、事故か処刑でなくなった健康な人間の遺体を――開けてみることだ、というのは理にかなっているように思われる。解剖(体の構造の研究)が医学の基礎である以上、当然であろう。とはいえ、16世紀初頭はこの考えを妨げる障害物が存在していた――実際、13世紀もの長きにわたり立ちはだかっていた。すなわち、クラウディウス・ガレノスという存在が邪魔をしていた。
      ・
医学の進歩にとっては幸運なことに、アンドレアス・ヴェサリウス(1514 〜 1564年)はガレノスのとりこにならずにすんだ。しばしば近代の化学的な解剖学の創始者と称されるヴェサリウスは、当時はハプスブルグ家が支配していたネーデルランドを中心に活動していた著名な医者の家の出であった。彼の父のアンデルス・フアン・ヴェーゼルは、オーストリアの皇女マルガレートと神聖ローマ帝国マクリミリアン1世とその後継ぎのカール5世の薬剤師であった。祖父は医者で、現在のベルギーのルーフェン大学で講師をしていた。医者の家系であったにもかかわらず、ヴェサリウスは15歳ぶなるとルーフェン大学で学び始め、絵の才能を発揮した。しかし5年後、医学の勉強を始めるためパリ大学へ入学し、そこでガレノスをはじめとする古代の著作を繰り返し読んだ。その頃は印刷技術が進歩したおかげで、そういった作品が広く入手できるようになりつつあった。
      ・
1536年、フランスと神聖ローマ帝国のあいだで戦争が勃発した時、ヴェサリウスはルーフェンに戻った。彼は必要最低限の医者としての資格を取得すると、上司に異議をとなえ、死刑になった犯罪者の遺体をこっそり持ち去って解剖の技をもがいた。その後ヴェネツィアを経てイタリアの有名なパドヴァ大学に移ると、そこで彼の才能はすぐさま認められた。1537年、どうやら卒業の翌日には解剖と外科の教授職への誘いがあったらしく、彼はそれを受け入れた。
パドヴァ大学の上司はヴェサリウスの反抗的な傾向についてほとんど知らなかったが、かれの講義が始まるとすぐにそれが明らかになった。シルウィウスという先例を敷衍して、学生たちに内部をじっくりと見せながら、ナイフを用いて解剖用の遺体を自分自身で切り開いた。当時の一般的な慣例では、解剖を実際におこなうのは助手ないし地位の低い理髪外科医であり、しかも通常そのような解剖演習は、授業の中でも、ガノレス、デ・ルッツィなどの尊敬すべき作品の購読を補完するものにすぎなかった。もう一つヴェサリウスが革新的だったのは、彼自身の目で見たものを、古い描写に頼らずに、彼の前にある検体に忠実かつ詳細に描いて記録したことである。デッサンの技術を活用し、またプロの芸術家の助言を受けながら、ヴェサリウスは正確で、巧みに仕上げられた挿絵の山を築き上げた。ヴェサリウスと彼の新しい取り組みについての情報はすぐに広まり、1538年には、彼の初期の作品が6枚、『解剖学6図譜 Tabulae Anatomicae Sex』として出版されることになった。
      ・
新鮮な遺体とガレノスに対する新たな見解を授かったことで勇気づいたヴェサリウスは、解剖についての自身の大著を出版することを決意した。2年後、7巻からなる大著『人体の構造について De humani corporis fabrica』(以下『ファブリカ』)が出版されると大変な成功をおさめた。膨大な分量と息をのむほど高価な値段にもかかわらず、その年の終わりまでに本は売り切れた。『ファブリカ』の原画の木版画(おそらく梨材を原料にヴェネツィアで作成された)は、精緻で美しい仕上がりであったばかりでなく、実物から正確に写し取られていた。多くはイタリアの田舎の景色を背景に、生きているような姿勢で人体を表した。口絵右下に描かれたイヌの後足の1本が人間の足になっているのは、ガレノスの解剖用動物の中に多くのイヌが含まれているという事実を暗に示しているのかもしれない。