じじぃの「人間らしさ・献体・死者の世界!面白い雑学」

Gobekli Tepe │What happened 12,000 years ago?

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=_2KZfjH0nyo

“Gobeklitepe” by Klaus-Peter Simon


ギョベクリテペ遺跡 ・ギョベクリ・テペ(文化遺産:2018年)

ターキッシュエア&トラベル
●ギョベクリテペは世界最古の遺跡
ギョベクリテペ遺跡は、放射性炭素年代測定による調査の結果、地球上で最古の高度な文明であるといわれていたメソポタミア文明よりも、7,000年も古い文明の遺跡であることが判明しました。
一番古いものは今から1万2,000年前に建造されたものとして認められています。エジプトのピラミッドでさえも7,000年前の建造物であることから、かなり昔に建造されたものであることがわかるでしょう。
https://turkish.jp/spot/%E3%82%AE%E3%83%A7%E3%83%99%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%86%E3%83%9A-%E6%96%87%E5%8C%96%E9%81%BA%E7%94%A3%EF%BC%9A2018%E5%B9%B4/

『面白くて眠れなくなる解剖学』

坂井建雄/著 PHP研究所 2022年発行

PartⅡ 解剖学の歴史――献体のはじまり より

献体を申し出た最初の女性

明治時代になって、政府はドイツ人教師を雇って大学東校(現在の東京大学医学部)で西洋医学の教育を始めました。当初は解剖する遺体がありません。人体解剖は医学の基礎となる重要な事柄ですが、これでは解剖実習が行えないため、医学教育にも影響が生じます。
そんな中、美幾(みき)という重病の女性が大学の関係者から勧められ「自分が亡くなったら解剖して構わない」と遺言を残して息を引き取りました。1869年に国内初となる刑死体以外での解剖が東京大学で実地されたのです。
これがきっかけとなって政府も人体解剖を認め、刑死ないし獄中での病死で身寄りのない人のほかに、養育院での病死で身寄りのない人と、獄中での病死で身寄りのない人のほかに、養育院での病死で身寄りのない人と、解剖の許される範囲が徐々に広まっていきました。それでも、明治から第二次世界大戦までは、病死体の解剖については法的規定がないために、各大学の解剖学教室は解剖体を手に入れるのに苦労していたのです。
そのときの様子が、東京大学の解剖学教室で長年書かれてきた『屍体に関する記事』という微忘録に残されています。それによると、解剖体が足りないために養育院で亡くなった身寄りのないご遺体を、内密裏に分けてもらって解剖を行っていたと記されています。オープンにはできませんので、顔を傷つけず、体に外見上の欠損をつくらないという配慮をしながら解剖を行ったということでした。
たまに、いないはずのご家族が現れることがあり、怒鳴り込まれたときには教授が事態の収拾を図るために奔走して大変だったといいます。
戦後間もなくして、「大学等へ死体交付に関する法律」が公布・施行されて、医学および歯学の教育のために大学の長から要求があった場合は、都道府県知事はご遺体を交付できるように定められました。

献体運動の推進

解剖体の不足は、医師たちだけでなく、医療によって救われた人にとっても他人事(ひとごと)ではありませんでした。それを憂えた人たちの中から、自分の死後に体を医学教育に役立てることを思い立った人が現れたのです。彼らが大学に申し出たきっかけとなり、献体運動が起こりました。
献体運動は全国に波及して献体団体が結成され、1971年には篤志解剖全国連合会が設立されました。互いに連携を密にしながら、ご遺体の受け入れ機関である大学との交流を図るとともに、献体運動の推進を行ったのです。
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かつては医学のためとはいえ死後の体を解剖されることは、懲罰的で残酷なことでした。しかし、篤志家が自らの体を提供することを申し出て、その献体の志を熱く語ることによって、解剖のためにご遺体を提供することは人間として誇れる行為であることに変わったのです。そして、現在は普通の人が、自然な気持ちで献体を申し出てくださるようになりました。

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どうでもいい、じじぃの日記。
棺桶に片足を入れながら、生きている。
死ぬ前に行って見たかった場所にエジプトのピラミッドがある。
約4500年前、146mの高さを誇るクフ王の大ピラミッドが完成した。
これを現場で指揮したのは神官といわれるが、彼らは現代でも立派な建築士だろうと思われる。
一説には、人間は約100万年前から脳の大きさは現代人と変わっていないのだという。
6万年前頃(出アフリカ)に、人間のコミュニケーションの方法はゼスチャーから会話へと移行したのではないか。
それでは、人間はいつ頃から、宗教的な行いをするようになったのか。
なんとなく、『旧約聖書』創世記の舞台ができたのは、今から2万年前頃ではないか。
トルコのギョベクリテペは世界最古(1万2,000年前)の宗教遺跡といわれるが、イスラエルとかシリアにも同じような遺跡が存在しているらしい。
この頃、死者の世界との交わりを含めて、宗教が成立したように思う。
じじぃはウソばっかりとか。
トホホのホ。