じじぃの「科学・地球_439_アルツハイマー征服・アデュカヌマブの発見」

【解説】効果は?承認は?アルツハイマー病の新薬“アデュカヌマブ”

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=IsDNYq9cpkI

アデュカヌマブが米食品医薬品局(FDA)に承認された


ついに米国で承認されたアルツハイマー病「根本治療薬」

2021年06月10日 朝日新聞社の言論サイト
アルツハイマー病の「根本治療薬」と位置づけられる「アデュカヌマブ」が米国食品医薬品局(FDA)により条件付きで承認された。患者の脳にたまる「アミロイドβ」と呼ばれるたんぱく質を減らす効果が認められた初めての薬である。
不治と言われてきたアルツハイマー病が治るようになるのか、と期待した人は多いだろう。が、事はそう簡単ではない。これは初期段階、つまり「まだあまり困っていない段階」に使う薬である。認知機能が明らかに衰えたアルツハイマー病患者は対象ではない。
果たしてあまり困っていないときに薬を使う気になるだろうか。しかも高価と来ている。医療経済からはどう評価すべきなのだろう。そもそも、早め早めの検査は望ましいことなのだろうか。悩みを増やすだけにならないのだろうか。
https://webronza.asahi.com/science/articles/2021060900005.html

アルツハイマー征服』

下山進/著 角川書店 2021年発行

第18章 アデュカヌマブの発見 より

  バピネツマブの失敗を注意深く見ていた「ドラッグハンター」がいた。バイオジェン社のアル・サンドロック。アルは、「自然抗体」の治験を、バピを他山の石として設計する。

デール・シェンクは、バピネツマブのフェーズ3の結果がわかる数年前に、同じ敷地内に子会社のネオトープという会社を設立、そこにピーター・スーベルトやドラ・ゲームスを移していた。
シェンクはエラン社が開発拠点を閉鎖するとアナウンスしたあと、しばらくは小会社のネオトープの運営をすることになっていた。
が、ここでできるプロジェクトはごく限られている。そのごくわずかのプロジェクトに残るための面談も、エラン社では行われたが、多くのプロジェクトが開発拠点の閉鎖とともに、中止になった。
シェンクは、2012年12月には完全にエランから離れ、プロセナという医療ベンチャーを立ち上げることになる。その立ち上げに、右腕だったピーター・スーベルトやドラ・ゲームスはぜひとも参加してほしい仲間だった。
実際に何度も誘ったが、ピーターもドラも首をたてにはふらなかった。ピーターはこの時まだ56歳だったが、すでにやりきった、という重いがあった。退職のパッケージをとり、引退する。ドラもまだ57歳だったが肝臓に問題をかかえていたために、引退を決意する。
リサ・マッコンローグは、エラン社の開発拠点の閉鎖を最後まで見届けるチームにいた。
エラン社、AN1792(アルツハイマー病ワクチン)の失敗と会計スキャンダルの後、自分たちだけで薬を開発する力を失い、多くのプロジェクトを共同開発した。開発拠点の閉鎖にともない、400はある冷凍庫を整理しカタログをつくり、それぞれのパートナーに送らなければならなかった。
しかし、その作業は気の渡欧なるような作業だった。何しろ、冷凍庫の中身を知っている各プロジェクトの研究者は1人去り、2人去り、ほとんどがいなくなっていた。人影少なになったラボで残った12人はその作業を続けた。
リサは、1人またひとりアセナ時代からの科学者たちがちりぢりになっていくのを見ながらこんなことを考えていた。
    ・
ラエ・リンは、2012年には、SRIインターナショナルをやめていたが、まだ適切なアドバイスができる状態を保っていた。リサは、ラエ・リンに相談する。
ラエ・リンはひととおり話を聞くとこう言った。
あなたは科学から離れてはいけない。科学は私たちの全てだ」
リサはその言葉にはっとする。
UCSF(カリフォルニア大学サンフランシスコ校)は、ビル・ラターという偉大なメンターのもの、遺伝子工学で最先端をいった大学だった。競争は厳しかった。厳しかったが、常にフロンティアを求めるその気概は、自分たちの血となっていた。そう科学は単なる職業ではない。私たちにとって天職なのだ。
「科学に携わることなく家でじっとしていなくてはならないことほど辛いことはない」
ラエ・リンは絞りだすようにして言った。
リサは、UCSFに学者として戻ることを決意する。
まだ、自分は終わっていない。

「自然抗体」をとる

ここで時計の針を戻して、チューリヒ大学でのAN1792の治験の時の話に戻ろう。
すでに第10章の終わりで、チューリヒ大学のこの2人が、AN1792を投与した30人の患者の追跡調査をした話は書いている。
投与後1年にわたる調査で、2人は、抗体を生じなかった10人の患者からも脳炎が発症していたことから、副作用はワクチンの自己免疫疾患の可能性があると考えたのだった(『ネイチャーメディスン』2002年)。さらに抗体を生じた20人は、抗体を生じなかった10人にくらべて、その後も認知機能の衰えがなかった、という調査結果も報告していた(『ニューロン』2003年)。
ここから、チューリヒ大学のロジャー・ニッチとクリストファー・ホックの2人は独自の抗体薬探しを始めるのだが、その方法がユニークだった。
Aβは、脳内だけに生まれるわけではない、体のいたるところで、Aβが生じていることを、デニス・セルコーが明らかにしていたことはすでに書いている。それに対する抗体もまた自然発生的に生まれていることも、わかっていた。さらに、2005年には、ハーバード大学ロバート・モイヤーとルドルフ・タンジが、アルツハイマー病の患者には自然発生の抗体が少ないことを発見し、発表していた。
これらの論文に、ロジャー・ニッチとクリストファー・ホックは注目したのである。
「自然発生の抗体」。そう人間は誰でも自然に、APPから切り出されてAβが出てくる。それに応じて自然発生的に抗体も生まれていたのである。
わざわざPDAPPマウスから抗体をとって、それを「ヒト化」せずとも、人間に自然発生している抗体を薬にしては駄目だろうか。そうした抗体を生じている人はアルツハイマー病になりにくいのだから。
チューリヒ大学の付属病院で、患者を長年にわたって見てきたホックには、1000以上の検体があった。そのなかから、アルツハイマー病のリスクファクターが高いにもかかわらず、発病していない人、もしくは発病しても、状態を維持している人を探す。そうした人は強い抗体をもっているはずだ。
マウスを使ってつくる人工的な抗体の場合「ヒト化」した時に、脳のAβ以外にくっついてしまうことがあった。これが効率を落としていると考えられた。
しかも抗体をつくる際に、Aβのモノマーに対するものがいいのか、トライマーがいいのか、オリゴマーがいいのか、はたまたベータシート構造をとったアミロイド班に対するものがいいのか、これは治験をやってみなければどれが効くのかはわからない。
しかし、自然発生の抗体であれば、人間が200万年の進化でなかでつくりあげてきた免疫システムが選んだ抗体であるから、ピタリともっとも有害なものにくっつき無力化するのではないか。
モリーBセルから抗体をスクリーニングしていくシステムは、Reverse Time Migration (RTM)と名づけられる。RTMを使うことで、白血球からの遺伝情報を、それに対応する抗体に翻訳することができる。
このRTMを使って探し出したのが、BIIB037、後のアデュカヌマブだったのである。
その発見は、2006年の12月。

フェーズ2開始

ニューリミューン社とバイオジェンはバピネツマブの失敗から学んでいた。
エラン社の治験が失敗したのは、まず患者の選定を誤っていたからだ。PETがまだ十分に普及していない時期に始めた治験だったために、治験に入るか入らないかは、問診によって決められていた。つまり本当にアルツハイマー病の患者かどうかは、PETをとっていないのでわからないのである。2割から3割はアルツハイマー病以外の患者がエンロールしたと考えた(実際、2015年に発表だれたバピネツマブの治験の追跡調査で、3分の1の被験者がPETをとらずに治験に入っていたことがわかっている。AN1792にいたっては1人もPETをとっていない。2019年7月に発表された14年後の追跡調査では、22人のうち5人の症状は、アルツハイマー病以外の病気からきていたことがわかっている)。
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このようにして、PETによって選ばれた165人の患者が参加するフェーズ2の治験は、2012年10月から、アメリカの33の施設で行われることになったのである。
それはバピネツマブがフェーズ3で失敗した2ヵ月後のことであった。
アデュカヌマブ(Aducanumab)の名前は、ニューリミューン社社のロジャー・ニッチとバイオジェン社でつけた。3文字目のUは自分たちのいるZurichのUから。4文字目と5文字目のCAはバイオジェン社のあるCambridegeから。そして最初のADはアルツハイマー病(AD)とその最初の患者であるアウグステ・Dからとった。
ロジャー・ニッチはアロイス・アルツハイマー博士が100年前にこの病気を発見したドイツの出身だった。
アデュカヌマブこそがアウグステ・Dから連綿と続く患者と家族の苦しみを止めるのだ。