じじぃの「人間の意識・デカルトは松果体を魂のありかと呼んだ?脳と心の謎に挑む」

脳科学  (1/4) 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=YRjST6uoibA

松果体(しょうかたい pineal body) コトバンク より
左右大脳半球の間にある卵形の小体。内分泌器官の一つで,視床の上部に属している。
ノルアドレナリンヒスタミンなどのほかメラトニンと呼ばれるホルモンを分泌する。メラトニンは抗性腺作用,成長ホルモン抑制作用,プロラクチン分泌促進作用など視床下部-下垂体系の抑制作用を示す。

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『脳と心の謎に挑む―神の領域にふみこんだ人たち』 高田明和/著 講談社 2002年発行
心は「松果体」に宿る? (一部抜粋しています)
彼(デカルト 1596 - 1650)はこの機械仕掛けの人体がどのような力で動くかに興味をもちました。そこで彼は体と心(魂)を分けて考えました。彼はガレノスの動物霊気の信奉者でした。彼の考えでは筋肉とつながっている神経のなかには非常に細い線維があり、筋肉がこれを引っ張ると脳室の壁にある穴が開き、動物霊気が神経の中を流れて、筋肉のほうに行き、筋肉を動かすとしたのです。また松果体が傾いたり、立ったりすることで、それとつながる脳室の穴を開いたり、閉じたりすることができ、必要な方向に霊気を流すことができると考えたのです。このように動物の行動は松果体と脳室、そこから出入りする神経を通しての霊気で説明することができました。
しかし人間はどうでしょうか。彼は思考とか意識とかは人間にのみ備わる性質で、そのためには「心」を必要とすると考えたのです。
人間のみ「考える」ことができ、「考える」ことによってのみ、自分が存在することを知りうると考えました。
ここから最初に述べた有名な言葉、
「我思う、故に我在り」
が出されたのです。デカルトによれば動物に理性があるなどということはばかげた考えでした。動物は機械と同じように反応する、人間のみ抽象的な思考ができるのだ、動物は愛とか憎しみような真の感情を経験できない、また自発的な思考はできないのだと考えました。
デカルトは、人間は肉と血液からなるだけではない、それ以上のものだと考えたのです。我々は理性的な心を持っている、これにより動物たちを動かしている反射的行為に打ち勝つことができるのだ、と考えたのです。
では形のない心(魂)はどうやって形のある体を動かすことができるのだろうか……と、歴史的に今までの哲学書神学者の心を悩ましていた問題に入っていったのです。
彼は人間にはその中心になる場所があり、ここに心が宿ると考えました。
そしてその場所こそ、松果体だと考えました。
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現在の私達にとってはこの考え方は受け入れられないものです。しかし心が脳とは別に存在するのか、また不滅のものであるのかという問題は通常、抽象的で漠然としたとらえ方しかされていません。これを何とか脳の場所と結びつけ、それがどのようにして体に影響を与えるのかを考えつづけたデカルトの探求心には感銘をうけざるをえません。

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どうでもいい、じじぃの日記。
ちょっと古い本だが、高田明和著 『脳と心の謎に挑む―神の領域にふみこんだ人たち』に、「心は『松果体』に宿る?」があった。
「我思う、故に我在り」
デカルトによれば、「心(意識)」は脳の中の「松果体」にあるらしい。
ネットで「松果体」をキーにして検索すると、松果体は脳内物質(メラトニンなど)を分泌する器官、と書かれていた。
人間とサル、イヌを「意識」から考えると、「質」ではなく「量」の違いかもしれないらしい。人間の場合、他の動物と比べて圧倒的に神経細胞ニューロン」の数が多い。
「これを何とか脳の場所と結びつけ、それがどのようにして体に影響を与えるのかを考えつづけたデカルトの探求心には感銘をうけざるをえません」
アインシュタインも偉いが、デカルトも偉かった。