じじぃの「人の死にざま_1671_カール・ウェルニッケ(神経学者)」


ウェルニッケ野 ウィキペディアWikipedia) より
ウェルニッケ野(Wernicke's area)は、ヒトの皮質の一部を形成する大脳の一部で、上側頭回の後部に位置する。知覚性言語中枢とも呼ばれ、他人の言語を理解するはたらきをする。ウェルニッケ野は聴覚野を囲むように存在し、シルヴィウス溝 (中でも側頭葉と頭頂葉が接する部分)に接する。ブロードマンの脳地図における22野にあたり、多くの人の場合、言語中枢は左半球に局在しているので、ウェルニッケ野は左半球に存在する。脳卒中時の中大脳動脈閉塞はこの領域の機能に影響を及ぼす。
ウェルニッケ野という名前はドイツの神経科学者で外科医のカール・ウェルニッケの名からつけられた。彼は1874年にこの領域の障害がウエルニッケ失語、または感覚性失語と呼ばれる特有の失語症を起こすことを発見した。.

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『脳と心の謎に挑む―神の領域にふみこんだ人たち』 高田明和/著 講談社 2002年発行
タンとしか言えない男 (一部抜粋しています)
1861年4月のことです。シモン・オーベルタンの感情的な議論が学会を揺るがせたわずか7日後に、ルボルニュと呼ばれる51歳の男性がポール・ブローカのいたピセートル病院に入院しました。
ルボルニュは若い時からテンカンをもっていました。しかし31歳の時に口がきけなくなりその後入院していたのです。彼が言葉を話せなくなって約10年ののちには、右の体を動かすことができず、また右側の感覚もマヒしていました。彼はマヒした側の足に壊疽ができたためにブローカの病院に送られてきたのです。
そこで彼はオーベルタンを招き、一緒にこの患者を診ようともちかけたのです。
「私は彼に診断を求め、これが彼の言う決定的な症例(前頭葉の障害のために言語機能を失った例)になるだろうかと尋ねた。彼は間違いなく、これは前頭葉の障害だと答えた」
とブローカは述べています。
患者は1週間後に亡くなりました。彼らはすぐに解剖したところ、患者の左脳の前頭葉脳梗塞がありました。
ブローカはこのケースを4ヵ月後に学会で発表し、この患者の症状を「失語症」とよんだのです。
この患者は何を聞かれても「タン」としか言わなかったので、タンと呼ばれました。タンの症例は学会で熱狂的に受け入れられ、言語中枢の局在を疑うものはなくなったのです。
しかし前頭葉の言語中枢の障害は言葉を話す機能は冒しますが、聞いて理解する機能は冒されません。聞いて言葉を理解するという能力が側頭葉の聴覚野のそばにあることを見つけたのは、ドイツの神経学者カール・ウェルニッケでした。
カール・ウェルニッケは1848年にプロシャのシレジアに生まれました。彼の父親は鉱山の経営者の秘書をしていました。彼の家族は経済的に常に苦しい状態になりました。彼はブレスラウ大学の医学部を出て、最初は眼科医の助手をしていたのですが、その後、神経科、神経外科に移りました。
さらに1871年にウイーンに移り、「マイネルトの基底核」と言って、アルツハイマー病の時におかされる神経核を見つけたマイネルトの弟子になり、神経解剖学をおさめました。1861年にブローカが失語症の患者で「ブローカの言語中枢(運動性言語中枢)」を発表すると、1874年にウェルニッケは論文を発表して、ブローカの中枢のみが言語の中枢ではないと述べました。
彼はブローカの中枢は前頭葉にあるが、左の側頭葉に障害がある、別の形の失語症の患者がいると述べました。この患者は、発声はできても、聞いたことを理解できないのです。彼の見つけた部位は「感覚性言語中枢」といわれました。
その後、聞いた言葉を発音することに障害のある患者も見つかりました。