じじぃの「科学・芸術_203_医療の歴史」

History of Healthcare 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=i2mpgwGRJyw
頭蓋骨に開けられた穴

世界ルーツ探検隊 2017年5月1日 テレビ朝日
【MC】中丸雄一、若林正恭
●お風呂のルーツ
桐山照史がイタリアローマでロケ2時間スペシャル。
2400年前、コス島でヒポクラテスが治療として入ったのがお風呂のルーツ。
お風呂文化を作った偉人が生まれたのはエーゲ海にあるコス島。ここに住んでいたヒポクラテスという医者がお風呂を思いついた。そこには天才ならではの驚きの発想があった。ヒポクラテスがある村を訪れた時のこと、村人の多くが伝染病にかかっていた。そんな中で1日中暑い場所にいる鍛冶職人だけが伝染病にかかっていない事を発見。熱で病気が防げると考え、お湯に入る治療法を思いついた。
http://www.tv-asahi.co.jp/sekai_roots/
医学と医療の年表 ウィキペディアWikipedia) より
・紀元前2600年頃、イムホテプが、エジプト第3王朝下に200種の病気の診断と治療に関する教科書を著した。
・2003年、ヒトゲノムプロジェクトの完成版が公開される。
・2007年、京都大学山中伸弥らのグループが、ヒトの皮膚細胞に遺伝子を組み込むことにより人工多能性幹細胞(iPS細胞)を生成する技術を発表。
・2014年、ニボルマブ(商品名オプジーボ)が日本で承認される。世界初のヒトPD-1モノクローナル抗体医薬品であり、免疫力を高めることにより悪性腫瘍を攻撃する新しいタイプの抗がん剤

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『1000の発明・発見図鑑』 ロジャー・ブリッジマン/著、小口高、諸田昭夫、 鈴木良次/訳 丸善 2003年発行
頭蓋骨の穴
古代、頭の中に悪魔が入ったり神々が魂を盗んだりして病気になると考えられたことがあった。その解決法は、悪魔を追い出したり魂が戻れるようにするために、頭に穴を明けることだった。
頭蓋骨に穴を開ける開頭術は前1万年頃には行われていた。フランスのエンシスハイムで発見された前5000年頃の頭蓋骨には、この手術の跡がはっきり残っている。手術した穴のまわりの骨が成長した頭蓋骨も発見され、この手術に耐えて生きのびた人びとがいることもわかる。
アヘン
アヘンはケシの未熟な果皮からつくる物質である。5000年以上に渡って鎮痛と睡眠の薬として使われてきた。
アッシリアで発見された前3000年頃の粘土板(最古の記録の1つ)にも、その医学的特性が記されている。アヘンはモルヒネなど、ほかの薬をつくるのにも使われる。モルヒネはドイツの化学者F・W・A・セルテュルナーが1806年に発見し、現在でも最もよく効く鎮痛剤として使われている。
鍼(はり)治療
つぼに鍼を刺すと痛みを和らげたり健康を回復させることができる。鍼治療は中国で前2500年に開発されて以来、鍼の材質が石から鋼に変わったことを除いて、ほとんど変わらずに続いている。鍼治療は身体の生きる力あるいは”気”が特定の経路を流れているという考え方に基づく。”気”はせき止められることもあるが、適切な場所に鍼を刺すと、なめらかに動き出すという。
心臓弁
前250年頃、古代ギリシャのエラシストラトスは、最初に人体のしくみの研究を始めた一人である。現在は彼の考えと違ういろいろな研究が進んでいるが、彼の考えは道理に敵っていた。
心臓弁が血液の逆流を防ぐしくみを始めて正しく説明したのも彼である。弁の一つ tricuspid(三尖弁)は彼が名づけたもので、この言葉は現在でも使われている。
公共病院
前4000年頃から寺院が病院を受け入れていたらしいが、最初の公共病院は397年頃ローマに開かれたとされる。その病院は、多くの善行をして聖人になった女性、ファビオラにより設立された。彼女は教養の高いローマの貴族で、後にキリスト教徒になり、複数の病院を建て、修道院を援助した。後に修道院も次々に病院を建てるようになった。
精神病院
精神病院の受けとめ方は時代や場所によって変化してきた。奇怪な行動が悪魔の仕業と見なされ、精神障碍者が動物のように扱われる国も多かった。しかし、10世紀のバグダッド(現在イラクの首都)では違った。絶えず敵の攻撃を受けていたにもかかわらず、918年に知られる限り最古とされる精神病院が設立された。その方針は敬意をもって精神障碍者に接することだった。
科学的な人体解剖
何世紀もの間、人体構造の知識のほとんどはギリシャ人の医者ガレノスの研究に基づいていた。しかし、フランドルの内科医ヴェサリウスが新たな発見をもたらした。ヴェサリウスは解剖の結果、ガレノスの研究が人間でなく動物を元にしていることに気づいた。1543年、ヴェサリウスが出版した人体の本には実際に解剖した成果がくわしく記されている。
血液の循環
1628年、イギリスの医師ハ―ヴィーは医学史上に残る重要な発見をした。彼は実験と観察を通して、体内で血液が循環していることを証明したのである。
それより前は、血液が肝臓でつくられて体内に送られると信じられていた。ハ―ヴィーの考え方は現在では当たり前だが、それはひとえに彼が手を借して創造に貢献した近代医学のおかげである。
細菌
細菌は原虫よりさらに小さい。1676年に、ファン・レーウェンフックは280倍に拡大できるレンズをつくり、自分の口から採集した細菌を初めて見た。観察するものに横から光を当てるという工夫をしたと思われる。太陽光線の中で埃がはっきり見えるような効果が期待できるからである。
ペスト菌
腺ペストは命にかかわる病気で、ネズミのノミによって媒介される。何回も流行し何百人もの人が死んだ。1894年に日本とスイスの細菌学者、北里柴三郎とイエルサンが桿菌(かんきん)という病原菌を発見した。この病原菌はイエルサンに敬意を表し、Yersinia pestisと呼ばれている。
抗生物質の開発
1928年9月。スコットランドの細菌学者アレクサンダー・フレミングが細菌の培養皿を友人に見せているとき、はっと動きを止めた。手にしていた培養皿は細菌でおおわれていたが、一部にかびがはえており、そのまわりには細菌がなかったのである。
レミングはロンドンのセントメアリ病院にあるサー・アルムロス・ライトのワクチン研究所で働いていた。そこでこのかびを多量に培養し、抽出したものをペニシリンと名づけた。
ヒトゲノム
ヒトゲノム(ヒトを形つくるのに必要な遺伝情報)は、ヒトDNAに特有の長い塩基配列(A、T、G、C)の中に存在する。2000年6月26日、激しい競争を展開してきたコリンズ率いる国際ヒトゲノム計画プロジェクトチーム(HGP、公的機関)とヴェンター率いるセレラジェノミクス社(民間企業)は、ヒトゲノムの配列読み取り草案を発表した。
実際はどちらも完全ではなかった。セレラ社の方が解析が進んでいたが公開は有料、HGPの方は情報が少なかったが無料であった。2001年2月、両者はより完全なゲノム解析を発表した。

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『もののはじまり 雑学大全 どこを読んでも必ず誰かと話したくなる!』 なるほど倶楽部/編 だいわ文庫 2013年発行
世界初の臓器移植はいつ行われた?
世界初の臓器移植の記録は、ウクライナのボロノイ医師が、急性腎不全の患者を救うため、死者から摘出した腎臓を患者の大腿部に移植したのが最初です。しかし、患者は36時間後に死亡しました。
世界ではじめて心臓の移植手術を行ったのは、南アフリカのバーナード医師です。1967年に心臓移植手術を受けた患者は18日後に死亡しましたが、2度目の手術では患者は9ヵ月生存しました。