じじぃの「脳障害・哲学的ゾンビとは何か?意識とは」

Zombi(ゾンビ) トレーラー 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=IlzbxE5KCZI
脳死植物状態 (jotnw.or.jp HPより)

ゾンビ

日本臓器移植ネットワーク 臓器移植解説集
欧米をはじめとする世界のほとんどの国では「脳死は人の死」とされ、大脳、小脳、脳幹のすべての機能が失われた状態を「脳死」としています。イギリスのように、脳幹のみの機能の喪失を「脳死」としている国もあります。
https://www.jotnw.or.jp/studying/4-2.html
『意識はいつ生まれるのか――脳の謎に挑む統合情報理論 ジュリオ・トノーニ、マルチェッロ・マッスィミーニ/著、花本知子/訳 亜紀書房 2015年発行
哲学的ゾンビ (一部抜粋しています)
哲学的分野で現代の二元論がとる立場を支えるのはゾンビ(zombi)理論だ。zombiというのは、英語のZombieをイタリア語風に表記したものだ。英語のZombieは、もとはといえば、クレオール後のZonbiからきている。ハイチのブードゥー教の儀式で登場する言葉だ。「哲学的ゾンビ」はオーストラリアのディビッド・チャーマーズによって有名になった。カリブの呪術師が呼び覚ますゾンビとも、ホラー映画をにぎわす、部分的に腐敗した死体とも違い、哲学者たちが仮想するゾンビとは、行儀よく、まともで、外見からはわれわれとまったく見分けがつかない存在だ。どんな医学的検査や心理テストを受けさせても、いかなる観察者によっても、人間と哲学的ゾンビは見分けられない。
唯一の違いは、哲学的ゾンビには意識がないということだ。もし熱された表面に触れたとしたら、哲学的ゾンビはわれわれと同じように手足を引っこめ、叫び、ののしり言葉を発する。だが、いかなる痛みも感じていない。実際、哲学的ゾンビはなにも感じないのだ。
そのような生き物、というよりもそのような生き物を仮想できること自体(この記述が詠まれて、その意味が理解されたということ自体)、意識は脳の働きに還元できない証拠だと、多くの哲学者たちが考えている。いいかえれば、肉体的には人間と同じようにつくられ、まったく意識がない生き物の存在を思い描くことができること自体、次のことを示している、というのだ。別の人間の身体的状態をいくら完全に記述できたとしても、その記述をもとに、その人に意識があることを示すことは、論理的に不可能だ、と。この哲学的ゾンビは人を喰ったりはしないが、意識をテーマに掲げるシンポジウムで恐怖をふりまいている。哲学者=呪術師たちがこの手の発言をするたびに、素直な科学者も頑なな科学者も、言葉につまり、固まってしまう。

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どうでもいい、じじぃの日記。
この頃、「ゾンビ」という言葉を聞くことが多くなった。
ゾンビでも、「哲学的ゾンビ」というのがある。
哲学的ゾンビはわれわれと同じように手足を引っこめ、叫び、ののしり言葉を発する。だが、いかなる痛みも感じていない。実際、哲学的ゾンビはなにも感じないのだ」
哲学的ゾンビはともかく、脳障害で脳の一部の機能が働かなくなることを脳のゾンビ化と表現したりする。
手足のしびれ、麻痺なんかも脳の機能障害からくることが多い。
私は既に、哲学的ゾンビ状態で、生理学的ゾンビ状態で、経済的ゾンビ状態です。
ちなみに、脳死とは人が生きていくために必要な働きを司る脳全体(大脳・小脳・脳幹)の機能が失われた状態です。
大脳の機能はなくても、脳幹は働いている人を「植物状態」と呼び、脳幹が機能しなくなると二度と回復しないようです。