じじぃの「人の死にざま_1624_ヴァルター・ベンヤミン(哲学者)」

Walter Benjamin

ヴァルター・ベンヤミン ウィキペディアWikipedia) より
ヴァルター・ベンディクス・シェーンフリース・ベンヤミン(Walter Bendix Schonflies Benjamin、1892年7月15日 - 1940年9月26日)は、ドイツの文芸批評家、哲学者、思想家、翻訳家、社会批評家。フランクフルト学派の1人に数えられる。ドイツ観念論ロマン主義史的唯物論、及びユダヤ教神秘主義などの諸要素を取り入れ、主に美学と西洋マルクス主義に強い影響を与えた。
第二次世界大戦中、ナチスの追っ手から逃亡中ピレネーの山中で服毒自殺を遂げたとされてきたが、近年暗殺説もあらわれ、いまだ真相は不明。ハンナ・アーレントは、彼を「homme de lettres(オム・ド・レットル/文の人)」と呼んだ。
1940年、春、「歴史の概念について」執筆。パリを陥落直前に逃れてルルドへ向かう。8月はじめ非占領地域のマルセイユへ移る。アメリカへの渡航を企てるも出国ビザが下りず、非合法に徒歩でスペインへ入ろうとする。9月26日、スペインに入国しようとするが、ポルボウで入国を拒否され、大量のモルヒネを飲んで自殺を計り、翌日死去する。

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ヒトラーと哲学者 イヴォンヌ・シェラット著 電子版(本の森
第1部「ヒトラーの哲学者」では、まずカントからニーチェに至るまでのドイツ哲学が伝統的に孕(はら)んでいた反ユダヤ主義・ドイツ人優越思想の系譜を辿(たど)っている。
第2部「ヒトラーの対抗者」では、ナチスの迫害によって自殺に追い込まれたベンヤミン、長期の亡命を余儀なくされたアドルノユダヤ人女性として格闘し続けたアーレント、そして正義感から白バラ運動を組織して自らの思想に殉じたクルト・フーバーの、それぞれの苦難の歴史が辿られる。
http://dd.hokkaido-np.co.jp/cont/books/2-0025290.html
『本当にわかる現代思想 フシギなくらい見えてくる!』 岡本裕一朗/著 日本実業出版社 2012年発行
フランクフルト学派ファシズムとの対決から生まれた より
ドイツの現代思想を長い間牽引してきたのは、フランクフルト学派と呼ばれる思想家集団である。これはフランクフルト大学の「社会研究所」を中心に展開されたので、そう呼ばれるようになった。1930年にマックス・ホルクハイマーが所長になってから、フランクフルト学派の発展がはじまっている。
フランクフルト学派の思想的な特徴は、西欧的マルクス主義にもとづきながら、現存する社会に対して批判的な議論を推し進める点にある。そのため、フランクフルト学派の考えは「批判理論」と呼ばれているが、革命的な実践に向かうことはない。
ヴァルター・ベンヤミン 神的暴力に革命の可能性を見る より
ヴァルター・ベンヤミンを考えるとき、必ず思い浮かぶのが、悲劇の亡命者というイメージである。じっさい、大学での職を求めて提出した論文(『ドイツ悲劇の根源』)は拒否された。在野の批評家として活動せざるをえなかった。ナチスの台頭とともに、亡命を余儀なくされるが、1940年には追いつめられて服毒自殺を図った。この間、「パサージュ論」と呼ばれる膨大な草稿が残されたけれど、その全貌が印刷物となったのは、ずっと後になってからだ。フランクフルト学派に協力したとはいえ、決して中心を担ったわけではなく、距離をおきながら参加している。
フランクフルト学派の機関紙『社会研究雑誌』に寄稿したベンヤミンの論文で、最も有名なものが『複製技術時代の芸術』だろう。この論文は、「アウラ」という言葉によって、ベンヤミンの名を広めた。しかし、この論文はよく知られているわりには、必ずしも十分理解されているとは言えない。もともと、「アウラ」という言葉じたいが曖昧であるだけでなく、ベンヤミンがこの論文で何を意図したのかも明瞭とはいえない。
いったい、「アウラ」とは何だろうか。「アウラ」というのは、英語風に言えば「オーラ」であるが、ベンヤミンは芸術作品のもつ「今、ここにしかない」という唯一性・1回性を示す「雰囲気」として使っている。ベンヤミンによると、現代の複製技術時代になって、「作品のもつアウラ」が失われていく。逆に言えば、複製技術以前の作品には、こうした「アウラ(オーラ)」が漂っていた、というわけだ。
問題はここから先である。ベンヤミンは、複製技術時代に対して、どんな態度を取ろうとするのだろうか。複製技術として、ベンヤミンがおもに年頭においているのは映画である。映画では、同じ場面を何度も撮り直し、そのあとノリとハサミで編集して、作品を作り上げていく。ファシズムはこの映画を利用し、「政治を美化」して大衆を支配している。これに対して、ベンヤミンは逆に「芸術を政治化」しようとするのだが、具体的にどうするのかは明らかではない。
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「神的暴力(あらゆる暴力を終息させる暴力)」という言葉には、ベンヤミンの神学的な発想がよく表現されている。ここで神学的な発想というのは、彼の「メシアニズム」を意味している。ベンヤミンは、服毒自殺を図るまで、ある原稿を肌身離さずもち歩いていた。それは『歴史の概念について』という短い論文だが、通称「歴史哲学テーゼ」と呼ばれている。このテーゼにおいて、ベンヤミンは「メシア的なもの」に繰り返し言及するのだ。そこで、「メシア的なもの」の意味を確認するために、絶筆となった「歴史哲学テーゼ」を見ておこう。
ベンヤミンによると、マルクス主義の歴史的唯物論(「唯物史観」)は、神学的なメシアニズムによって補完されなくてはならない。俗流マルクス主義は、人類の進歩を信じて、未来へと目を向ける。とこらが、こうした考えは、「均質で空虚な時間をとおって歴史が進行する」と見なすことだ。ベンヤミンはこの歴史観を批判し、まったく対立する時間把握を提起している。それをベンヤミンは、「今という時間」という表現で語った。
1回限りの「今という時間」は、「アウラ」を思い出させる言葉であるだけでなく、最後の審判を予感させる。ベンヤミンはこの歴史意識のうちに、革命の可能性を与えたのである。