じじぃの「科学・地球_334_世界を変えた100のポスター・ウォーホルのマリリン」

マリリン・モンロー肖像画が250億円超えで落札

アンディ・ウォーホルの描いたマリリン・モンロー肖像画が史上最高値の250億円超えで落札

2022.5.11 HYPEBEAST.JP
先日、20世紀のアメリカを代表するポップアートの巨匠 Andy Warholアンディ・ウォーホル)が1964年に製作した女優 Marilyn Monroe(マリリン・モンロー)の肖像画 “Shot Sage Blue Marilyn”が「Christie’s(クリスティーズ)」のオークションに出品され、1億9,500万ドル(約250億円)で落札。
この落札価格は、20世紀の美術作品としては史上最高値を記録した。
https://hypebeast.com/jp/2022/5/andy-warhol-marilyn-monroe-painting-sold-for-record-breaking-195-million-usd-christies-auction

『世界を変えた100のポスター 下 1939-2019年』

コリン・ソルター/著、角敦子/訳 原書房 2021年発行

071 ウォーホルの『マリリン』 より

Warhol:Marilyn[1967年]

批評家・夢想家のヴァルター・ベンヤミンは、1936年に有名な言葉を残した。「芸術作品をどんなに完璧に復元したとしても、ひとつの要素が欠けている。時空に占める存在感、つまりたまたまある場所で示す唯一無二の存在だ」アンディ・ウォーホルはアート人生をかけて、ベンヤミンの言葉を否定したといえる。

オリジナルの絵画にはどんな複製品も再現できない「アウラ」がある、とベンヤミンは論じた。そうした考えと対立した者がいた。大量生産の時代に素地を固め、発想を得ていたあるアーティストだ。チェコスロバキアからの移民で炭鉱労働者の息子、本名アンドリュー・ウォーホル(1928-1987年)は米ピッツバーグで育ち、カーネギー工科大学で学んだ。初仕事では靴を描いた。このコマーシャルアートの修養は、その後のあらゆる創作活動の土台となった。ウォーホルはアートは商品だという考えを受け入れており、「オリジナル」のアウラを考慮の対象から外していた。
ニューヨークに移ったウォーホルは、自分のスタジオに「ザ・ファクトリー」(工場)という名前をつけた。これは大量生産や芸術労働をイメージしていた。ここでは女装したゲイ、麻薬も売るストリート・ハスラー、奇妙な熱狂的ファンといったとり巻ができた。
「これから誰もが15分間は世界的な有名人になれるだろう」と述べたという。だがそれ以上に重要なことがあった。シルクスクリーンという、理想の印刷手段に出会ったことだ。おかげで最小限の労力で多くの枚数を刷りあげられた。この仕事を助手に任せれば、ウォーホル本人の作品であっても印刷工程に立ちあう必要すらない。
またウォーホルのアートで最大限の価値になることだとしたら、アイコン的存在のデザインについても同じことがいえた。彼が賞賛を惜しげもなく受けている絵の素材は、すべて消費資本主義の賜物だ。ウォーホルにとってキャンベルスープコカ・コーラ、ブリロ・パッド[食器洗い用の洗剤つきスチールウール]のブランド名入りパッケージは、マリリン・モンローエルビス・プレスリーと同じ文化過程に属していた。
ウォーホルはそれ以前のどの大物アーティストより、マスメディアとの親和性の高さを示している。
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トレードマークだった銀髪のかつらと黒いタートルネックが偶像化され、その格好ですぐにウォーホルだとわかるようになった。結局自分自身がブランドになったのだ。だが、芸術家に対する夢想をどんなにうち砕こうと骨を折っても、アウラを消滅させることはできなかった。ウォーホルの絵画に世界最高クラスの値がついている。『銀色の車の事故(二重災禍)』(1963年)は、2013年に1億500万ドルで落札された。
このアーティストは見た目の美しさの虜になり、主に興味をいだくのは表面的なものだという発言を繰りかえし、自分は「とことん浅はかな人間」であると世間にどうにかして信じ込ませようとした。だがそうしたポーズに似合わず、彼ははるかに賢く立ちまわっていた・その作品はすべて、1960年代になっても後生大事に守られていた高級美術(ハイ・アート)という概念へのアンチテーゼだったのだ。今日のアーティストと批評家は、そうして提起された疑問にいまだに取り組んでいる。