じじぃの「科学・地球_329_世界を変えた100のポスター・ノーマン・ロックウェル」

Norman Rockwell: Imagining Freedoms - Rockwell's Four Freedoms

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=2TYFzJ98SAQ

「let's go back to the girl at a mirror」

The Story Of “Girl At Mirror” By Norman Rockwell

Norman Rockwell, Girl At Mirror, 1954, Norman Rockwell Museum.[/caption] The girl at a mirror was originally created as the cover of the March 6, 1954 issue of The Saturday Evening Post.
The image is full of extremely symbolic and very insightful elements. The girl looks apprehensively at the mirror. On her lap we see an opened magazine showing a photo of the actress Jane Russell, who alongside the diva Marilyn Monroe, starred in the fun movie Gentlemen Prefer Blondes.
https://www.dailyartmagazine.com/girl-at-mirror-by-norman-rockwell/

『世界を変えた100のポスター 下 1939-2019年』

コリン・ソルター/著、角敦子/訳 原書房 2021年発行

『四つの自由』

Norman Rockwell :Four Freedoms[1943年]

20世紀の大半の期間、ノーマン・ロックウェル(1894-1978年)は他のどのアーティストよりアメリカのイメージを定義づけていた。ロックウェルが描いたのは、アメリカ人が見られたいと思うアメリカ人像、そして見られる必要のあるアメリカ人像だった。誠実で健康そうで、機知に富み、楽天的で理想主義的で根っから親切なアメリカ人である。

ノーマン・ロックウェルの駆けだしの頃の作品は、ボーイスカウトの雑誌、ア・ボーイズ・ライフ誌に掲載されていた。
このときロックウェルはまだ19歳だった。「母さんのアップルパイはアメリカの味Mom's apple-pie America」の絵のおかげで、その後彼は64年間にわたりボーイスカウト運動とかかわることになった。また、そのあいだこの雑誌のアートエディターにも就任している。
だが、ロックウェルがアメリカの大衆と長年の絆を築いたのは、サタデー・イヴニング・ポスト誌をとおしてだった。1916年から47年以上も323回表紙を担当し、アメリカの小さな町の魅力、無邪気な子供の遊び、威厳ある人々の姿を描いた。たいていひねりを利かせた、罪のない笑いの要素を入れて。たとえば1948年3月の同誌の表紙になった『ゴシップ』は、伝言ゲームのような打ち明け話の危険性をユーモラスに表現している。ロックウェルは明らかに深い愛情をこめ、写真のようなリアルさで、同一人物を聞く側、伝える側に描き分けた。
ロックウェルは大統領の肖像画にも絵筆をふるったが、大半のアーティストと同じく企業向けの仕事で生計を立てていた。そうした誰にも親しまれた作品にコカ・コーラの広告6本がある。コーラを日常的に欠かせない、アメリカ人の代表的飲み物とするイメージ戦略に、ロックウェルの絵が最適だとコカ・コーラ社は見ていた。
第二次世界大戦中にはアメリカのヒロイン、リベット工ロージーが活躍した時期に、ロックウェルの解釈したロージー像がもっともよく知られるようになり、国全体の士気を高めた。また、1943年にはルーズヴェルト大統領の演説にもとづき、『四つの自由』シリーズを制作した。(経済的)欠乏からの自由、言論の自由、信教の自由、恐怖(軍事的侵略)からの自由をテーマとした4部作で、完成には7ヵ月を要し、ロックウェルはその間に3キロ体重を落とした。だが、プロパガンダとしては大成功で、戦時国債の販売で1億3000万ドル以上を集めた。
ロックウェルはエドワード・ホッパーと同様、ありのままのアメリカ人を描いていた。ただし理想化した感傷的な国家観のために、ホッパーのように批評家から絶賛されることはなかった。ロックウェルのアメリカには暗さや二面性は微塵もない。とはいえそれは1960年代の初めまでだった。
このときロックウェルはにわかに公民権運動の支持者になり、サタデー・イヴニング・ポスト誌を去り、同誌が認めなかった政治的テーマを追求するようになった。当時ポスト誌は下僕的な役割のアフリカ系アメリカ人の絵しか掲載していなかった。
ルック誌は、政治に関心をもつようになったロックウェル(本人なら「大人になった」というだろう)にとって居心地のよいホームグランドになり、人種差別をテーマとした彼の絵を次々と掲載した。
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その頃にはロックウェルは全国有色人種向上協会に加入し、ヒッピー運動の精神に心酔し、NASAに興味津々だった。アメリカ人の本質を完璧に絵筆に捉えた人物は、理想化された過去にしがみつかずに手放し、変化を受け入れて未来に進めることを示した。それがたいていのアメリカ人とは違うところだ。1968年にはこうもいっている。
「今は『四つの自由』を描こうと思っても描けません。ただそれが信じられないのです」