じじぃの「人の死にざま_789_江頭・匡一」

江頭匡一 - あのひと検索 SPYSEE
http://spysee.jp/%E6%B1%9F%E9%A0%AD%E5%8C%A1%E4%B8%80/21365/
私の履歴書 | 企業情報 | ロイヤルホールディングス株式会社
http://www.royal-holdings.co.jp/co/story.html
江頭匡一 ウィキペディアWikipedia) より
江頭匡一(えがしらきょういち、大正12年(1923年)3月25日 - 平成17年(2005年)4月13日)は、日本の実業家。ファミリーレストランの草分け的存在である外食チェーン店『ロイヤルホスト』などを展開するロイヤル株式会社(現在のロイヤルホールディングス株式会社、本社・福岡市)の創業者。
【経歴】
岡県城島町(現在の久留米市)に父・江頭佳造、母・照代の長男として生まれた。
旧制嘉穂中学校(現福岡県立嘉穂高等学校)卒業。明治大学専門部中退。
第二次世界大戦後、米軍基地で物販を始めたことを切っ掛けに、1950年、ロイヤルの前身会社『キルロイ特殊貿易株式会社』を設立。1951年、福岡空港の国内線運航開始と同時に同空港内に食堂運営と機内食の納入を始めた。
1953年、福岡市の中洲に、フランス料理店「ザ・ロイヤル」(後に「花の木」と改称)を開業する。オープンして三ヶ月後、新婚旅行で来日したマリリン・モンロージョー・ディマジオが来店して気に入り、三日続けて通ったといわれている。
1959年、福岡市天神(現在の中央区)の『新天町』内に日本でのファミリーレストランの草分けとなる「ロイヤル新天町店」を出店。他社に先駆けてセントラルキッチン方式やフランチャイズ制を導入した。
2005年4月13日、肺炎のため死去。82歳没。

                                • -

『新忘れられた日本人』 佐野眞一/著 毎日新聞社 2009年発行
ファミレスの草分け 江頭匡一 (一部抜粋しています)
今回紹介するのは、ファミリー・レストランの草分け的存在の外食チェーン・ロイヤルを開業した江頭匡一(えがしらきょういち)である。
江頭は平成17年(2005)年4月に82歳で死亡したが、私が福岡市にあるロイヤルの本社で、江頭に会ったのは昭和54(1979)年春、江頭が56歳のときだった。縁なしの目が眼鏡をかけ、紺のブレザーを嫌味なく着こなして、白いものが混じった髪をきちんと分けた江頭は、外食産業の創始者というより、お洒落な大学教授のような雰囲気をもった人物だった。
だが、この男の事業にかける執念はすさまじく、お洒落な外見からはまったく予想もつかなかった。江頭は、ロイヤルのライバルと目されていたデニーズ・ジャパン社長の伊藤雅俊(当時・イト―ヨーカ堂社長)を評して「羊の皮をかぶった狼」だと言ったが、その評言は江頭にもそのままあてはまった。
幹部社員を集めて毎朝8時に始まるロイヤルの早朝会議は、大藻楚歌も元旦もつづけられる。会議の正面には大黒板がしつけられ、役員たちはその大黒板を”御真影”と呼ぶ。ふだんは厚いカーテンに遮られ、姿を見ることができないからである。
会議が始まるとカーテンがするするとあがり、”御真影”が姿を現す。そこにはロイヤル全店舗の前日の売上げがびっしり書き込まれ、横には前年同月同日の売上げと、その日の天候が赤い文字で書かれている。前年に比べもし売上げが落ちていれば、その原因を問いただす江頭の執拗な追及と叱蛇(しっだ)が休日を除いて毎日つづく。
市外電話をかける場合にはたとえ北九州へでも、「市外電話使用許可票」を上司に提出しなければならない。
しかし、江頭を吝嗇(りんしょく)と見るのはあたらない。床に1枚2000円するイタリア製のタイルを敷きつめ、総工費3億6000万円の巨費を投じて社員研修のためのトレーニングセンターが完成したとき、役員たちは揃ってため息をもらした。
「ライバルのすかいらーくだったら、プレハブでつくったろうに……」
江頭のユニークさは、人並外れた合理主義と人並外れた一流志向が、ひとつの人格のなかで矛盾なく同居しているところにあった。
       ・
江頭が飛躍するきっかけは、昭和26年2月に東京・福岡間に就航した日本航空機内食を扱ったことだった。まだ1日1便という時代に、「将来は必ず1日何十便の位台になる。300人乗り、500人乗りの大型ジェット機の時代が必ず来る」という江頭を、社員たちは”うどん屋の釜”と陰口した。うどん屋の釜には、湯だけしか入っていない。つまり「言(ゆ)うだけ」の口舌の徒という意味である、
私は江頭の自宅に泊まり込み、1週間密着してこの男を取材した。最も衝撃を受けたのは、自宅で肌着を脱ぎ、腹部を見せられたときである。胸から下腹部にかけ、ひきつれたようなメスの跡が7本残っていた。江頭は創業以来、1日10食の試食を自分に課してきた。その過重負担が、十二指潰瘍、直腸潰瘍、胆石、胃潰瘍、盲腸、胆嚢壊疽(たんのうえそ)、肝炎などを発病させ、7つのメス跡となって刻まれた。
大量の消化剤と下剤が常備された江頭のアタッシュケースのなかには、外食チェーンの経営者には最もふさわしからざる常備薬が入っている。浣腸である。直腸を半分切って以来、江頭は1日2本の浣腸を欠かせない。1年に700本の浣腸を使用しながら、日本一のレストランチェーンを目指す男の姿は、滑稽さを通り越して凄絶であり、感動的ですらあった。

                                • -

江頭匡一 Google 検索
http://www.google.co.jp/images?btnG=%E6%A4%9C%E7%B4%A2&hl=ja&rlz=1T4GZAZ_jaJP276JP276&prmd=ivnso&ei=xJH2Tq6ZJumeiAe198i8Ag&oq=%E6%B1%9F%E9%A0%AD%E5%8C%A1%E4%B8%80++%E7%94%BB%E5%83%8F&aq=f&aqi=&gs_upl=0l0l0l6474l0l0l0l0l0l0l0l0ll0l0&oi=image_result_group&sa=X&q=%E6%B1%9F%E9%A0%AD%E5%8C%A1%E4%B8%80%20%E7%94%BB%E5%83%8F&tbm=isch