じじぃの「人の死にざま_878_T・ベイズ」

トーマス・ベイズ - あのひと検索 SPYSEE
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Bayes' Theorem Introduction 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=0NGmrwu_BkY&feature=related
Bayes Theorem with Mario Kart 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=wxmNvH7XBOA&feature=related
トーマス・ベイズ ウィキペディアWikipedia)より
トーマス・ベイズ(Thomas Bayes、1702年 - 1761年4月17日)はイギリスの長老派の牧師・数学者である。ベイズの定理の特殊な場合についての証明が死後発表されたことで知られる。
トーマス・ベイズはロンドンで生まれた。1719年に論理学と神学を修めるためにエディンバラ大学に入った。国教徒でなかったために、オックスフォード大学やケンブリッジ大学には入れなかった。
ベイズの定理 ウィキペディアWikipedia)より
ベイズの定理(Bayes' theorem)とは、1763年に発表された確率論の定理である。今日では、いくつかの未観測要素を含むコンピュータによる推論等に応用され、迷惑メールの発見・分類といった作業の自動化(フィルタリング)といった情報工学上の情報ふるい分けに利用されている。

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『たまたま――日常に潜む偶然を科学する』 レナード・ムロディナウ/著 田中三彦訳/ ダイヤモンド社 2009年発行
ベイズの地味な人生と、一片の論文 (一部抜粋しています)
ベイズの存在そのものを疑うものがいても当然ではある。というのは、ベイズは存命中にただの一篇の科学論文も出していなかったからだ。彼の生き様についてわかっていることはほとんどないが、彼はたぶん自分自身の楽しみのために研究をしていて、それを他人に伝える必要性をあまり感じていなかったのだろう。
その点と他のいくつかの点で、彼とヤーコプ・ベルヌーイとは正反対だった。たとえば、ベルヌーイは神学の研究に逆らったが、ベイズはそれを信奉した。またベルヌーイは名声を求めたが、ベイズはそういうことに少しも関心がなかった。そしてもう1つ、ベルヌーイの理論は、たとえばバランスのとれたコインを多数回投げる場合オモテが何回出ると期待できるか、ということに関する理論だったが、ベイズはベルヌーイのもともとの目標を、つまり、ある数だけオモテが出た場合、そのコインはバランスがとれているとどれほど確信できるか、という問題を研究した。
今日ベイズの名を知らしめている理論がはじめて日の目を観たのは、1763年12月23日、やはり牧師で数学者だったリチャード・プライスが、イギリスの国立科学アカデミーである「ロイヤル・ソサエティ」に提出された一篇の論文を読んだときだった。ベイズによって書かれたその論文は「確率論の問題の解への小論」と題され、1764年にロイヤルソサエティの会報『フィロソフィカル・トランザクション』に掲載された。ベイズが遺書の中で100ポンドとともにその論文をプライスに託していたのだ。プライスを「ニューイングトン・グリーンの牧師ですね」と呼び、その遺書を書いて4ヵ月後、ベイズは死んだ。

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