じじぃの「人の生きざま_554_野中・広務(政治家)」

安倍政権の沖縄差別(野中&古賀) 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=de2PkTzqGmw
野中広務 ウィキペディアWikipedia) より
野中 廣務(のなか ひろむ、1925年(大正14年)10月20日 - )は、日本の政治家。
京都府船井郡園部町長、京都府副知事、衆議院議員(7期)、自治大臣(第48代)、国家公安委員会委員長(第56代)、内閣官房長官(第63代)、沖縄開発庁長官(第38代)、自由民主党幹事長などを歴任。

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『私の「戦後70年談話」』 岩波書店編集部/編 岩波書店 2015年発行
政治家は過去と謙虚に向き合え 野中広務 (一部抜粋しています)
いま、政治家全体が世代交代して、「戦争」というものの本当の厳しさだとか残酷さだとか、あるいはわが国が戦争で中国や東南アジアの国々にどのような傷跡を残したか、どのような犠牲を払ってきたかをわからない人たちばかりが政治をやっています。
若い時から自分の目で事実を確かめてきた自分たちと、いまの政治家たちとは、認識のギャップが大きすぎます。それと今は自分の意見をはっきりと主張する政治家がほとんどいない。だから安倍さんがこの国をどのような方向に持って行こうとしているのか、そのことすらよくわからないのがいまの状況なのに、正面から党内で意見を述べ、闘いあう勢力がまったくおりません。
中国・韓国との関係はどの国よりも大切にしていかなければいけない。日本が中国で行ったあの戦争の大きな犠牲と傷跡をどう修復していくか、どのように信頼関係を構築していくか。植民地支配を行った韓国に対しても同様です。
私が子ともの頃、家のほど近く、300メートルばかり向こうの山のところで造兵隊(軍隊直轄の工場)が武器の製造をやっておった。朝鮮半島から日本に連れてこられた人たちが宿泊所を出て私の家の前をいつも通ってそこへ向かっていました。日本人が鞭でバーン! としばいて、彼らが血を流しながら連れて行かれる様子を眺めていました。家の近くにはマンガン鉱もあって、そこでも朝鮮半島の人たちが大勢採掘作業に従事させられていた。それが植民地支配の実態なんだ。
従軍慰安婦問題についても、もっと謙虚に向き合わないと、僕が現職の時にアジア助成基金(財団法人女性のためのアジア平和国民基金)ができて、原文衛参院議長を理事長として、民間にも協力して、もらって、台湾、フィリピンなどに償い事業を行ってきました。韓国は、当時ほとんどの女性が家庭に入って、過去のことを告げずに平和な家庭を築いていた時だから、自分から名乗って見舞金を受け取るということはほとんどなかった。また、韓国国内からも、「もらったらいかん」という話があって、多くの人が見舞金をもらっていない。
だけど、あったことだけは事実なんだ。僕らは戦争から帰ってきた人たち、特に中国から帰ってきた人たちから、情けないような話を自慢たらしく聞かさせましたよ。
沖縄は、日本で唯一戦場になった場所です。県民10万人余りが犠牲となり、見るも無残な戦場になってしまった。沖縄は戦争が終って70年たつのに、いまも米軍基地の74パーセントがあり、沖縄のいい場所が全部アメリカの基地にとられているんです。そういう沖縄の人たちの気持ちを謙虚に受け止めようとしない、いまの政治(家)は何を考えているんだと思うんです。
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僕のように、沖縄の基地問題のこれまでの長い経緯を少しでも知っている者としても、なぜ県民に説明もなく変節したのか、情けなく強い憤りを感じています。
いろいろな経緯がありましたが翁長さんが辺野古移設反対を掲げて県知事選挙を闘ったのは、沖縄の人なら当然のことだと思うんです。結果としても当然すぎる結果が出ました。仲井真さんが翁長さんを知事にしたようまものです。
沖縄の民意がああいう形で示された以上、翁長さんが中央に行ったら、謙虚に挨拶を受けるのが民主政治の基本です。それを、二度も断る。あんな失礼なことがあっていいのか。やはり、これからは丁寧に対話を積み上げて正常化を図ってくれなければ双方によって不幸な時間が過ぎるだけです。