じじぃの「歴史・思想_56_消された歴史・朝鮮人特攻隊員」

朝鮮人特攻隊員

朝鮮人特攻兵 光山文博(本名・卓庚鉉)大尉

2016-10-30 aoiwasi-k135のブログ
知覧基地から飛び立ち、散華された特攻隊の中に、光山文博(本名・卓庚鉉)大尉がおいでになります。
朝鮮人です。
https://ameblo.jp/aoiwasi-k135/entry-12214692559.html

『「親日派朝鮮人 消された歴史』

拳骨拓史/著 PHP新書 2019年発行

靖国神社に祀られた朝鮮人 より

戦没者をすべて神として祀るということは、たしかに近代以降の大きな変革であったが、わが国のそれ以前の「神」という定義を考えれば、その範疇を大きく逸脱したものだとは言えないであろう。むしろ自国を護るために殉じた人々に対し、等しく感謝の念を捧げることはわが国の「神」とするに相応しいことなのである。
しかし現在、中国、韓国の一部は靖国神社に対して軍国主義の象徴だと不快感をしめし、首相や政治家が参拝することを抗議し、中止することを求めてきている。
最近では靖国神社の境内に爆弾を仕掛けたり、放火しようとしたりして、逮捕者まで出る始末である。
わが国でも次のような意見を述べる者もいる。
  朝鮮人特攻戦死者は、韓国では社会的に受け入れられず、法律によって被害者になることができない構造にあることから、行き場がない状況にある。一方、日本では、一部の日本人によって顕彰され、加害者の仲間にされ、結果的に「特攻の価値を高める」ために利用されている状況である。
  この事態を打開するためには、まず、日本人の側が朝鮮人特攻戦死者を他者であると認め、包摂(ほうせつ)と支配から解き放たなければならず、韓国社会が、彼らを被害者と認め、受け入れうことが必要となる。
       (山口隆『他者の特攻―朝鮮人特攻兵の記憶・言説・実像』 社会評論社
だがこれは極めてうがったものの見方である。私たちは特攻の価値を高めるために、朝鮮人特攻隊を顕彰しようとしているのではない。命を棄てて尽くした人々への「感謝」を捧げようとしているのだ。われわれ日本人にために、自らの血を流して戦死した彼らを、省みることもなく打ちすてて良いものだろうか。「後のことはお願いします」と彼らはいい、「心配するな」と日本人は叫んだ。にもかかわらず彼らを棄てるというのは最早、人間の所業ではない。
仮にわが国が彼らへの感謝を棄てたとしても、韓国は朝鮮人特攻隊を受け入れることは当面はありえないだろう。さすれば私たちは忘恩の徒となり、朝鮮人特攻隊は”行き場がない”まま韓国の「怨霊」として捨て去られるだけに過ぎない。
彼らは「植民地支配をした日本軍国主義の象徴だ」「(韓国にとっての)売国奴が祀られている」などと批判をするが、当時は韓国という国は存在せず、朝鮮統治している国は日本しかなかった。その時代において日本に殉じた人々を「売国奴」と呼ぶことは果たして正しいのであろうか。
わが国も戦後、サンフランシスコ講和条約終結まで、アメリカの支配下に置かれることになった。だがその際、アメリカによる統治の方針に従った人物たちを「売国奴」などとは呼ばない。今にして思えば、至らない点もあったのは事実だが、一部を除けば厳しい占領下において彼らなりの愛国心を発露して向き合ったはずである。
韓国は国際社会における不可抗力の存在を認め、自国の歴史を見つめなおす必要がある。
「ダマされたというのは、人間に対しての屈辱です」
     ・
私は(韓国で通訳していた)張志学さんに単刀直入の質問を試みました。
大東亜戦争をどう思っていますか」
その時、草開氏(引用者注 草開省三氏)は私に目配せしました。韓国人にそんな質問をしても、答えられるはずはないではないか、という合図なのです。すると張さんは、「よい質問だが、私には難しいですね」と、さりげなくかわしながら、次のような話をしてくれました、
「いつか日本の方々にはお知らせしたいと思っていた話があるんです。是非聞いてください。実は、私は教頭になる前に視学官をやっていました。各地を巡回していた時、韓国では珍しい女性の小学校長を訪ねたことがあります。その校名は本人に迷惑がかかるといけないので、まだ発表できません。なかなか立派な人柄で、男性教師からも尊敬されていました。ところがその校長は未亡人で、子供がいないのです。校長のご主人は、どんな人だったと思いますか。韓国ではあなり吹聴できませんが、実は特攻隊員として、沖縄で戦死したんです。そのご主人は航空隊員になると、死を覚悟してたんでしょう。出身小学校を訪ねて、校庭に桜の気を植えたんです。その桜は今は大きな樹に成長しています。未亡人は奇しくもご主人が桜を植えた学校の校長として赴任したんです。校長は言っていました。『寂しい時は桜の木の下に立つと心が休まる』と。
 私はこの話を日本人に知って貰いたいと思って、ソウルにいる日本の新聞記者にそれとなく知らせました。朝日新聞の記者が、早速小学校長を取材しました。校長は記者を桜の木の下に案内しました。すると記者は『日本の軍国主義が、ご主人をダマして申し訳ないことをしました』と言ったのです。いつもは謙虚な校長でしたが『ダマした』という言葉には激怒しました。
 『私の主人はダマされるような人ではありません。自分の意志で出撃したんです。ダマされたというのは、人間に対しての屈辱です。取材はお断りです』と。これが私の大東亜戦争観です」
張さんはこの秘話を紹介しながら、あとは何も語りませんでした。私は余韻を持たせる解答にうなりました。
大東亜戦争を評価し出したら、どんなことでも言えましょう。特に当時の朝鮮の人々にとっては複雑で一言で尽くせるものではありません。我々は評論する前に、このように生きた人々の心を深く偲びたいものです。  (名越二荒之助編著『日韓共鳴二千年史』明成社