じじぃの「神話伝説_110_主はいのちを(賛美歌)」

主はいのちを与えませり 新生讃美歌626番 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=0_GottF1IVE
"I gave My life for thee" 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=Mu5c86EUGtA
「主は命を」
http://sanbika.net/Sacrifice.html
『賛美歌・聖歌ものがたり―疲れしこころをなぐさむる愛よ』 大塚野百合/著 創元社 1995年発行
ハヴァーガル 「主はいのち」 (一部抜粋しています)
世界中で愛されている賛美歌332番「主はいのちを 与えませり」を書いたフランシス・R・ハヴァーガル(1836〜79)は、厳しいほどに自己を神に捧げた女性であり、それゆえに優れた賛美歌作家になった人として知られています。ところが、彼女の生涯を詳しく調べてみますと、賛美歌から受ける印象とはまったく違った人間像が浮かんできます。39歳のとき、兄フランクの牧師館にしばらく滞在したある日、ガーデン・パーティに出席していた彼女の顔が、不思議なほど幸福に輝いていたので、ある見知らぬ男性が彼女に話しかけて、その幸福の秘密を知ろうとしたという逸話が残っています。そのとき、彼女は、大病がやっと治ったばかりの病弱な独身女性で、常識では、幸福に輝いているはずがなかったのです。彼女の幸福の秘密を、その生涯を通して探ってみましょう。
ハヴァーガルについては、その生涯の輪郭しか今まで紹介されていませんので、長い間わたしは、彼女を優等生的なキリスト教徒で、人間味の少ない女性であるという偏見をもっていました。ところが、幸いなことに、1982年に1年間イェール大学神学部に研究員として留学した時、彼女の手記と手紙などを、その姉マライアが編集し、解説をつけた貴重な書物に出会い、それをコピーしました。
彼女は、1836年12月4日、英国ウースター州アストレーの牧師館に三女二男の末っ子として生まれました。父のウィリアムは、英国国教教会の牧師でしたが、音楽的才能に恵まれ、賛美歌の作曲、編曲をしており、賛美歌31番、60番や132番の「めぐみにかがやき あいにかおる」、聖歌151番、587番などをてがけています。彼が編集して出版した賛美歌集は、当時の教会音楽に新しい命を注いだと言われています。
この父から音楽の才能を受け継いだフランシスは、ヘンデルメンデルスゾーンベートーヴェンの曲をピアノで演奏する時、それぞれの曲を生かす素晴らしい演奏をすることができました。とくに、ベートーヴェンの「月光の曲」の演奏においては完璧であったといわれています。それに加えて、彼女は、豊かな美しい声に恵まれ、フィルハーモニック・ソサイエティのコンサートにおいても、独唱者としてもてはやされるほどでした。
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ところで、20歳のフランシスは、どんな女性であったのでしょうか。人生の問題で煩悶する深刻さがあったので、さぞかし、きまじめな表情をしていた陰鬱な人と思われるでしょうが、そうではなかったのです。アイルランドから来て、彼女に初めて会ったある女性は、彼女の印象をこう語っています。「彼女が小鳥のように部屋に飛び込んでくると、太陽の光がぱっと射し込んだように明るくなりました」と。彼女は、その顔に、言葉に、立ち居振る舞いに、喜びを放射していたというのです。
そのフランシスが21歳のころ書いたのが、賛美歌332番「主はいのちを 与えませり」(聖歌157番、教会賛美歌389番、古今聖歌集382番、383番)です。彼女が書いた初行は、イエスが彼女に向かって、「私はあなたのために命を与えた(I gave my life for thee)」でしたが、教会の礼拝で歌う場合にはこのままでは困るというので、「あなたの命は私に与えられた」に変更されました。聖歌157番だけが、彼女が書いた初行を生かしています。直訳してみます。
1、私はあなたに私の命を与えました。私の貴い血を流したのは、あなたが贖(あがな)われ、死から蘇るためなのです。私はあなたのために私の命を与えました。ほんとうに与えたのです。あなたは私のために何を捧げましたか?
2、私はあなたが表現できないほど、苦しみました。あなたを地獄から救うために最もむごい苦悩を味わいました。それはみな、あなたのためでした。あなたは私のために何を苦しみましたか?
3、私は、天の住家から、あなたに完全な、無償の救いをもたらしました。私は豊かな賜物をあなたに与えました。あなたは、何を私に捧げましたか?
ドイツのデュセルドルフの美術館にシュタンバーグという画家の「エッケ・ホセ」(「この人を見よ」という意味のラテン語)という絵があり、その実物か、または複製を彼女が見て感動し、それを想起してこの歌を書いたという説があります。これは十字架にかかっているイエスの絵で、その周りにラテン語で「私はあなたのために命を捨てた。あなたは、私のためになにをしたか」と記してあるそうです。彼女は、この町に留学していましたから、その絵を見たでしょうが、手記には、何もそれらしきことは記していません。彼女は、祈りの時、イエスが彼女に「私は、あなたのために命を捨てましたが、あなたは、何を私のために捨てたのか?」と語りかけられるのを聞いて、この歌を書いたのでしょう。十字架にかかって命を捨てたもうたのが、まさに自分のためであったと信じて、その恵みに圧倒されていたのです。
この歌を無価値のものと思った彼女は、これを暖炉にくべたのですが、たまたま風でそれが焼けずに戻ってきたので、そのまましまっていました。それを読んだ彼女の父が、良い歌だと言ってくれたので、彼女は、それを保存する気になったそうです。彼女の魂に語りかけられたことを書きしるした歌を、世間に発表することは、彼女にとって、気恥ずかしいことでした。この歌を見ると、彼女の幸福の秘密は、イエスが命を捨てるほどに自分を愛しておられることを彼女が信じたことにあるようです。
この賛美歌には、アメリカの19世紀の優れた讃美歌作曲者フィリップ・P・プリスの曲が付けられています。プリスは、ハヴァーガルのように、神に完全に献身した人間であり、そのことに最高の喜びを感じていた音楽家、または伝道者であったので、この歌の言葉に感激しながら曲を作ったはずです。