じじぃの「神話伝説_101_イエスとキリスト教会」

池上彰の世界を変えた本 日本人が知らない聖書の謎 2015年07月04日 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=KP8d5XSHqn4
イエス・キリスト

イエス・キリスト ウィキペディアWikipedia)より
イエス・キリスト(紀元前4年頃 - 紀元後28年頃)は、ギリシア語で「キリストであるイエス」、または「イエスはキリストである」という意味である。すなわち、キリスト教においてはナザレのイエスイエス・キリストと呼んでいるが、この呼称自体にイエスがキリストであるとの信仰内容が示されている。
【イエス伝】
エスガリラヤ地方のナザレで育つ。ルカの福音書によれば、大変聡明な子であったという。
自らをユダヤ人の王であると名乗り、また「神の子」あるいはメシアであると自称した罪により、ユダヤの裁判にかけられた後、ローマ政府に引き渡され磔刑(はりつけ)に処せられた。

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イザヤ書を読む 旧約聖書5』 本田哲郎/著 筑摩書房 1990年発行
預言者イザヤの召命とその頃になされた預言 より
アラム(ダマスコ)に対する侵略は、翌年の前732年に行なわれたようです。メソポタミアのカラで発見されたアッシリアレリーフには、バシャンの首都アシュタロテの住民の捕囚の状況が描かれています。
イスラエル王国のうち征服された部分は3つの属州に分割され、アッシリア人総督が公邸を置く町の名を取って、それぞれドル(ヨッパから北の海岸地方)、メギド(イエスの時代のガラリア地方)、ギレアド(2つの湖に挟まれたヨルダン川東部)と名づけられました。
その後間もなく、前727年、アッシリア帝国の虎ティグラド・ピレセル3世は死に、北の脅威がしばし薄らぎました。ちょうどこの時期になされたイザヤ預言は、彼の預言集の中で最も希望と力に溢れたものの1つに数えられる、よく知られたメシア預言です。
 先に
 ゼブルンの地、ナフタリの地は辱めを受けたが
 後には、海沿いの道、ヨルダン川のかなた
 異邦人のガリラヤは、栄光を受ける。
 闇の中を歩む民は、大いなる光を見
 死の陰の地に住む者の上に、光が輝いた。
 あなたは深い喜びと
  大きな楽しみをお与えになり
 人々は御前に喜び祝った。
 刈り入れの時を祝うように
 戦利品を分け合って楽しむように。
 彼らの負う軛を、肩を打つ杖、虐げる者の鞭を
 あなたはミディアンの日のように
  折ってくださった。
 地を踏み鳴らした兵士の靴
 血にまみれた軍服はことごとく
 火に投げ込まれ、焼き尽くされた。
 ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。
 ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。
 権威が彼の肩にある。
 その名は、「驚くべき指導者、力ある神、
 永遠の父、平和の君」と唱えられる。
                   (8・23b - 9・6)
この預言は、北王国イスラエルの北部、後のイエス時代のガリラヤに焦点が当てられています。アッシリアによって侵略され、その属州に組み入れられ、植民政策によって住民の大部分が入れ換えられてしまった地域です。

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キリスト教の本 上 救世主イエスと聖書の謎を解』 増田秀光/編 学習研究社 1996年発行
キリストになったイエス イエスは自らキリストになったのか より
「キリスト」とは固有名詞ではなく、本来はヘブライ語のメシア(油を注がれた者の意)のギリシャ語訳である。
古代以来のイスラエルの伝説では、イスラエルの民が危急存亡に直面したときに、人々を救うために、特別な才能や力を持つ者に油を注ぎ「聖別」した。それゆえ、メシアは複数いたし、当然人間であった。
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「人の子」という言葉が、メシア的なものとして用いられることもあった。とにかく、メシアのギリシャ語訳である「キリスト」の待望は、イエスが生まれる200年も前からあったのである。
ナザレのイエスは、キリスト教会によって「キリスト」と信じられるようになったが、それだけであればまだユダヤ教の枠内に留まることができた。しかし、キリスト教会はイエスを、唯一絶対で最終的、超人間的な存在に仕立て上げていったので、いかなる意味でも人間を神格化することを厳禁していたユダヤ教から、排除されることになったのである。
そういう特殊な意味でイエスをキリストとする者たちが、ユダヤ教共同体から排除されたのは、紀元80年代の末期からであった。
さて、イエスは自分を「キリスト」と意識していたであろうか。
エスは、自分のことを「人の子」という言葉で述べたこともあるようだし、その生涯の終わりに近い頃には、一種の高揚した使命感から自分を特殊な者と感じたこともあったかもしれないので、絶対とはいえないが、大方(おおかた)の学者は、イエスが自分をメシアと宣言したことはなかったと推測している。少なくともイエスは、自分を超人間的な存在だなどと意識していたことはなかった。
福音書は、この問題については微妙なずれを示している。
「マルコ書」8章27節以下には、イエスが弟子たちに自分をどういう者だと思っているかを尋ね、ペテロが「あなたはメシアです」と告白する記事がある。それに対するイエスの対応は冷やかで特徴的だ。「自分について、そのような仕方で話してはいけない」と「叱った」のである。しかもイエスは、すぐその後でペテロを「サタンよ、引き下がれ」と再度「叱って」いる。到底ペテロの告白を祝福しているとは読めない。この「叱る」という動詞は、「マルコ書」においては常にイエスが悪霊を追い出すときに使う動詞であることも、イエスの否定的態度を傍証しているといえよう。
「マタイ書」の並行記事(16章13節以下)では、ペテロはイエスのことを「あなたはメシア、生ける神の子です」ときわめてユダヤ教的な称号をもって称(たた)えているし、イエスはそのペテロを祝福し、ペテロの上に「教会」を建てるなどと言い、さらに神(あるいはキリスト)の代理人としての「天国の鍵」をペテロに授けるという展開になっている。
「マルコ書」のほうのイエスの対応とはあまりにも対照的で、もう教会ができて相当の時間が経っている時代の思想を反映しているといえよう。
ローマ・カトリック教会は、この「マルコ書」の記事を都合よく改竄した「マタイ書」の創作にもとづいて、ペテロを第1世代の教皇とするという伝承を発展させたのであるが、史実的な根拠はまったくないのである。
また、「マルコ書」で、イエスが自分のことをメシアであるなどとは誰にも語るなと、弟子を叱った記述に対して、「マタイ書」と「ルカ書」は、イエスが「キリストであること」を誰にも言ってはいけない、となっている。さらに「ルカ書」では、イエスがそのすぐ後に、自らの受難・処刑・復活を予告さえしているのである。
エスは自分を「よき者」とは呼ばせず、また、「キリスト」をユダヤ的メシア待望と結びつけて「ダビデの子」と呼ぶことも否定してもいた(マルコ書)。
これらのことを考え合せると、イエスは後の教会がいうような意味でのメシア=キリスト意識を持っていなかったと思わざるをえない。イエスは誰か、と問うならば、イエスはイエスであり、何か既存の観念をもってイエスを把握し切ろうとするのは、やはり無理なのである。