じじぃの「神話伝説_76_原始キリスト教(聖書)」

池上彰の世界を変えた本 150704 聖書 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=q1m9cFf9AmE
新約聖書ギリシャ語で書かれた

ヘレニズム諸国

キリスト教の原典の聖書が、ギリシャ語なのですが、なんでですか? 2005/10/27 Yahoo!知恵袋
回答
よく知らないけど、原典の定義は何でしょうか。ヘブライ語なんかもあったんじゃないかなあ。いずれにせよ、当時(BC〜AD前後)の地中海や小アジア、アフリカ、イベリア半島など、場合によってはガリア地方も含めて、国際的共通語はギリシャ語でした。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q116678396
<講釈> 星の導き - 落ち穂拾い<キリスト教の説教と講釈> 2007-12-31
一応、マタイ福音書の著者を「マタイ」と呼ぶことにする。マタイについて、先ず述べておかねばならない点は、彼はヘレニズム的ユダヤ教的教養人であり、かなり意識してユダヤ教の伝統を保存しようと努力している。
この点については、田川建三氏は「彼のギリシャ語は、いかにもユダヤ教知識人のギリシャ語である。中身をぬきにして、文章だけ読んでいても、いかにもユダヤ教の言葉づかいというのがひっきりなしに出てくる。けれども、他方この人も明瞭にヘレニズム都市のユダヤ人であろう。文法的、文体的にはすらすらときれいに書かれたギリシャ語である。内容、表現共にいかにもユダヤ教的色彩に満ちているけれども、ギリシャ語としてはきっちりしたぎりしゃごなのである」(「書物としての新約聖書」346頁)という。
実際にマタイ福音書を読む前にこの福音書の主張や思想を論述することは避けたい。むしろ、それは読んだ後に考えるべきことである。ただ、ここではマタイ福音書を書いたマタイの背後には、かなり明白に「マタイ集団」とでもいうべき共同体があったものと思われる。その共同体にはかなり明白に対立する組織があり、この福音書はその組織との対立・抗争の中で書かれたであろう。その対立する組織とはユダヤ教団に属するものもあり、そこから離れた組織もあった。要するに、その頃にはユダヤ教団をめぐって、かなり複雑な離合分裂がなされた。そして、最終的にはエルサレムの都市と神殿とは徹底的に破壊された。
http://blog.goo.ne.jp/ybunya/e/8936cb41436aa7a16c94d0322cab8ccf
新約聖書 ウィキペディアWikipedia)より
新約聖書』(ラテン語: Novum Testamentum)は、紀元1世紀から2世紀にかけてキリスト教徒たちによって書かれた文書で、『旧約聖書』とならぶキリスト教の正典。
伝承によれば、もっとも早い時期に書かれたのはパウロの手紙であり、最後に書かれたのは使徒ヨハネの書いたヨハネ文書であるという。使徒ヨハネは長命し、100年ごろ死んだという伝承があるが、史的裏づけはなにもない。エイレナイオスは185年に「マタイ福音書とマルコ福音書はペトロとパウロがローマに滞在中に書かれた」というが、それに従うと60年ごろになる。『ルカ福音書』はそれよりわずかに後に書かれたという。現代においてこのような見方を支持するのは聖書の無誤性を信じる聖書研究者たちである。

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『Mr.都市伝説 関暁夫の都市伝説5 メディアの洗脳から覚めたみなさんへ』 関暁夫/著 竹書房 2014年発行
エスキリスト教を作ってはいない より
みなさん初代ローマ法王は誰なのかご存知ですか?
それはイエスの12人の高弟、つまり十二使徒の一人、ペテロなのです。もちろんその時代にはまだカトリックという呼び名もなく、ローマ法王庁などと呼ばれる組織もありませんでした。しかしカトリックではペテロを初代法王として、ペテロが率いた最初期のキリスト教団を引き継いでいるのは自分たちだと自負しているのです。
ペテロと同じ頃にキリスト教団で活躍していた人物にパウロという人がいました。この頃のキリスト教団は主に3つのグループに分かれていました。エルサレムを中心としたグループ、ローマ帝国内のユダヤ人を主な布教対象としたペテロのグループ、そして非ユダヤ人を布教対象としたパウロのグループです。
パウロは生前のイエスに会ったことはなく、イエスの教えを直接聞いたことはありませんでした。彼はイエスの教えを他の信徒から聞かされることになるのですが、それはあまりにユダヤの影響が強いものでした。そもそもイエスユダヤ人であり、その弟子たちもみんなユダヤ人です。その中から教えが生まれたのですから当然ですね。
しかしそのままではユダヤ人の習慣と無縁な非ユダヤ人には教えが伝わりません。そこでパウロはイエスの教えを再解釈して、イエスの教えの中からユダヤ教的な部分を変えてしまうのです。
今ではどれだけ正確にイエスの教えを伝えているのかは、誰にもわからないでしょう。しかしペテロとパウロこそが、現在のキリスト教を作ったということだけでは間違いありません。ふたりが都合よく作り変えたとも言えるかもしれません。

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『書物としての新約聖書 田川建三/著 勁草書房 1997年発行
新約聖書の言語――新約聖書のすべての文書がギリシャ語で書かれているという事実は何を意味するのか―― より
これは奇妙な事実である。何故奇妙かというと、イエス自身も、イエスの死後にキリスト教会を作り出した彼の弟子たちも、ギリシャ語を母語としていたわけではないからである。ギリシャ語を一言も知らなかったということはないだろうけれども、もしも知っていたとしてもかなりたどたどしく、とてもギリシャ語で書物を書くなどという実力はなかったと思われる。つまり、「初期」キリスト教は、最初期のキリスト教徒たちの言語ではない別の言語でもって自分たちの文書を作り出していったのである。とすると、新約の諸文書を作り出した「初期」キリスト教と「最初期」のキリスト教との間にはすでに1つの大きな落差を考えないといけない、ということになる。
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マタイは、まさに意識した努力において、ユダヤ教の伝統を保存しようとする。妙に言葉づかいにおいてそうである。だから彼のギリシャ語は、いかにもユダヤ教知識人のギリシャ語である。中身をぬきにして、文章だけ読んでいても、いかにもユダヤ教の言葉づかいというのがひっきりなしに出て来る。けれども、他方この人も明瞭にヘレニズム都市のユダヤ人であろう。文法的、文体的にはすらすらときれいに書かれたギリシャ語である。内容、表現共にいかにもユダヤ教的色彩に満ちているけれども、ギリシャ語としてはきっちりしたぎりしゃごなのである。もっとも、次のルカと同じで、資料としてマルコ福音書とQ資料を用いているから(この場合の「資料」というのは、単に参考文献などという程度ではなく、その資料の文を、ほんの僅かに修正を加える程度で、右から左に書き写すのである)、その文章に引きずられて、いかにもぎこちないギリシャ語になっているところも多いけれども、それでも、マルコと比べれば、マタイやルカは、マルコの「下手な」ギリシャ語をともかくもギリシャ語の書物としてもさまになるように苦労して多く修正する努力をしていることが一目瞭然に知ることができる。