JESUS DIES ON THE CROSS | Crucifixion of Jesus | Good Friday | Bible for kids | New Testament
Paul
Jesus Visits Paul in Prison
December 28, 2013
If Jesus isn't God, how was He able to stand beside Paul and encourage him at a time when Paul was enduring great persecution for preaching the Gospel?
And this, about 28 years after Jesus' crucifixion, death, resurrection and ascension into heaven.
https://apologika.blogspot.com/2013/12/jesus-appears-to-paul-almost-3-decades.html
パリサイ派 コトバンク より
パリサイ人、ファリサイ派、ファリサイ人ともいう。前2世紀のマカベア戦争直後から紀元1世紀頃にかけて存在したユダヤ教の一派。語義は「分離した者」。
ハシディーム派の敬虔な一派が祖という。律法厳守に徹して民衆や他宗派に接せず、ユダヤ教の創始者エズラに従い、口伝律法も成文律法と同様に権威を有するとしてその拘束性を主張。サドカイ派と異なり、非ユダヤ的なものに反対し、熱心党が目指したような政治闘争には加わらず、死後の応報、肉身のよみがえりを信じ、自由意志と予定の結合を唱えた。キリストの教説に反対し、福音書では偽善者と非難されるが、宗派としては純正な立場をとりシメオン、ザカリアス、パウロなどすぐれた人材を擁していた。前2世紀から紀元 70年のエルサレム陥落まで勢力を保ち、ヘロデ大王の頃 6000人に達したという。しかし 70年以後も残存し、ラビの思想に影響を残した。
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反抗的な長老イエス より
イエスの教義に非常な脅威を感じ、聖書の規定にしたがってイエスを死刑にするのを望んだが、神殿の祭司たち、シャンマイ派のファリサイ人たち、そしてサドカイ派の面々であったのは疑いがない。しかし罪を犯したかどでイエスを有罪にするのは、不可能であった。少なくとも後世マイモニデスが編纂したユダヤ法典に従うかぎり、無理である。いずれにせよ、ユダヤ人が死刑を執行する権限を有しているかどうか、明白でなかった。こうした疑念に対処するため、イエスはローマ人の総督ピラトのもとへ国家犯罪人として送られる。この罪状の根拠となる証拠は、メシアを名のる人物が遅かれ早かれ反乱を引き起こすものだという公式論以外、何もなかった。しかしユダヤ聖職者たちの手に餘メシア僭称者(せんしょうしゃ)は、通常ローマの当局者へ引き渡されることになっていた。
ピラトは証拠不十分のままイエスを処刑するのをためらったが、政治的理由からあえてこれを行なう。したがってイエスはユダヤ法により石投げの刑で殺されたのではなく、ローマ人により十字架へはりつけにされて処刑された。新約聖書の福音書に記されたイエスの裁判をめぐる状況は、変則的でつじつまがあわないかもしれない。しかし当時の裁判に関する情報はもともとほとんどなく、そのすべてが変則的に見えるのも確かである。
パウロが奪ったユダヤ普遍主義 より
大事なのはイエスがどのように死んだかではなく、イエスのよみがえりがますます大勢の人々の間で、広く頑なに信じられたという事実である。このことは、ただ、単にイエスの道徳的倫理的教えにとってだけでなく、自分こそ「苦難の僕」であるというイエスの主張とその特別な終末論にとって、きわめて重要な意味をもった。イエスに直接従った弟子たちは、その死と復活を「新しい契約」、すなわち神の計画の証(あかし)として重要視する。各個人はイエスの死と復活を基礎を基礎として、神との新しい契約を結ぶことができるのである。しかしこの福音を広めるために彼らがなしえたのは、イエスの言葉を繰り返し、イエスの生涯について語り継ぐことしかなかった。
本当の伝道活動は、タルソスぼパウロによって開始される。この人物はキリキア地方の離散ユダヤで、家族はもともとガリラヤ出身であり、パレスチナへ帰還して長老ガマリエルのもとで学んだ経歴をもっている。ファリサイ派の学問的訓練を受けていたため、イエスの神学を理解することができた。そしていったん復活が事実であり自分がキリストであるというイエスの主張が本当だという確信を抱くと、その神学を説明しはじめた。しばしばキリスト教を「発明」したのはパウロだという主張がなされる。ギリシャ化した離散ユダヤ人の知的観念を導入した新しい神学に、キリストの倫理的教えを獲り込んだのだというのである。
パウロによる「肉」と「霊」の区別は、フィロの肉体と精神の二分法と比較される。またパウロが「キリスト」と呼んだものは、フィロの「ロゴス」に近いものだとも論じられる。しかしフィロが展開したのは抽象論である。これに対しパウロにとってキリストは現実であった。フィロが肉体と精神と呼んだのは、人間性に固有な内部的葛藤のことである。一方、霊と肉という言葉を用いて、パウロは外在的現象の世界について語った。すなわち人は肉であり、霊は神すなわちキリストなのである。
本当はイエスとパウロと、どちらもパレスチナのユダヤ教にその思想の根源を置いていたようである。どちらもギリシャ化した離散ユダヤ人の思想を導入してはいない。両者とも新しい神学神学を説き、その間に基本的な差はない。多くの者のために血を流し、よみがえることによって新しい契約が結ばれることを、イエスは預言した。そしてパウロはこの預言が成就したことを、キリストがイエスという人間に受肉したことを、それによって新しい契約が樹立され信仰をいだく者へ提供されたことを教えたのである。
イエスもパウロも、律法の道徳的倫理的な価値を否定したわけではない。ただ時代遅れだと両者が感じた歴史的しがらみから、その本質を解き放ったまでである。行ない(つまり律法の遵守)による救済ではなく、神の恩寵による救いをパウロが説いたのだとする解釈は、あまりに荒っぽい過度の単純化であろう。正しい行いは新しい契約にふさわしい資格をもち続けるための条件ではあるけれど、それだけでは救済は得られない。救いを得るためには恩寵を受けねばならないと、パウロは述べた。
宗教をさまざまな事件の歴史的な展開ととらえた点で、イエスとパウロはどちらも真のユダヤ人である。しかしさらに1つ新たな事柄を加えることによって、2人はもはやユダヤ人ではなくなった。パウロが言ったように、キリストがイエスにおいて受肉したとき、トーラーの基盤そのものが否定された。神がユダヤ人と結んだ契約こそが、かつては神の恩寵を受ける手段ではあった。しかし、もうそれは正しくないとパウロは宣言する。神の計画が変ったのである。救済の道は今や新しい契約、つまりキリストへの信仰にある。アブラハムに対してなされた約束は、これからはその子孫ではなく、キリスト教徒に対して適用される。「あなたがたがもしキリストのものならば、アブラハムの子孫であり、約束による相続人なのである」(ガラテヤの信徒への手紙3章29節)。
イエスが挑戦し、パウロがはっきりと否定したのは、ユダヤ教の根本的な救済の過程、すなわちユダヤ人の選び、神との契約、律法である。この過程はもはや機能せず、破棄され、終了した。新しい神学的発展の複雑な過程は、次のように一言でまとめられるであろう。すなわちキリスト教とは、イエスが創造し、パウロが説いた宗教に他ならない。
こうしてキリストとキリスト教徒たちは、ユダヤ教からその潜在的かつ伝統的な普遍性を継承した。イエス・キリスト自身が、「他のすべての氏族はあなたによって祝福される」(創世記12章3節)という予告にしたがって、神の使命を果たそうとしたのである。パウロはこの福音を離散ユダヤ人へ、そして彼らと軒を接して住む非ユダヤ人の共同体の奥深くへと宣べ伝える。パウロはイエスが説いたパレスチナ普遍主義の論理を受け入れ、それをさらに一般的な普遍主義へ変容しただけでなく、古い普遍主義の存在を否定した。「古い人とその行ない」、そしてかつての選びと律法は「脱ぎ捨て」られた。新しい神のかたちにつくられたということ、ただそれだけを資格として契約を結び新たに選ばれた者たちが、「新しい人」を「着た」のである。信仰を抱き恵みを受けるために必要なのは、その人の心の状態のみである。「そこにはもはやギリシャ人とユダヤ人、割礼を受けた者と無割礼の者、未開人、スキタイ人、奴隷、自由人の区別はない。キリストがすべてであり、すべてのもののうちにおられるのである」(コロサイの信徒への手紙3章9-11節)。