じじぃの「神話伝説_96_パウロの信仰(脱ユダヤ教)」

Masada Israel & Flavius Josephus 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=-NTU1h4OcY8
マサダの要塞

『Mr.都市伝説 関暁夫の都市伝説5 メディアの洗脳から覚めたみなさんへ』 関暁夫/著 竹書房 2014年発行
エスキリスト教を作ってはいない より
みなさん初代ローマ法王は誰なのかご存知ですか?
それはイエスの12人の高弟、つまり十二使徒の一人、ペテロなのです。もちろんその時代にはまだカトリックという呼び名もなく、ローマ法王庁などと呼ばれる組織もありませんでした。しかしカトリックではペテロを初代法王として、ペテロが率いた最初期のキリスト教団を引き継いでいるのは自分たちだと自負しているのです。
ペテロと同じ頃にキリスト教団で活躍していた人物にパウロという人がいました。この頃のキリスト教団は主に3つのグループに分かれていました。エルサレムを中心としたグループ、ローマ帝国内のユダヤ人を主な布教対象としたペテロのグループ、そして非ユダヤ人を布教対象としたパウロのグループです。
パウロは生前のイエスに会ったことはなく、イエスの教えを直接聞いたことはありませんでした。彼はイエスの教えを他の信徒から聞かされることになるのですが、それはあまりにユダヤの影響が強いものでした。そもそもイエスユダヤ人であり、その弟子たちもみんなユダヤ人です。その中から教えが生まれたのですから当然ですね。
しかしそのままではユダヤ人の習慣と無縁な非ユダヤ人には教えが伝わりません。そこでパウロはイエスの教えを再解釈して、イエスの教えの中からユダヤ教的な部分を変えてしまうのです。
今ではどれだけ正確にイエスの教えを伝えているのかは、誰にもわからないでしょう。しかしペテロとパウロこそが、現在のキリスト教を作ったということだけでは間違いありません。ふたりが都合よく作り変えたとも言えるかもしれません。

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キリスト教の本 上 救世主イエスと聖書の謎を解』 増田秀光/編 学習研究社 1996年発行
ユダヤ教からの独立 脱ユダヤ教化を促進させた福音書の力 より
キリスト教ユダヤ教から自立するに至った過程は、漸次的であった。
すでに紀元40年代に、アンティオキアのヘレニスタイ系の弟子たちは、周囲の者たちから揶揄(やゆ)的に「キリストに追従する者たち」の意で「クリスティアーノイ」と呼ばれていた(これがクリスチャンの語源)。
しかし当の彼ら自身が、どれだけ自らをユダヤ教から切り離して理解していたかは、疑わしい。
ローマでも、49年頃、ユダヤ教徒ユダヤ教出目のキリスト者とがもめ事を起こした際、外部から見て両者を明晰に区別することはできなかったようである。
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キリスト教徒をユダヤ教から独立させたのは、何よりも、紀元66〜70年位おいて戦われた、ユダヤ人の対ローマ戦争であった。
エルサレム原始教会は、この戦争勃発の直前、エルサレムを棄て去った。
また、Q文書の担い手たちさえも、おそらく同時期にパレスチナを去り、シリアのあたりに散っていった。
これは、ローマへの反感に燃える一般ユダヤ人からすれば、裏切り行為以外の何ものでもなかったであろう。
加えるに、キリスト教徒たちは、この戦争におけるユダヤ教徒の敗北を、イエスの宣教に彼らが従わなかったことへの神の審(さば)きと捉え、ユダヤ教徒を断罪した。
同時に、この敗北によって、ユダヤ主義的なキリスト教徒はその影響力を決定的に喪失し、キリスト教側の脱ユダヤ教化は一気に促進された。ユダヤ教側でも、戦争以後はキリスト教徒を「異端」呼ばわりし、彼らへの呪いを神に求めるに至った。
ここにユダヤ教徒キリスト教徒の敵対分裂は決定的なものとなった。
この時点で、キリスト教を実質的にユダヤ教から切り離す際のイデオローグに担ぎ出されたのが、皮肉にも、かつての少数派の代表者パウロであった。
つまり彼の「律法」によらず「信仰」のみによる救済理論が、キリスト教ユダヤ教から切断する目的のためには実に好都合だったのである。
かくして、かつてはキリスト教会でも孤軍奮闘に近かったはずのパウロが、今や全キリスト教のチャンピオン的存在に一転させられ、その手紙が収集・編集され、広まっていくことになるのである。
しかしながら、彼の十字架の神学の深み、つまり「力は弱さにおいてこそ完全に現れる」という逆説的真実は、ほとんど誰にも理解されてはいなかった。