じじぃの「人の死にざま_1497_ポール・ブローカ(外科医)」

やさしい神経学③ 失語症-ブローカ失語ウェルニッケ失語 動画 YouTube
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ブローカ野

ピエール・ポール・ブローカ ウィキペディアWikipedia)より
ピエール・ポール・ブローカ(仏: Pierre Paul Broca、1824年6月28日 - 1880年7月9日)は、フランスの内科医、外科医、解剖学者、人類学者。ジロンド県サント=フォア=ラ=グランド出身。
彼に因んで名づけられた前頭葉中の一領域ブローカ野の研究で最も知られる。ブローカ野は発話能力を司る。失語症を患った患者が大脳皮質左前部の特定の領域に障害を有していたことが彼の研究により明らかになった。これは脳機能が局在していることの最初の解剖学的証明である。ブローカの研究は形質人類学の発展にも資するところがあり、人体測定学(英語版)を発展させた。

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『 非対称の起源―偶然か、必然か』 クリス・マクマナス/著、大貫昌子/訳 ブルーバックス 2006年発行
言語機能の非対称性 (一部抜粋しています)
1770年生まれのマルク・ダックス博士は、生涯のほとんどを、南フランスのモンペリエから北西に30キロメートルほど離れたソミエールという小さな町の町医者として過ごした。いまではダックスの名は、1836年にモンペリエで催されたル・コングレス・メリディオナルという医学会議で発表した論文で知られている。その題名は「思考の記号忘却(言葉の損失)に関わる脳の左半分に対する損傷」というものだが、口頭で読み上げられただけで印刷はされなかった。
おまけにその翌年ダックスは66歳で亡くなり、彼のアイデアはほとんど忘れ去られたかに見えた。ところがそれから30年近く経った1865年、彼の息子ギュスターヴ・ダックスが父の論文原稿を印刷して世にだしたのである。折しもパリの科学界では、言語機能が一見対称的に見える人間の脳髄の、半分だけに位置しているというブローカの論説がきっかけで、言語の局在性が最新トピックの1つになっていた。
ところで先代ダックスの1836年の論文は、1800年9月に起こったできごとに端を発する。そのとき彼は、頭にサーベルの傷を負い、言葉が思いだせなくなった騎兵隊の大尉を診察した。それまでにも異なる精神機能が脳の異なる場所に位置しているという、骨相学者ガルの研究を読んでいたダックスは、その患者に負傷の部位をたずねたところ、頭頂の左側(つまり側頭部)だと言うのだ。もっともガルは、精神機能が頭の片隅だけに位置するとは、決して言っていない。とにかくそのときは、ただ不思議な症例というだけにとどまった。しかし年月が経つうちに、そうした患者を何人も診る機会のあったダックスは、言語の喪失は、大脳左半球に受けた損傷に関係があると結論づけたのである。
息子のダックスが父の原稿を発表したのは、たまたまパリの医学アカデミー、人類学協会、解剖学協会のあいだで、激論が交わされているときだった。この論争のそもそものきっかけは、脳内の言語機能の位置に関するもので、ジャン・バプティスト・ブーヨーが、言語は前頭葉の眼窩の真上に位置していると主張したことだった。一方、解剖学や人類学に広く興味をもつ外科医ポール・ブローカが言語に支障のある患者2人を診察したのは、1861年のことで、その脳の写真は、今でもパリに保存されている。
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当時ブローカが興味をもったのは、損傷の部分が前頭葉内(今ではブローカ野として知られている)に限られていることであった。1863年4月、左半球に損傷をもつ患者8人を診察した後、彼は「この患者たちの損傷がすべて左側にあるのは、驚くべきことだ。しかし私は今この所見からあえて結論をだすことは控え、新しいデータを待つことにしよう」と言っている。同年、彼はさらに、アフェミア(後のアフェイジア=失語症)と呼ばれる言語損失の症状をもつ、25人余りの患者を診察しているが、1人残らず脳の左側に損傷をもっていた(神経系の特徴の1つは、脳から体に走る線維が脳幹で交差しているため、脳の右側が体の左側を支配し、左側が体の右側を支配するということだ。したがって右半身不随の患者たちは、脳の左半球に損傷があったことになる)。
こうなるとブローカにとってその意味は、疑うべくもなかった。