じじぃの「人の死にざま_1448_李・完用」

李完用

【噴水台】韓日合邦の魚 2001年08月27日 中央日報
「網も張る前に魚が飛び込んできた」−−。
1910年8月、韓日合邦の前夜の秘史についてこのように語ったのは、当時の統監府外事局長、小松緑だった。心痛い証言だ。
それは決して文学的修辞ではなく、惨めな無能の末、合邦を決めた91年前の我々の姿だったことの確認であるからだ。明日、韓国は庚戌(キョンスル)国恥日(韓日合邦)を迎える。
この経路を振り返るに当たって、まずは「合邦の魚」の主役から見てみよう。本音を隠したままの日本側に対し、まず合邦を打診したのは朝鮮側だった。総理大臣の李完用(イ・ワンヨン)の側近である、新小説『血の涙』で知られる李人稙(イ・インジック) が密使として動いたのだ。
これを理由に、李完用は、いつまでたっても韓国の逆賊と言われ続けるのか。
http://japanese.joins.com/article/651/18651.html
李完用 ウィキペディアWikipedia)より
李 完用(り かんよう)は、李氏朝鮮末期から大韓帝国期の政治家。日本による韓国併合に大きな働きを果たした。
【生涯】
京畿道広州生まれ。光緒9年(1883年)に科挙に合格し、光緒13年(1887年)からアメリカ合衆国で3年間の海外勤務を経験した後、国際派の政治家として頭角を現す。
光武11年(1907年)、韓国統監伊藤博文の推薦により内閣総理大臣に就任。同年6月の高宗が起こしたハーグ密使事件に際しては日本側に立って、伊藤博文と共に日本に対し反抗的な高宗に強い態度で退位を迫り、ついに廃位に追いやるなどして第三次日韓協約の成立にも重要な役割を担った。
【評価】
併合反対派からは併合の元凶と看做され非難されたが、同時に彼への同情や、共感も存在していた。それを表すエピソードとして、その葬儀は国葬でもないにも関わらず、葬列が数キロに達したという。
独立後は韓国植民地化の元凶の一人としての評価が強まり、憎悪を一身に受けた。そのため現在でも韓国・北朝鮮において李完用の名は親日派(チンイルパ)、売国奴の代名詞とさえなっている。韓国政府によって公式にも親日反民族行為者に認定されている。

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『逆説の世界史1 古代エジプト中華帝国の興廃』 井沢元彦/著 小学館 2014年発行
中国文明の力量と停滞 (一部抜粋しています)
確かに合祀については批判もあるが、日本には来世を信じる他の国々と同じで、一度死者の烈に加わった人間は、善人も悪人も平等に弔われるべきだという考え方がある。そうした者に対して参拝したとしても、それは使者の戦前の行為を支持する姿勢とはまた別のことだ。
たとえば、検事が人を殺した犯罪者に対して死刑を求刑し、それが認められて死刑となった犯罪者の墓に詣でたとしても、それはその判事がその犯罪者の殺人行為を正当なものとして認めたわけではない。死者の霊を弔っただけのことである。
東條英機ら「軍国主義者」が祀られていることへの批判に対し、アメリカ合衆国ジョージタウン大学のケビン・ドーク(Kevin M.Doak)教授は、「アーリントン国立墓地にも、南北戦争奴隷制度を守るために闘った南軍の将校が埋葬されています。では、(中略)アーリントンで慰霊するオバマ大統領は奴隷制度を皇帝しているのか、そんなことはありません。生者は死者に対し、謙虚でなくてはならない。いかに間違った政治指導者であれ、死者の尊厳を認め、彼らの鎮魂を行うことは、生前の行いについて政治的評価を下すことより重要です」(『週刊文春』2013年6月20日号「安倍総理に『靖国参拝』『憲法改正』を直言する米大学教授」 文藝春秋刊)と日本の立場を擁護している。まったく同感だ。
ところが、中国には、原則的に使者を弔うという考えはなく、だからこそ生前悪人であった者は死後も徹底的に糾弾されるべきだと考える。これも儒教の大きな特徴で、同じ儒教国韓国(当時は大韓帝国)の場合も日韓併合条約に調印した総理大臣李完用(Yi Wan-yong / 1858〜1926年)の墓は存在しない。売国奴は弔ってはならないからである。
中国では一般に、古代においても近代においても、悪人と認定された人間の墓は破壊される。遺体は引きずり出され、ゴミとして捨てられる。中華民国の政治家汪精衛(Wang jingwei または汪兆銘(Wang Zhaoming)1883〜1944)が日本に協力した裏切り者とされ、その墓がダイナマイトで破壊されたのは1946年のことである。ダイナマイトと使われたのは、あらかじめ近親者が墓を暴かされるのを恐れて外壁をコンクリートで固めていたからだが、結局、役には立たなかった。