じじぃの「歴史・思想_627_逆説の日本史・韓国併合への道・李完用」

李完用 りかんよう / イワニョン(1858―1926)

日本大百科全書(ニッポニカ) より
大韓帝国期の政治家。韓国併合に強く関与したために、韓国では対日協力者という意味の「親日派」の代表とされている。

京畿道(広州)生まれ。1887年、アメリカ公使館に勤務。1894年、金弘集内閣で外務協弁(外務次官)、1895年、朴定陽(1841―1904)内閣で学部大臣(文科大臣)を務めるとともに、親露勢力に接近した。

1907年5月、参政大臣(6月より内閣総理大臣)となる。高宗が、第二次日韓協約の無効を訴えようとしてオランダのハーグに密使を派遣したハーグ密使事件が起こると、高宗に退位を迫って純宗(1874―1926)へ譲位させた。1907年7月、韓国の内政権を日本が掌握する第三次日韓協約に調印して、同年10月に日本国勲一等旭日大綬章を受章したが、これらに反発する民衆に自宅を焼かれ、独立運動家の李在明(1890―1910)に襲われ重傷を負った。

1910年8月、韓国併合条約に調印し、併合後は伯爵となる(1920年より侯爵)。朝鮮総督府の諮問機関である朝鮮総督府中枢院顧問などを務める。1926年(大正15)2月、死のまぎわに、大勲位菊花大綬章叙勲が決定された。

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『逆説の日本史 27 明治終焉編 韓国併合大逆事件の謎』

井沢元彦/著 小学館 2022年発行

第1章 韓国併合への道 より

ゴリゴリの朱子学狂信者では無かった「日韓併合のキーマン李完用

前節で説明したハーグ密使事件は、1907年(明治40)6月末の出来事である。その密使は韓国皇帝高宗の意思によるものだと知った韓国総監伊藤博文が、その責任を追及し高宗を退位させたのが翌7月の19日であった。もちろん、一国の皇帝を退位させるのはいかに総監であっても簡単にできることでは無い。実際に高宗を退位に追い込んだのは、大韓帝国内閣総理大臣李完用(りかんよう)であった。
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日韓併合のキーマンとも言える人物なのでま長々と経歴を引用(日本大百科全書 参照)したが、まず現在の韓国では李完用をどのように「評価」しているかおわかりだろう。
「対日協力者という意味の『親日派』というのは穏やかな表現に聞こえるが、じつは韓国国内では現在も「親日派」と言えば、「売国奴」であり、「極悪人」のことなのである。こんなことを言うと誇張だと思う人がいまだにいるが、そうでは無いことをまず認識していただきたい。また経歴の中であきらかなのは、彼は最初は「露館播遷」を支持するほどの「親露派」だったのに、日露戦争で日本が勝つと手のひらを返すように「親日派」になぅたという事実である。ここに注目して、「常に強いものに尻尾を振る、虎の威を借る狐」つまり人間として、政治家としてまったく尊敬できない人物である、という評価もできないことは無い。いや、もうおわかりだろうが、韓国ではまさに李完用伊藤博文と並んで「人間のクズ」「極悪人」なのである。
ポイントはおわかりだろう。そういう評価をする人間は、当時の大韓帝国そして皇帝高宗の政治がいかに民を苦しめ国家の近代化を阻害していたか、まるで考えていないのである。ここで、あえて李完用の立場に立って考えてみよう。彼は外交官としてアメリカ公使館に勤務した経験がある。だから前節で紹介した「極端なわからずや」崔益鉉(保守的な国粋主義者で衛正斥邪運動・抗日義兵闘争を指揮した)のような、ゴリゴリの朱子学狂信者では無かった。そんな人間は日本の「尊王攘夷の士」と同じで、洋服を着たり外人と交わることはできない。李完用は違った。そして最初は強大なロシアに従うことが祖国のためになると信じ、そのように行動したのだろう。事大(じだい)主義である。何度も説明したように朝鮮半島の国王、官僚、人民はすべて中国という「大」に「事(つか)」えてきた。その伝統を千年以上続いてきたのである。日清戦争で清(中国)が日本に敗れたことで朝鮮は一時的に「事えるべき大(宗主国)」を失ったが、それならロシアを「大」にすべきだと考えたのだろう。これは、当時の朝鮮国の官僚なら当然持っていた思考形式である。ところが、そのロシアが今度は日本に敗れた。ならば今度は日本を「大」にすべきなのであり、だからこそ日本に接近した。事大主義自体は崔益鉉もその信奉者であったろう。この点は李完用とまったく変わらない。両者の違いは、西洋近代化を国家を発展させる唯一の道と評価するかしないかだ。そして西洋近代化を達成するためには、朱子学に完全に洗脳された大韓帝国独自では、そして高宗の治政下では到底無理な話である。崔益鉉がいかに「頑迷にして時勢に迂遠」で韓国の近代化にとっては有害な存在であったか、そして外交官の経験が深い李完用がそうで無かったことは、おわかりだろう。
賛成するか反対するかは別にして、李完用に祖国をなんとか近代化しなければいけないという使命感や焦燥感があったことは間違い無い。引用文中にもあるように、彼の自宅は「独立派」によって焼かれ、危うく殺されるところでもあった。そもそも彼は一度引退している。伊藤博文と同じで、火中の栗を拾うためにわざわざ出てくる必要は無かったのにそうしたのである。ここのところを認識しなければ、李完用に対する公平な評価などできるわけがない。しかし、現在の韓国の現状は「李完用は五賊(5人の売国奴)の1人」でしかない。最近は前にも述べたように『反日種族主義』がベストセラーになるなど韓国の歴史学界にもこうした現状を打破しようという動きはあるが、客観的に形でこの問題を議論する土壌は現在の韓国にはほとんど無い。いつかそういう日が来ることを期待して話を進めよう。