じじぃの「人の死にざま_1362_アラン・ウィルソン」

サイエンスオデッセイ 地球探求の旅 (7)人類誕生 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=FR_37RBTpgM
全世界の"ミトコンドリア"DNA(母系遺伝)の分布図 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=JsqPvIC7zo4
Allan Charles Wilson

アラン・ウィルソン ウィキペディアWikipedia)より
アラン・チャールズ・ウィルソン(Dr Allan Charles Wilson, 1934年10月18日 - 1991年7月21日)は、ニュージーランド出身の生物学者分子生物学者。
ニュージーランド・ナルアワヒア(Ngaruawahia)生まれ。オークランドのキングス・カレッジでは数学と化学で優秀な成績を修める。オタゴ大学へ進学し、分子生物学専攻を勧められる。奨学金を得て、アメリカ合衆国カリフォルニア大学バークレー校博士課程へ進学し1961年にPh.D.を取得。当初、ニュージーランドにいるウィルソンの家族は、2年程度の留学だと思っていたが、ウィルソン自身はその後35年間をUCバークレーで過ごす事になる。
1967年に、ヴィンセント・サリッチと分子時計を発明し、ヒトとチンパンジーの分岐を400万年前から500万年前と推定した。
1987年にマーク・ストーンキング、レベッカ・キャンらと共に、すべての現代人は15万年前から20万年前にアフリカにいた一人の女性を子孫とするミトコンドリア・イブ説(または、イブ仮説)を発表した。
カリフォルニア大学バークレー校教授の1991年に白血病で死去。

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分子からみた生物進化 DNAが明かす生物の歴史 宮田隆/著 ブルーバックス 2014年発行
われわれはどこから来て、どこへいくのか (一部抜粋しています)
「ヒトはいつ頃サルから進化したか?」という問題は、人類学者のみならず、一般の人々にも尽きない興味の1つであろう。分子から生物の進化の道筋を解き明かす最初の試みとなった問題が、まさにヒトの起源と霊長類の進化に関する問題であった。
最初の試みは意外と古く、分子進化学が始まる遥か以前のことであった。1901年、ジョージ・ナトールは、これまでにない、きわめて独創的な方法で霊長類の系統を研究した。彼は、まず調べようとするサルから採取した血清をウサギに注射して抗体を作らせ、抗原と抗体の反応の程度を測定した。これをさまざまな霊長類に適用してヒトとサルの関係を調べた。これはこうした測定から、ヒトは新大陸に生息する新世界ザルよりも、旧大陸の旧世界ザルに近縁である、という結論に達した。
この方法は今から思えば、異なる種間でタンパク質の配列の違いの程度を測定していたことと原理的に同じである。血清中に存在するタンパク質の表面にあるアミノ酸は異なる種の間でも多少異なっており、そのため、抗体との反応の程度に差がでるわけである。
おそらく当時としては全く斬新な方法で得たナトールの結論は、ダーウインによる人類のアフリカ起源説を支持するものであったので、その後大いに発展してもよさそうであったのだが、不思議とこうしたタイプの研究は彼以後全く途絶えてしまった。あまりにも時代に先んじたせいなのか。
このナトールの先駆的試みを復活させたのが、モーリス・グッドマンであった。なんと60年あまりも後のことであった。グッドマンは、ナトールの方法を改良し、免疫拡散法と呼ばれる方法を開発した。彼は、この方法を使って人類の起源と系統進化の問題に応用し、分子人類学の旗手となった。
グッドマンは免疫拡散法をヒトと類人猿に適用し、ヒトはチンパンジー、ゴリラといったアフリカの類人猿に近縁で、オランウータンやテナガザルなどのアジアの類人猿とは遠縁の関係にあることを示した。この系統関係は当時広く受け入れられていた類人猿の分類と著しい相違を示した。うなわち、当時の分類は、アフリカ類人猿はオランウータンを含めてオランウータン科に属し、一方、唯一、ヒトはヒト科に属するという分類であった。こうして伝統的な人類学と新しく誕生しつつあった分子人類学との対立が始まった。
決定的な対立は、1967年のヴィンセント・サリッチとアラン・ウィルソンの研究から始まった。彼らが用いた方法は、本質的にはグッドマンが用いた方法と同じだが、血清からアルプミンというタンパク質を精製したり、抗体との反応を定量化するなど、精度の向上をはかっている。さらに重要なことは、彼らは、ズッカーカンドルとポーリングが発見した分子時計を使って、ヒトとチンパンジーが500万年前に分岐したと推定した。