じじぃの「カミカゼと暗殺者・攻撃的自殺の心理!歴史が後ずさりするとき」

アメリカ同時多発テロ事件 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=vGvDDRtIfLo
Kamikaze Tokkotai (Kamikaze Sucide Attack Corps) 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=zyNNedxkayA
『歴史が後ずさりするとき――熱い戦争とメディア』  ウンベルト・エーコ/著、リッカルド・アマデイ/訳 岩波書店 2013年発行
カミカゼと暗殺者 (一部抜粋しています)
少し前、もちろんあの運命的だった9月11日の同時多発テロ事件以前のことだが、インターネットのいくつかのゲームの中に、なぜ日本軍の神風特攻隊はヘルメットをかぶっていたのか、という質問が出回っていた。いったいなぜ敵の航空母艦に突っ込んでいこうとする人間が頭を守る必要があったのかということだ。本当にヘルメットをかぶっていたのか。彼らは額に儀式的な鉢巻を巻いていたのではなかったのか。いずれにしても常識が提供してくれる答えは、ヘルメットはエンジン音で耳が聞こえなくならないためのも役立ったこと、死への急降下を始める前にあるかもしれない敵の攻撃から自ら守るためでもあったこと、そして何にもまして(と私は信じているが)、神風特攻隊員は儀式を守り規則に従う人たちだったので、手引書に飛行機に乗りこむ際はヘルメットを着用せよと書かれてあればそれに従ったのだ、というものだ。
冗談はさておき、この質問は他人を殺すために自分の命を冷静に放棄する者の前で、われわれ一人一人が感じる戸惑いをあらわしている。
同時多発テロ事件以降、われわれは(当然ながら)新しいカミカゼ隊員がイスラム世界の産物であると考えている。これは多くの人を、原理主義イスラム教という方程式に導くし、またカルデローリ大臣に、これは文明の衝突ではない、なぜならば「あいつら」は文明などではないからだ、と言わせてもいる。
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歴史におけるカミカゼ隊員は、日本人やイスラム教徒だけではない。ウンベルト1世を拳銃で撃つよう、実行犯ガエターノ・ブレーシにアメリカからイタリアへの旅費を払ったアメリカ移民のイタリア人無政府主義者たちは、ブレーシに片道切符だけしか買ってやらなかった。ブレーシ自身、自分の冒険から生きて帰れないことをよく分かっていた。キリスト教の初期の数世紀の間には、殉教者となる名誉を得るために旅人を襲撃していた「無類の徒(キルクムケリオネス)」がいたし、さらに後のカタリ派の信徒は「耐忍礼(エンドゥーラ)」と呼ばれる儀式的自害を行っていた。そして最後に今日のさまざまなセクト(そのすべては西洋世界にあるが)にいたるが、これらのセクトについては、集団自殺を選ぶことがときどき新聞で報じられるのを目にする(人類の歴史の中で他の民族が行った「攻撃的」自殺の形態について教えてもらえないか、人類学者にお願いしたいところだ)。
結局、歴史も世界も、宗教、イデオロギー、その他何らかの理由で(その上、言うまでもなく、適合的な心理構造を持っていることが助けとなったり、あるいはきわめて洗練された方法で精神的隷属状態に置かれたりして)、人を殺すために自分が死んでもよいと思う人で、かっても今もあふれているのだ。
したがって、われわれの安全に取り組まなければならない人々に注意を払わせ、対策の研究を促すべき真の問題は、イスラム原理主義という現象だけでなく、攻撃的自殺一般の心理的側面なのではないかと問うてみる必要があると思う。自分の命を犠牲にすることを人に納得させるのは簡単ではないし、自己保存本能はイスラム教徒でも、仏教徒でも、キリスト教徒でも、共産主義者でも、偶像崇拝者でも、皆持っている。この本能を乗りこえるには、敵に対する憎しみだけでは十分でない。潜在的カミカゼ隊員の心理をよりよく理解する必要があるように思う。私がここで言いたいのは、興奮して狂ったイマーム(導師)が聖戦を唱えているモスクに通うだけでは十分ではないし、そしておそらく、ある人たちの中に潜在している死への衝動を鎮めようとしてそのモスクを閉鎖するだけでも十分ではないだろう。実際、そのような人たちが出歩き続けることの歯止めにはならない。
どうすればそのような人たちを見出すことができるのか、つまり一般市民にとって悪夢とならずに、どのような操作や監視を行えば見出せるか、これはとても難しい問題だ。しかしこのような方向においても作業する必要があるだろうし、またこの死への衝動が、必ずしもイスラム教徒ではない他の人間グループにおいても出現する可能性のある(エイズや肥満と同様の)現代世界の病気となりつつあるのではないかと自問する必要があるように思う。

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どうでもいい、じじぃの日記。
先日、図書館のなかで新刊書コーナーを覗いてみたら、『歴史が後ずさりするとき――熱い戦争とメディア』という本があった。
カミカゼと暗殺者」に、こんなことが書かれていた。
同時多発テロ事件以降、われわれは(当然ながら)新しいカミカゼ隊員がイスラム世界の産物であると考えている」
2001年9月11日、アメリカ同時多発テロ事件が発生し、ニューヨークの世界貿易センター地区にあるツインタワーが破壊された。
著者は、あのアメリカ同時多発テロ事件は日本の神風特攻隊を連想させるというようなことを書いている。
欧米人は、自爆テロなど自己犠牲による無差別殺人を日本人とイスラムの特有の「死生観」として捉えているのかもしれない。
こんな見方もあるんだ、という思いがした。