じじぃの「自爆ジハード(聖戦)は神風特攻隊なのか?本当にあった歴史雑学」

Ramadan

What is Ramadan and what are the rules people follow for fasting during the day?

12 Apr 2021 ABC News
●What does Ramadan Mubarak mean?
You may see the phrases "Ramadan Mubarak" and "Ramadan Kareem" on social media.
"Ramadan Mubarak" means "Have a blessed Ramadan".
"Ramadan Kareem" means "Have a generous Ramadan".
You don't have to be participating in Ramadan to say "Ramadan Mubarak" or "Ramadan Kareem".
They are festive greetings the same as "Merry Christmas" or "Happy Hanukkah".
https://www.abc.net.au/news/2021-04-12/when-does-ramadan-2021-start-end-rules/100062826

『ウソみたいだけど本当にあった歴史雑学』

青山誠/著 彩図社 2021年発行

本来の意味は「努力」「奮闘」… 「ジハード」を「聖戦」と訳すのは誤り より

イスラム原理主義組織がテロや紛争を起こす時に唱える「ジハード」を、日本のマスコミなどはよく「聖戦」と訳している。しかし、本来これはアラビア語で「努力」「奮闘」といった意味の言葉。イスラム教の聖典であるコーランには、「神の道において奮闘(ジハード)せよ」と書かれている。つまり、正しいイスラム教徒となるために、あらゆることにおいて努力や奮闘を惜しまず、書物を読み賢人の説法を聞いて学ぶこと、正しい行いをすること、それすべてジハードなのだ。イスラム教徒にとっては重要な義務とされている。
異教徒の侵略に対して戦う。これもイスラム教徒が行うべき努力であり、ジハードに戦争が含まれていることは否定できない。しかし、近年になるとその狭義だけがクローズアップされてしまう。
2001年にアメリ同時多発テロを起こした国際テロ組織アルカイダは「グローバル・ジハード」を提唱し、それに賛同する過激派のテロが頻発した。
この状況を見た日本では、ジハードという言葉に戦争やテロを強くイメージするようになった。マスコミもまたそのイメージに引きずられて、新聞記事や雑誌などではよく「ジハード(聖戦)」といった表記がされるようになった。そのため、
「ジハードっていうのは、アラビア語で”聖戦”って意味だよね」
と、本来の言葉の意味とはまったく違う解釈が、日本では常識としてまかり通っている。

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『歴史が後ずさりするとき――熱い戦争とメディア』

ウンベルト・エーコ/著、リッカルド・アマデイ/訳 岩波書店 2013年発行

カミカゼと暗殺者 より

少し前、もちろんあの運命的だった9月11日の同時多発テロ事件以前のことだが、インターネットのいくつかのゲームの中に、なぜ日本軍の神風特攻隊はヘルメットをかぶっていたのか、という質問が出回っていた。いったいなぜ敵の航空母艦に突っ込んでいこうとする人間が頭を守る必要があったのかということだ。本当にヘルメットをかぶっていたのか。彼らは額に儀式的な鉢巻を巻いていたのではなかったのか。いずれにしても常識が提供してくれる答えは、ヘルメットはエンジン音で耳が聞こえなくならないためのも役立ったこと、死への急降下を始める前にあるかもしれない敵の攻撃から自ら守るためでもあったこと、そして何にもまして(と私は信じているが)、神風特攻隊員は儀式を守り規則に従う人たちだったので、手引書に飛行機に乗りこむ際はヘルメットを着用せよと書かれてあればそれに従ったのだ、というものだ。
冗談はさておき、この質問は他人を殺すために自分の命を冷静に放棄する者の前で、われわれ一人一人が感じる戸惑いをあらわしている。
同時多発テロ事件以降、われわれは(当然ながら)新しいカミカゼ隊員がイスラム世界の産物であると考えている。これは多くの人を、原理主義イスラム教という方程式に導くし、またカルデローリ大臣に、これは文明の衝突ではない、なぜならば「あいつら」は文明などではないからだ、と言わせてもいる。
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結局、歴史も世界も、宗教、イデオロギー、その他何らかの理由で(その上、言うまでもなく、適合的な心理構造を持っていることが助けとなったり、あるいはきわめて洗練された方法で精神的隷属状態に置かれたりして)、人を殺すために自分が死んでもよいと思う人で、かっても今もあふれているのだ。
したがって、われわれの安全に取り組まなければならない人々に注意を払わせ、対策の研究を促すべき真の問題は、イスラム原理主義という現象だけでなく、攻撃的自殺一般の心理的側面なのではないかと問うてみる必要があると思う。自分の命を犠牲にすることを人に納得させるのは簡単ではないし、自己保存本能はイスラム教徒でも、仏教徒でも、キリスト教徒でも、共産主義者でも、偶像崇拝者でも、皆持っている。この本能を乗りこえるには、敵に対する憎しみだけでは十分でない。潜在的カミカゼ隊員の心理をよりよく理解する必要があるように思う。私がここで言いたいのは、興奮して狂ったイマーム(導師)が聖戦を唱えているモスクに通うだけでは十分ではないし、そしておそらく、ある人たちの中に潜在している死への衝動を鎮めようとしてそのモスクを閉鎖するだけでも十分ではないだろう。実際、そのような人たちが出歩き続けることの歯止めにはならない。
どうすればそのような人たちを見出すことができるのか、つまり一般市民にとって悪夢とならずに、どのような操作や監視を行えば見出せるか、これはとても難しい問題だ。しかしこのような方向においても作業する必要があるだろうし、またこの死への衝動が、必ずしもイスラム教徒ではない他の人間グループにおいても出現する可能性のある(エイズや肥満と同様の)現代世界の病気となりつつあるのではないかと自問する必要があるように思う。

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どうでもいい、じじぃの日記。
約5年前に、『歴史が後ずさりするとき――熱い戦争とメディア』という本を読んだ。
カミカゼと暗殺者」に、こんなことが書かれていた。

同時多発テロ事件以降、われわれは(当然ながら)新しいカミカゼ隊員がイスラム世界の産物であると考えている」

2001年9月11日、アメリカ同時多発テロ事件が発生し、ニューヨークの世界貿易センター地区にあるツインタワーが破壊された。
著者は、あのアメリカ同時多発テロ事件は日本の神風特攻隊を連想させるというようなことを書いている。
イスラム教の聖典であるコーランに、イスラム教徒にとっての5つの義務が定められている。
信仰告白イスラム教徒であることを表明すること
・礼拝:  スンニ派は日に5回、シーア派は3回の礼拝を行うこと
喜捨:  貧しい人々のために寄付を行うこと
・断食:  ラマダン月に断食を行うこと
・巡礼:  少なくとも一生に一度、メッカを巡礼すること
「断食」にはユダヤ教キリスト教、仏教にもその教えがあるみたいだが、財産があるなしに関わらず、貧者に寄り添うことという深い意味があるのだとか。
4つの宗教の教えで特に特徴的なのが、イスラム教の「ラマダン」だ。
世界にイスラム教徒が多いというのは、こんなところにあるのかもしれないなあ。