じじぃの「国家が封印した暗殺犯・悪魔の詩 殺人!私は真犯人を知っている」

イラン女性の死をきっかけに爆撃!?“ヒジャブ”めぐるデモが大きなニュースに…いったい何が起きている?

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https://www.youtube.com/watch?v=eT9QfznQhRw

作家ラシュディ氏刺される 「悪魔の詩」著者、男拘束

2022年8月13日 日本経済新聞
イスラム預言者ムハンマドを題材にした小説「悪魔の詩」で知られるインド出身の英作家サルマン・ラシュディ氏(75)が12日、米東部ニューヨーク州で講演の直前、男に襲撃された。
目撃情報によると、刃物で首などを複数回刺され大量に出血した。詳しい容体は不明。男は現場で拘束された。米メディアが伝えた。
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGN12BQJ0S2A810C2000000/

『私は真犯人を知っている』

「文藝春秋」編集部 文春文庫 2011年発行

国家が封印した暗殺犯――「悪魔の詩」殺人 麻生幾(作家) より

現代の未解決事件の中で、筑波大学助教授殺人事件、いわゆる「悪魔の詩・殺人事件」は、最も”異質な”事件である。
実は、事件発生直後、日本警察は容疑者をほぼ特定した。しかし、指名手配も公表もされず、約20年という月日を迎えた。作家・麻生幾氏が入手した捜査資料を公開する。
   
事件は1991年7月12日、午前8時すぎという早朝、人気のない大学校舎という意外な場所で発覚した。

茨城県つくば市筑波大学の人文社会学系の教室が集まるA棟7階。エレベーターを降り立った女性清掃人は全身が凍り付いた。目の前で、全身血だらけの男性が横たわっていたのだ。

救急隊員が現場に到着したときにはすでに心肺が停止。搬送先の病院で死亡が宣言されたが、余りの凄惨な光景に医療関係者も圧倒されたとされる。

男性の体には無数の切創群があったが、致命傷は、頸部(けいぶ)の動脈と静脈の切断による失血死であった。それも、首を完全に切断しようとしてズダズダに切り裂いていたのである。

亡くなった男性の身元を調べた結果、同大学の助教授、五十嵐一氏(当時44)であることがわかった。

警察は、その名前に、強い衝撃を受けた。イスラム原理主義者の間で「教祖マホメットを冒瀆する内容」と批判が高まり、イランの最高指導者が著者の処刑を宣告していた小説「悪魔の詩」――その翻訳本を、約1年半前、日本で出版したのが五十嵐氏だったからだ。

マスコミは一斉に大騒ぎとなった。
憶測に拍車をかけたのは、事件の約1週間前、イタリアのミラノで起こった事件だった。「悪魔の詩」のイタリア語版翻訳者が何物かに全身をナイフで刺され、重傷を負ったのである。

しかも事件の3日後、イラクバグダッドに本拠を置いていたイランの反政府組織が、ある通信社に、(日本での)事件は、暗殺団による犯行だとする声明を送ってきた。イラン国内からの情報に基づくというその声明によれば、数人からなるいくつかの暗殺団が組織され、「悪魔の詩」の著者を処刑するためイギリスに送り込まれたほか、日本やイタリア、スイス、フランスなど多数の国へも派遣されたという。しかも、その声明は、ミラノで起きたイタリア語版の翻訳者の襲撃事件も同じような暗殺団の犯行だとも付け加えていた。

しかし、捜査は、初動、初期の段階から大きな壁にぶち当った。当時、大学が夏休みであったことから、A棟にはほとんど人がおらず、学生や教職員たちをあたっても目撃者がまったくいない。不審な人物を見かけた、という証言さえなかったのである。
犯人が遺留したものについては、血痕、足痕、指紋があったが、そこから捜査が伸びることもなかった。
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犯行時間帯は、当初、女性清掃人が発見する数時間前の、11日深夜の可能性が高いとされていた。だが、11日の午後9時半頃には、五十嵐氏の部屋は消灯されていたとの目撃証言が出てきてからは、犯行は警備員が7階の犯行現場付近を巡回した同午後8時10分ごろから、同9時半ごろにかけて行われたとの見方が強まった。

もし犯人が、前述のイランの反政府組織の声明どおり、送り込まれた暗殺団であったとすれば、犯行後は素早く出国しているはずである。つまり、同9時半以降、翌日の12日にかけて出国した可能性が高い――。

ところが、茨城県警の幹部は、首を横に振り、同じ言葉を繰り返した。
”不審な出国者は見つかっていない”

そして捜査の進展は見られないまま、15年の月日が経ち、2006年7月11日午前零時、事項を迎えてしまったのである。

実は、その瞬間、警察庁幹部たちの脳裏には、1人の男の名前が浮かんでいた。それは、密かに、犯人の可能性が高い、と結論を下していた外国人の男の名前だった。
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男の出身国は、イスラム文化圏の国。五十嵐氏と同じ大学の留学生だった。そして、日本を出国したのは”犯行直後”だった。

しかし、この事実は、茨城県警特別捜査本部のごくわずかな幹部だけに伝えられ、厳重な箝口令(かんこうれい)が敷かれたのである。

しかも、警察庁は、各国に情報収集を求める「ブルーノティス(青色手配)」をICPO国際刑事警察機構)へ依頼することさえしなかったし、当該の男が逃げた先や本籍地への照会もしなかった。

なぜ警察庁は封殺したのか――。
当時、法務省から届けられた前述の極秘報告を前に警察庁の内部において、実は、大激論が起きていた。

我が国始まって以来の、明らかなテロ攻撃であり、国際捜査の場に事件を持ち出すべきだという積極派。もう一方は、公表することで、イスラム文化圏全体を敵に回しかねず、それによる影響は計り知れないとする国益慎重派だった。
特に”国益慎重派”の意見は強硬だった。
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最終的に結論を下したのは総理官邸だった。”国益重視”を断じたのだ。

しかし、当時、”国益慎重派”の1人であった警察庁関係者は、決して口には出せない怒りがあったと吐露する。

「結局は、日本の、国家としての覚悟がなかったということです。当時は、たとえ国民が流血してでも、国際テロと戦う覚悟はなく、政治家の理解も乏しかった。また、それを担保するシステムや法律も皆無でした」

事件のちょうど10年後、アメリカで同時多発テロが敢行され、日本の政治家たちも、”テロとの戦い”という言葉を連呼した。

しかし、日本人の”覚悟”は果たして変わったのだろうか。

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どうでもいい、じじぃの日記。

少し古い本だが図書館から、『私は真犯人を知っている』という本を借りてきた。

国家が封印した暗殺犯

「我が国始まって以来の、明らかなテロ攻撃であり、国際捜査の場に事件を持ち出すべきだという積極派。もう一方は、公表することで、イスラム文化圏全体を敵に回しかねず、それによる影響は計り知れないとする国益慎重派だった」

2022年9月、イランの首都テヘランで、道徳警察に逮捕された女性が数日後に死亡した。
この女性の場合は、イスラム教の聖典コーランに女性は布で身を隠す(ヒジャブ着用)ことが書かれていて、その掟を破ったからだとか。

欧米では、コーランマホメットを冒瀆する記事を書いたりしたことでイスラム原理主義者から報復を受ける事件が多発している。

そういえば日本では、「帝銀事件」の犯人は「731部隊」に所属していた者の犯行だったとする説が有力である。
当時日本を支配していたGHQの圧力により捜査が打ち切られた、とか。

事件が国家に損害が生じるものであっても、10年くらい経った後では真実を公開してほしいものだ。