じじぃの「人の生きざま_478_サルマン・ラシュディ(悪魔の詩)」

The Truth Behind Uthman Quran: The Satanic Verses By Salman Rushdie & Al-Rassooli 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=simYXJ2vigQ
【閲覧注意】衝撃!未解決事件 悪魔の詩訳者殺人事件とは… アンビリーバボー 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=r0YXmOFcgqo
サルマン・ラシュディ悪魔の詩

預言者ムハンマドの風刺画、最新号にも掲載 2015年1月13日 TBSの動画ニュースサイト
パリで風刺画家ら12人が殺害された新聞社が、事件の発端となったイスラム教の預言者ムハンマドの風刺画を最新号に掲載することが明らかになりました。
フランスの風刺専門の新聞社「シャルリエブド」が14日に発売する最新号の表紙には、「全ては許される」という文字の下に、預言者ムハンマドが涙を流しながら、「私はシャルリ」という文字を掲げる姿が描かれています。この言葉は事件後、シャルリエブドへの連帯を示す言葉として世界中に広がり、追悼行事などでも多くの参加者が手にしていたものです。
表紙を発表する前からシャルリエブドには注文が殺到していて、通常の6万部を大きく超える300万部の発行が見込まれています。
http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye2393363.html
サルマン・ラシュディ ウィキペディアWikipedia)より
サー・サルマーン・ルシュディー(Sir Salman Rushdie, 1947年6月19日 - )はイギリスの作家。インドのボンベイ(ムンバイ)出身の元イスラム教徒の無神論者。ケンブリッジ大学のキングズ・カレッジを優等で卒業。現在ニューヨークに在住。
【作品】
小説の多くがインド亜大陸を舞台にしている。虚構と幻想を現実におりまぜる彼の物語手法は魔術的リアリズムのそれに近いとされる。
1989年の最初の日に出版された小説『悪魔の詩』は、中東の熱心なムスリムの激しい反発を受けた。
悪魔の詩 ウィキペディアWikipedia)より
悪魔の詩』(原題:The Satanic Verses)は、1988年に発表された、イギリスの作家サルマン・ラシュディムハンマドの生涯を題材に書いた小説である。日本では、筑波大学助教五十嵐一によって邦訳(『悪魔の詩(上・下)』、新泉社、1990年)がなされた。
イギリスでは1988年ブッカー賞最終候補となり、また同年のホワイトブレッド賞小説部門を受賞するなど高い評価を得る一方、現代の出来事や人物に強く関連付けられた内容がムスリム社会では冒涜的であると受けとられ、激しい反発を招いた。この結果、一連の焚書騒動、イラン最高指導者ホメイニによるラシュディの死刑宣告に続き各国の翻訳者・出版関係者を標的とした暗殺事件が発生した。

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いま世界は 2015年1月11日 BS朝日
【司会】木佐彩子小松靖 【コメンテーター】伊藤洋一エコノミスト)、宮家邦彦(キヤノングローバル戦略研究所)、金慶珠東海大学国際学科准教授)、河原れん(作家)
イスラム表現の自由・日本でも事件
1月7日、フランスで新聞社襲撃 12人死亡。フランス・パリで新聞社・シャルリーエブド襲撃事件が起きた。
24年前、英国の小説「悪魔の詩」を翻訳した日本人研究者・五十嵐一助教授が筑波大学のキャンパス内で遺体で発見された。首をえぐるように切られていた。
原作者 サルマン・ラシュディ氏はインド出身の元イスラム教徒で、移民を題材にイスラム教の預言者 ムハンマドを風刺する内容を含む「悪魔の詩」を発表した。
欧米で高い評価を受ける一方、イスラム教関係者からは「イスラム教を冒涜するもの」と猛反発を受けた。
ラシュディ氏、「ムスリムが本を批判する権利は認める。彼らも私や読者の権利を認めるべきだ」
イラン最高指導者 ホメイニ師ファトワ(死刑に値するという宗教的宣言)を宣言。
以来、ラシュディ氏は英国政府の保護下で生活。
悪魔の詩」の出版をめぐり世界的に大論争が巻き起こった。
一方、五十嵐助教授殺害の犯人は捕まらず、公訴時効を迎えた。
ラシュディ氏、(新聞社襲撃について)「風刺は常に自由を獲得し、暴政、不正、愚行に対抗する力となってきた」
伊藤氏、「確かに表現の自由報道の自由は守られなければならないが、イスラムの人にとってはここだけは許せないものがある。それを理解することも必要ではないか」
http://www.bs-asahi.co.jp/imasekaiwa/