じじぃの「人の死にざま_1233_ソロン」

ソロン - あのひと検索 SPYSEE
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Solon an Athenian statesman, lawmaker, and elegiac poet 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=sQUYwDi08v4
Athenian Democracy - Solon and Cleisthenes 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=vvnTx80yhIg
ソロン 画像
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4c/Solon.jpg
ソロン ウィキペディアWikipedia)より
ソロン(紀元前639年頃 - 紀元前559年頃)は、古代アテナイの政治家、立法者、詩人、本名は不明。当時のアテナイにおいて、政治・経済・道徳の衰退を防ごうとして法の制定に努めたことで有名である(ソロンの改革と呼ばれる)。改革は短期間のうちに失敗する。しかし、アテナイの民主主義の基礎を築いたとして、しばしば高い評価を受けている。
【改革者として、詩人として】
ソロンは、その作品が現代まで生き残っている、最古のアテナイ人の詩人である。彼の詩が伝わったのは、プルタルコス、デモステネスのような古代の著者による断片的な引用句においてである。彼らは、ソロンの詩を、自身の議論がより明らかになるように使った。

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『人類の歴史200万年』 READERS DIGEST 1980年発行
民主主義を生んだアテネの海軍  (一部抜粋しています)
BC750年から、BC550年ごろまでの間に、ギリシャ人は地中海から黒海の沿岸にかけて、活発な植民活動を行った。オリーブの適地と、本国では育たない穀類を求めるのと同時に、商業上の強い関心が彼らを駆りたてたのであろう。ギリシャの輸出品はオリーブ油、ワイン、それに陶器、装飾品、彫像などの工芸品であった。
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スパルタでは、ギリシャ都市国家中もっとも厳しい鍛錬が市民に課せられていた。子供たちは、生まれるとすぐ長老に検査され、虚弱だと特定されると丘の上に捨てられた。男子は7歳で親もとから離され、軍隊式集団生活に入り、苦難と苦痛に耐える訓練を受けた。いわゆるスパルタ教育はこうしてギリシャ最強の兵士たちを生んだが、文化的には見るべきものを持たなかった。
一方、スパルタの仇敵アテネも、その黄金時代へと近づきつつあった。ミケーネ時代からつづいたこの都市国家では、ソロンの改革が行われて、アテネ民主主義の基礎が築かれ、政治的理由の増大が、市民の知的、芸術的な権力を大きく伸長させていた。

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2013年10月5日 テレビ東京 137億年の物語 「古代ギリシャ 民主主義」より
【出演者】寺脇康文相内優香、その他
女子生徒、「どうして、特にアテネは繁栄することができたの」
寺脇、「実はアテネの近くに銀山があって、良質の銀を採ることができた」
相内、「採れた銀で、軍備を増強したり、貨幣を鋳造したりして、アテネは他のポリスよりも繁栄することができた」
寺脇、「その当時、奴隷たちが過酷な条件で働かされていたんだろうな。戦争で負けると奴隷にさせられるという時代だった。一方、アテネ市民は自由な時間を得て、いろいろなことを考えてようになった」
男子生徒、「僕だったら、遊んじゃうな」
寺脇、「自由な時間を得たアテネ市民は、王様や貴族など権力者の様子を観察。そこで見えてきたのは政治の腐敗だ」
相内、「法律も貴族が決めていました」
寺脇、「気づいた市民の不満は膨らみ、爆発寸前にまでいった。そこで登場したのが政治家『ソロン』だ」
相内、「ソロンはBC594年ごろの戦争でアテネに勝利をもたらして、市民の圧倒的支持を得ました。大人気のソロンは貴族が定めた当時の法律を根底から覆しました」
寺脇、「ソロンはまず貴族の法律を廃止し、借金を帳消しにして、奴隷になった人たちを解放した。そしてもう1つ、驚くべき改革を断行する。それが『デモクラシー(民主主義)』だ」
相内、「ソロンは市民にも参政権を与えました」 (男にだけだったとか)
寺脇、「ソロンは『労働者・小作農民』、『自作農民』、『騎士』、『貴族など大地主』、これら4つの階級すべてに参政権を与えたんだ」
http://www.tv-tokyo.co.jp/137/