じじぃの「人の死にざま_1231_王仁・博士」

王仁 - あのひと検索 SPYSEE
http://spysee.jp/%E7%8E%8B%E4%BB%81/21284
朝鮮語 万葉五首補正 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=6bgsXHqOMlk
中国各地方言音・朝鮮語における「日本」の発音 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=XnOY0mt7yV4
王仁塚を守り20年 東洋経済日報
1600年前に百済から日本に、論語千字文を伝えた王仁博士(ワニ)〔写真:中央〕の遺徳をしのび3日、「博士王仁まつり」(大阪日韓親善協会主催)〔写真:上〕が、大阪府枚方市の伝王王仁塚で開かれた。王仁博士の功績を忘れないようにと1984年11月3日に始まった同まつりは、今年で無事20回目を迎えた。当日は趙世衡・駐日韓国大使全羅南道霊安の金チョルホ郡守など関係者100人が出席して、厳かに式典が行われた。
http://www.toyo-keizai.co.jp/news/society/2003/20_7.php
王仁 ウィキペディアWikipedia)より
王仁(わに、生没年不詳)は、記紀に記述される百済から日本に渡来し、千字文論語を伝えたとされる人物である。『日本書紀』では王仁、『古事記』では和邇吉師(わにきし)と表記されている。その姓から見て、高句麗に滅ぼされた楽浪郡漢人系の学者とする説もあり、また実在を疑問視する説もある。

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『 なぜ、日本人は韓国人が嫌いなのか。―隣の国で考えたこと』  岡崎久彦/著 WAC BUNKO  2006年発行
日本語に一番近い言葉 (一部抜粋しています)
韓国語や広東語の漢字の発音は、同じ中央から南北にひろがったのですから、古代の中国語の発音に近いと言われています。そういう意味では、いわゆる漢音、呉音は、本当は唐音、漢音と言った方がより正確なのかもしれません。そして日本では呉音が主流ですから、日本は漢字音に関しては古代中国文化圏に属するとも言え、あるいは大唐の文明を中心にして見れば、周辺文化圏に属するものと言えることになります。
たとえば蝶の現代中国音はティエですが、広東語ではティエップ、韓国語はチョップ、日本語の旧かなはテフで、語尾のpが残っています。同じような語尾の例では、数字の三は現代中国語はサン、韓国語と広東語ではサム、日本語では今はサンですが、源三位(げんざぶみ)のように昔はm終止だったようです。
ところで話はテフテフに戻りまして、こんなことは考えてみれば何でもない話です。日本に初めて漢字がきた時、日本人は読み方を知らなかったのですから誰かが教えたわけです。日本書紀には、百済王仁博士や阿直岐臣が教えたと書いてあるのですから素直にそう思ってよいでしょう。
日本に旧かながあるように、韓国にも旧綴りがあって、ちょっと古い辞書には、蝶のことは、チョップでなくて、ティョップと書いてあります。こうなると広東語とほとんど同じになります。王仁博士が来て、蝶のことをティョップと教えると、日本人は「プ」という字の代わりに「フ」と書いて、テフと覚えたのでしょう。
奈良時代は、フはphのような音だったと言いますし、現在でも、韓国語はfとpとphの区別がなくて、セーフをセープ、フランスをプランスと書くのですから、日本人がp音をph音で覚えても王仁博士には叱られなかったでしょう。だから日本人がテフと覚えても、ちっともおかしくはないわけです。
同じように、長という字を王仁博士にチャングと読まれて、「ウ」でngの発音をあらわしてチヤウと書いたのでしょう。われわれ日本人が、韓国語を耳で聞いてわからないことの1つは漢字音にnの終止とngの終止があってどっちかわからないことです。私のアパートは漢江の傍ですが、漢江は日本人が発音するとハンガンと言って、タクシーなどで韓国語で発音しようとしてもそれぞれのンがnかngかどっちだかわかりませんが、旧かなを思い出すとカンカウで、カンはn終止でカウはng終止だから、ハンガングと言えば通じるなとすぐわかります。
ここまできて、ちょっとおかしいと思うのは、王仁博士が来た時に、まだ仮名がなかったのだからどうやって発音をテフまたはチヤウと覚えたのだろうということです。
日本の国粋主義者に叱られそうですし、韓国の人も遠慮して、そこまではっきり言いませんが、いわゆる万葉仮名の元もその頃同時に教えてもらったのではないかと思うのです。もっと端的に言えば、仮名の元を発明したのは中国人ではないかと思います。
魏志倭人伝」を見ても、文章は漢文ですが、固有名詞となるとどうにもならずに漢字の当て字を使っています。「卑弥呼」の「卑」は万葉仮名でも、「ひ」として使っています。韓国の人の研究によると、朝鮮半島では、漢の郡県であった時代から、漢字音を使って固有名詞を表す方法がありましたが、その頃の記録は余りないので、少し下って統一新羅の郷札のアイウエオの例をとると、阿(ア)、以(イ)、伊(イ)、于(ウ)、衣(エ)と書くなど、万葉仮名と重なる部分が甚だ多いそうです。とすれば、呉音という発音は、ますます古代の漢帝国からじかに朝鮮半島に伝わっている可能性があるわけです。
だいたい初めて外国の字を覚えると、日本人が英語を覚えても、アメリカ人が日本語を覚えてもそうですが、すぐやりたがることは、自分の名を字で書いてみることです。応神天皇が、俺(わし)の名前をどう書くのだと聞かれると、王仁阿直岐が、品陀和気(ほむだわけ)の命(みこと)と書きますと申し上げて、なるほど、これが俺の名であるかということになったのも充分想像できます。固有名詞の表記法なしの文字などは使用価値が半減しますから、それが同時に必要になったことは当たり前のことでしょう。とすれば、漢字が入って来て、それが万葉仮名の元、または、万葉仮名そのものになっても、少しも不自然でありません。