じじぃの「人の生きざま_303_田端・義夫」

田端義夫さん死去 私生活では4度結婚 2013年4月25日 デイリースポーツ
「バタやん」の愛称で親しまれ、「かえり船」などのヒット曲で知られた歌手の田端義夫(たばた・よしお、本名田畑義夫)さんが25日午前11時45分、肺炎のため東京都内の病院で死去した。94歳。三重県出身。葬儀・告別式の日取りは未定。
http://www.daily.co.jp/newsflash/gossip/2013/04/25/0005929298.shtml
田端義夫 - あのひと検索 SPYSEE
http://spysee.jp/%E7%94%B0%E7%AB%AF%E7%BE%A9%E5%A4%AB/26004
かえり船 田端義夫 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=myDgvXaGsGs
大利根月夜 田端義夫 本人映像 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=VUMKEYHObpQ
田端義夫 ウィキペディアWikipedia)より
田端義夫(1919年(大正8年)1月1日 - 2013年(平成25年)4月25日)は、日本の歌手、ギタリスト。本名は田畑義夫。第二次世界大戦前から21世紀初頭まで現役歌手として活躍した。愛称はバタヤン。水平に構えて持つ、アメリカのナショナル・ギター社製エレキギターと威勢のよい挨拶がトレードマークであった。

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文藝春秋 2013年7月号
蓋棺録 「田端義夫(たばたやすお)」 (一部抜粋しています)
歌手・田端義夫(本名・田畑義夫)は、戦前・戦後を通じて、独特の節回しでファンを泣かせた。
1979(昭和54)年、久しぶりに田端義夫の名前がニュースで報じられた。ラスベガスのスロット・マシンで6400万円を当てたという椿事だった。「いやあ、カミさんがいなかったらなあ」というのが第一声で、いかにも「バタヤン」らしいと記者たちもファンも笑った。
19(大正8)年、三重県松阪市に生まれる。10人兄弟の9番目で、13歳から丁稚や旋盤工として働いた。歌が好きで東海林太郎のマネをして歌っていたが、19歳のときにポリドールが開催したアマチュア・コンテストで優勝。ポリドールの社長宅に住み込み、翌年、出してもらったのが『島の船歌』だった。
その後も『大利根月夜』などがヒットした。戦時中は慰問演芸会に駆り出されて、兵隊たちを前に歌った。戦後もすぐに『かえり船』がヒットした。復員列車が駅についたとき、駅に流れていた『かえり船』を聞いて涙している復員兵たちを目撃し、「歌手になってよかった」としみじみ思ったという。
53年度の所得は歌手でトップだったが、ロカビリー・ブームがやってくると一時忘れられた。しかし、62年に奄美大島がテーマの『島育ち』でカムバック。さらに、75年にも与論小唄が元になった『十九の春』がヒットして健在ぶりを示した。
ギターを胸高に抱え、独特の節回しで歌う唄は、息長く愛唱され、田端は「バタヤン」の愛称で呼ばれた。

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田端義夫 Google 検索
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