じじぃの「人の生きざま_395_ポール・アンカ」

ポール・アンカ - あのひと検索 SPYSEE
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Paul Anka - Diana 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=GwNcnsfeDE4
Paul Anka My Way ポールアンカ マイ・ウェイ 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=TtSicB7oNdc
ポール・アンカ ウィキペディアWikipedia)より
ポール・アンカ(Paul Anka, 1941年7月30日- )はカナダ出身のポピュラー・シンガーソングライター。
【人物・来歴】
レバノンの正教徒移民の子としてオタワで生まれた。1990年にアメリカ市民権を得ている。ニール・セダカやデル・シャノンと共に、ポップスの草創期を代表するシンガーソングライターであり、その草分け的存在でもある。
1957年に自分の弟のベビーシッターへの片思いを綴った自作曲「ダイアナ」"Diana"でデビュー。この曲はいきなりビルボードの1位にランクインした。その後、「君は我が運命」"You Are My Destiny"、「ロンリー・ボーイ」"Lonely Boy"などのヒットを飛ばす。

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『私が出会った「世界権力者&超VIP」50人 真実の素顔』 中丸薫/著 イースト・プレス 2013年発行
名曲『マイ・ウェイ』にこめられたメッセージ ポール・アンカ(歌手) (一部抜粋しています)
「これまでの人生で『ダイアナ』がヒットしたときがいちばん楽しく、思い出に残っています。そのずっと前から、夢と希望を持ってやってきたことが報われたわけですから。レコードが世界中に広がっていった様子も、はっきり覚えています」
ポール・アンカさんは、この自作の曲『ダイアナ』にたどり着くまでに何年もかかったそうです。ところが、突然売れ始め、たった1ヵ月で爆発的な大ヒットとなったのです。全世界で1千万枚以上の売上を記録したこの曲で、彼は一躍「時の人」となりました。1957年、アンカさん16歳のときのことです。
「人生が変わった、と思いました。たったのひと晩で生活も環境も変わり、新しい人々と知り合い、それまでとはまったく別の生活へ入っていきました」
その後も快調にヒットを飛ばしたアンカさんですが、1960年代に入ると様子が一変します。ビートルズの登場で、アンカさんはすっかりその陰に隠れてしまったのです。大好きな作曲に思うように集中できないことも、大きなストレスになりました。
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そんなあるとき、アンカさんは、歌手・俳優として活躍していたフランク・シナトラさんが引退するという噂を聞きました。シナトラさんもまた、スランプから抜け出せずに苦しんでいたのです。
アンカさんはシナトラさんの歩んできた人生を称えて歌をつくりました。それが不朽の名作『マイ・ウェイ』です。
「私にはつらい時代があったおかげで、スランプを耐えることができたのです。まだ、若かったので、そのうちチャンスがくるだろうと信じていました。つくり出したい音楽も、まだたくさんありましたしね。
 それに、私はもう子どもじゃないし、アイドル歌手でもない、ひとりの大人として歩み始めるときが来ている、と感じていました。そうこうしているうちに、『マイ・ウェイ』が生れたのです」
マイ・ウェイ』の大ヒットによって、アンカさんもシナトラさんも奇跡の復活を遂げました。
「信じたこの道を私は行くだけ。すべては心の決めたままに」
この『マイ・ウェイ』の歌詞は、アンカさんが苦しかった時期にたどり着いた境地、そのものだったでしょう。

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