ダイアナ妃 - あのひと検索 SPYSEE
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Princess Diana Frances Spencer (1961-1997)_The lady in Red 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=jagg_m0QHoI
Diana, the truth of death ダイアナ妃、死の真相 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=trvt5y5Z478
ダイアナ (プリンセス・オブ・ウェールズ) フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (一部抜粋しています)
ダイアナ・フランセス・スペンサー(Lady Diana Frances Spencer、1961年7月1日-1997年8月31日)は、イギリス女王エリザベス2世のチャールズ王太子の元妃。1996年に正式離婚した。1997年、パリでの交通事故により不慮の死を遂げた。それぞれ第2位および第3位のイギリス王位継承者であるウィリアム王子およびヘンリー王子の実母。元来ドイツ発祥で、王位継承者にもドイツ系を主に外国から配偶者を迎える慣例があった同王家としては初めての、両親ともイギリス人の妃であった。
【生涯】
ダイアナは、オールトラップ子爵ジョン・スペンサーと子爵夫人フランセスの三女として生まれた。
1981年2月24日チャールズ王太子とダイアナの婚約が発表され、同年7月29日、20歳の時にチャールズ王太子とロンドンのセントポール大聖堂で結婚し、その模様はイギリス連邦をはじめとする世界各国で生中継され、その後も2人の動向は世界各国のマスコミで大きく報道されることとなった
チャールズとカミラの交際は世間に知れ渡り、これを機にダイアナも王室職員や大富豪のドディ・アルファイドなど、複数のさまざまな男性と大っぴらに付き合うようになった上に、マスコミにチャールズとの不仲について自らリークを行っていたとも伝えられた。夫婦は1992年12月9日に別居し、1996年8月28日に正式離婚した。
ダイアナは「プリンセス・オヴ・ウェールズ(ウェールズ大公妃)」を引き続き名乗ることと、ケンジントン宮殿の居住を認められ、その後は自由奔放に様々な男性との交際を行ったほか、対人地雷廃止運動やエイズ啓発活動などに関っていた。
1997年8月31日に、フランスの首都のパリで、当時の恋人であるエジプト系イギリス人の大富豪のドディ・アルファイドとともにパパラッチに追跡された果てに、乗車したパリのリッツ・ホテルのメルセデスベンツS280のハイヤーがパリ市内のトンネル内で交通事故を起こし急逝した。36歳という若さであった。
遺体はノーサンプトン州オルソープにあるスペンサー家領地内の池に設けられた墓所に埋葬された。ダイアナの葬儀時、友人のエルトン・ジョンが、マリリン・モンローへの追悼曲であった「キャンドル・イン・ザ・ウィンド」の歌詞を書き直した「キャンドル・イン・ザ・ウィンド1997」を生演奏した。
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『週刊現代』 2011年8月6号
ダイアナ妃 あの事件、あの見出し――ダイアナ妃、ご成婚 文/中森明夫 (一部抜粋しています)
今年4月、ウィリアム王子が結婚した。いまひとつ地味に見えるのは仕方がない。キャサリン妃の背後に、かのダイアナ妃の霊が光輝いている。30路前のキャサリンと較べて、20歳のダイアナは目映いばかりの若いプリンセスだった。一躍、世界中を魅了した御成婚はちょうど30年前、1981年夏のことである。
我が極東の島国は70年代の低成長時代を引きずっていた。前年、松田聖子がデビューして、聖子ちゃんカットのアイドルが続出した。みんなヒラヒラしたお嬢様のような衣装を着ていた。その時、はるか海の向こうのレディ・ダイアナは乙女らにとって特別な意味を持っていた。いつか王子様が迎えに来て、プリンセスになれる……そんなお伽噺のヒロイン願望が、まだギリギリのリアリティを保っていた。
86年5月、来日。ダイアナ・フィーバーが吹き荒れた。「恐縮です!」の梨元勝さんは「ダイアナ専属リポーター」を名乗った。「そんなのダイアナの知ったこっちゃない」とナンシー関は笑った。そのナンシーも梨元さんもダイアナも、もうこの世にはいない(諸行無常!)
乙女らのプリンセス願望はバブルとともに弾けた。松田聖子もダイアナも離婚した。スキャンダル報道が現代のお伽噺を許さなかった。挙げ句、ダイアナはパパラッチに追っかけられ、エジプト人富豪の恋人とともに衝突事故。パリに死す――1997年夏のこと。世界に衝撃が走った。エルトン・ジョンはマリリン・モンローへ向けた追悼歌の歌詞の一部を替え、「さらば英国のバラ」と唄った。マリリンと同じ36歳だった。パラは散ったからこそ美しい。ダイアナは20世紀末の伝説になった。
離婚と夭折の悲劇を思えば、ダイアナの婚約指輪がキャサリン妃に譲り渡されたのは不吉な感がある。だが、あんなに劇的な不幸は選ばれたヒロインにしか許されまい。キャサリンには凡庸な幸福を生きるのがお似合いなのかもしれない。
今年の7月1日、ダイアナは生誕半世紀を迎えた。
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ダイアナ妃 Google 検索
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