じじぃの「人の死にざま_701_O・クロムウェル」

オリバー・クロムウェル - あのひと検索 SPYSEE
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Oliver Cromwell 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=TUQ5QVLffBc&feature=related
BBC A History Of Britain (Revolutions) Part1 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=fc7S4Chk_-A&feature=related
オリバー・クロムウェル フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』 (一部抜粋しています)
オリバー・クロムウェルは、イングランドの政治家、軍人、イングランド共和国初代護国卿。鉄騎隊を指揮してエッジヒルの戦いやマーストン・ムーアの戦いで活躍し、新模範軍(ニューモデル・アーミー)の副司令官となる。ネイズビーの戦いで国王チャールズ1世をスコットランドに追い、議会派を勝利に導いた。護国卿時代には独裁体制をしいた。
コモンウェルス成立】
内乱の終結後議会は軍の解散を求めるが、クロムウェルは議会派の中でも国王との妥協を赦さない独立派に属し、妥協を求める長老派と対立しており、長老派を追放したクロムウェルは独立派議員による議会を主導、1648年に再び決起したチャールズ1世を処刑し、1649年5月に共和国(コモンウェルス)を成立させた。
共和国の指導者となったクロムウェルは、急進的な水平派を弾圧、中産市民の権益を擁護する姿勢を取るようになる。重商主義に基づいた政策を示し、同時に貴族や教会から没収した土地の再分配を行った。

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『人間臨終図巻 上巻』 山田風太郎著 徳間書店
クロムウェル (1599-1658) 59歳で死亡。 (一部抜粋しています)
1649年チャールズ1世を処刑したあと、清教主義と武断主義をもってイギリスに独裁政治をしいたのみならず、アイルランドスコットランドを征服し、オランダ海軍、スペイン海軍を破ってイギリスの世界の海上制覇のいとぐちを作った鉄人クロムウェルは、1658年9月3日、インフルエンザで死んだ。
直接の死因はインフルエンザだが、しかし、
クロムウェルは彼の尿管にもし小さな砂粒がなければ、全キリスト教国を荒らすところであった。……結石が出来たため彼は死に、すべては平和に戻り、王も復位したのである」
パスカルは『パンセ』に書いているように、彼の晩年を苦しめ、その力を弱めたのは尿道結石であった。
彼の尿道の1つぶの砂粒が、ヨーロッパのカトリック教国をその鉄腕から救ったのである。
クロムウェルは死後国葬となり、ウエストミンスター寺院に葬られたが、フランスに亡命していたチャールズ2世がイギリスに戻って王位につくと、クロムウェルの棺は掘り出され、遺体は1日吊るされたのち、頸骨を切られ、その首は長くさらしものにされた。

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クロムウェル Google 検索
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