じじぃの「人の死にざま_1210_IK・ブルネル」

イザムバード・キングダム・ブルネル - あのひと検索 SPYSEE
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Isambard Kingdom Brunel - Pt6 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=FIUAB63-90o&list=PLA8BF37B0B3A38744
ブルネルの木製高架橋を再現! 【鉄道模型 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=WfE9JEhFS88
イザムバード・キングダム・ブルネル ウィキペディアWikipedia)より
イザムバード・キングダム・ブルネル(Isambard Kingdom Brunel、1806年4月9日 - 1859年9月15日)は イギリスのエンジニアである。グレート・ウェスタン鉄道の施設や車両を設計した技術者で、また、当時としては大型の蒸気船を製作した。
2002年、BBCが行った「100名の最も偉大な英国人」投票で第2位となった。
有名な技術者サー・マーク・イザムバード・ブルネルの息子で、イギリスのポーツマスに生まれ、フランスで教育を受けた。20歳で父親のテムズ川のトンネル工事に技師として加わったが2年後出水事故で負傷したためその仕事から離れた。1833年にロンドンとブリストルを繋ぐグレート・ウェスタン鉄道の技師となり、橋梁、トンネル、駅舎を設計し、監督した。グレート・ウェスタン鉄道は安定性と乗客の乗り心地の改善のために2140mmの広軌を採用した。優秀なデザインの鉄道車両や鉄道施設などに贈呈されるブルネル賞は彼に由来する。
100名の最も偉大な英国人 ウィキペディアWikipedia)より
『100名の最も偉大な英国人』(100 Greatest Britons)は、BBCが2002年に放送したテレビ番組。イギリス大衆の投票によって、歴史上最も偉大な英国人を決め、その結果を放送した。
1 ウィンストン・チャーチル(1874年 - 1965年) 政治家、第二次世界大戦時の英国首相
2 イザムバード・キングダム・ブルネル(1806年 - 1859年) エンジニア、グレート・ウェスタン鉄道などの創設者
3 ダイアナ (プリンセス・オブ・ウェールズ) (1961年 - 1997年) チャールズ王太子の最初の妻 (1981年 - 1996)、ウィリアム王子とヘンリー王子の母
4 チャールズ・ダーウィン(1809年 - 1882年) 自然科学者、自然選択説による進化論の提唱者、『種の起源』の著者
5 ウィリアム・シェイクスピア(1564年 - 1616年) 詩人、劇作家、英語による最も偉大な作家と見られている
6 アイザック・ニュートン(1643年 - 1727年) 物理学者、数学者、天文学者、自然哲学者、錬金術師、科学史上最も偉大な人物の一人と看做されている
7 エリザベス1世 (1533年 - 1603年、在位:1558年 - 1603年)
8 ジョン・レノン(1940年 - 1980年) 音楽家ビートルズのメンバー、平和活動家、画家、 慈善家
9 ホレーショ・ネルソン(1758年 - 1805年) イギリス海軍提督
10 オリバー・クロムウェル(1599年 - 1658年) 護国卿
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『近代発明家列伝――世界をつないだ九つの技術』 橋本毅彦/著 岩波新書 2013年発行
ブルネル――大英帝国のビジョン (一部抜粋しています)
ブルネルはグレート・ウェスタン鉄道以外にも、内外の多くの鉄道の建設事業に関わった。1830年代後半から40年代にかけて、ブルストルからさらに延伸する路線、グレート・ウェスタンの支線、オックスフォード、デヴォン、ウェールズアイルランドの鉄道建設に着手した。それとともの、イタリアやインドなどの外国の鉄道建設事業にも関わった。
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ブルネルは、ロンドン―プリストル路線が完成するはるか以前から、その視線を大西洋のかなたに向けていた。ロンドンからプリストルまで鉄道で旅客を輸送し、そこからニューヨークまで蒸気船で輸送する。鉄道と蒸気船を結びつけた輸送路の開拓を、彼は早い時点から構想していた。
1836年、ブルネルはグレート・ウェスタン蒸気船会社を設立し、大西洋を横断できるような蒸気船の設計と建造に着手した。1837年に竣工したグレート・ウェスタン号は、蒸気機関とともに帆も備えた木造船である。舷側に外輪を備え、長距離の航海を続けるために多くの石炭を収蔵した。
蒸気船が発明されたのは、1807年、アメリカのロバート・フルトンハドソン川を航行したのが最初とされている。しかし海洋の航行にあたっては、それまで長く使われていた帆船が使用され、蒸気機関はあくまで補助エンジンとして使用された。ブルネルのグレート・ウェスタン号は、その点ではとりわけ新しさをもった船ではなかった。
グレート・ウェスタン号が大西洋航路に就航すると、経営陣はもう1隻の船の建造を計画した。当時は木造船として計画されたが、ブルネルは鉄製の船を提案。1839年に着工されたその鉄製の船はグレート・ブリテン号と命名され、1843年に竣工、1845年にプリストル―ニューヨーク間の航海を開始した。全長98メートル、排水量3700トン、当時、世界最大の船舶であった。外輪ではなくスクリューが供えられたが、蒸気船にスクリューが利用されるのはこの頃からである。グレート・ブリテン号のスクリューはニューヨークへの第2の航海で破損してしまい、6枚の細い羽根のプロペラから4枚の広い羽根のプロペラに取り替えられた。
後にグレート・ブリテン号は他の商船会社に売却され、新天地オーストラリアへと向かう移民客を乗せる輸送船として運航された。
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巨大な船は、その巨体から初め「リヴァイアサン」と名づけられたが、グレート・イースタン号という名前が与えられた。同号はノンストップでイギリスからオーストラリアまで航海できるよう設計されていた。全長200メートル超の船体には、そのための大量の石炭を収蔵するスペースが備えられた。船体は二重の船殻構造をもち、全体で19コンパートメントに分けられた。おかげで、大西洋航海中に船体に穴が空いたが沈没は避けられた。
ブルネルが建造全体の監督技師となり、ラッセルの造船会社が船の構造体と外輪用エンジン、別途契約を結んだジェームス・ワット社がスクリュー用蒸気エンジンを製造した。建造は1853年に始まり、57年には船体が完成した。しかしその間、ブルネルとラッセルとの関係は悪くなる一方だった。2人は竣工後の進水方法に関しても対立し、またラッセルは自社の経営が苦しくなったこともあり、ブルネルに無理を言うようにもなった。
グレート・イースタン号は1858年に竣工し、1859年に大西洋航路に就いた。しかしエンジンの爆発事故などが発生し、心労が重なっていたブルネルは病状を悪化させ、同年9月に53歳の若さで亡くなってしまう。

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