じじぃの「科学・芸術_130_スコットランド・蒸気機関」

032 - How A Steam Locomotive Works 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=wZSoMxTb1ZM
スコットランド グラスゴー

蒸気機関の父ジェームズ・ワット 機械文明が大進歩したのはこの英国人のおかげ!? bushoojapan
ワットは1736年にスコットランドで生まれました。
父は船大工兼商人、母は名家のお嬢様で、ワットに勉強を教えるほど教養のある人だったそうです。当時の女性の地位を考えれば、相当の才女だったと見て間違いないでしょう。
http://bushoojapan.com/tomorrow/2015/08/25/57598
スコットランドを知るための65章』 木村正俊/著 赤石書店 2015年発行
蒸気機関と鉄道・造船 産業革命の成果を象徴 (一部抜粋しています)
18世紀後半にイギリスで始まった産業革命は、別名「スコットランド人の革命」と言われ、蒸気機関を発明・実用化したジェイムズ・ワットをはじめスコットランド人技師が活躍した。産業革命は有史以来の人力による道具の時代から自動機械の時代への大変革となり、人類生活の歴史を変えた。燃料も木材から化石原料(石炭)利用が可能となった。
鉄道ではスコットランド人機械技師トレヴィッシックが1804年に南ウェールズで10トン貨物を鉄工場から運河間の9マイルの距離を運ぶ、世界初の蒸気機関車試走に成功した。興味深いのはトレヴィッシックの孫2人、リチャードとフランシスが明治時代に鉄道技師として来日し、兄は1893年の国産初の蒸気機関車の製造指導、弟は横川ー軽井沢間にアプト式鉄道を導入で有名である。
次いで実家がエディンバラ灯台建設のジョージ・スティーヴンソンがイングランドに下りロコモーション号を完成させ1825年には世界初の公共鉄道ストックトンダーリントン間を完成させ、1830年に彼の名前を世界的に有名にしたイギリス資本主義興隆の象徴たるマンチェスターリバプール間の公共鉄道を完成させた。マンチェスターはイギリス最大の商工都市であり、リバプールは海外交易の主要港であった。
ティーヴンソンの両都市間鉄道は大成功を収め、大量の貨客を運ぶことができた。交通手段も馬車から鉄道に変わり、国内各地で鉄道会社が設立され1831年から1845年の間、株主に年率9.5パーセントの配当を提供でき「鉄道マニア」と呼ばれる鉄道建設ブームを迎えた。
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日本で最初に走った蒸気機関車は、1872年(明治5年)スコットランド人技師E・モレルがグラスゴーから輸入し、新橋と品川間を走ったとされる。
19世紀半葉、スコットランドではロンドンにつながるカレド二アン鉄道とノース・ブリティッシュ鉄道の2大ライバルとグラスゴー周辺のグラスゴー南西部鉄道の3大鉄道会社が競争を展開し、その熾烈な競争の拡大が世界市場を包摂していった。
陸上の蒸気機関車の時代は、海上の蒸気船時代を開いた。大型木造帆船から小型鉄製蒸気船への転換である。スコットランド人海事技師が活躍し、1801年にW・サイミントンが「シャーロット・ダンダス号」、1812年にH・ベルがヨーロッパ最初の定期蒸気旅客船「コメット号」をクライド川に就航させた。アメリカでの蒸気船も1807年にスコットランド人移民R・フルトンがハドソン川で木造外輪船「クラモンド号」を定期就航させた。
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産業革命の成果を象徴する蒸気機関車や蒸気船がイギリス資本主義の世界市場へのネットワークを拡大した。長年イングランドに経済的に従属していたスコットランドが土着の黒帯鉱石の製鉄化に成功し、英国のミドランズ、南ウェールズを凌駕して英国最大の製鉄製造地域となり、同時に世界輸出市場を形成した。事実、グラスゴーで生産された鉄鋼は1870年代の5万トンから1911年の12万5000トンへと増大し、船舶生産も同時期に20万トンから111万トンへと増大した。
イギリスが「世界の工場」と賞賛された時代、西部スコットランドは「英国工場の心臓」、さらにグラスゴーは「機械の都」と呼ばれた。