じじぃの「レトリック・ジョーク!そこはかとなくおかしい」

与謝野晶子 画像
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『短編小説より愛をこめて』 阿刀田高/著 新潮社 2006年発行
レトリック・トリック・テクニック (一部抜粋しています)
レトリックとトリックは語呂(ごろ)がよく似ているし、意味する内容にも共通するところがある。語源にはまったく別な用語だろうけど……。
が、それはともかく、中身が似ていると思うのはなぜか? どこがどう似ているのか? このあたりから考え始めたが、これも判然とした区分ができなかった。
レトリックは日本語で言えば修辞であり、修辞は文字通り文章を飾ることだろう。トリックは巧みに人を騙す仕掛けである。ことの善悪に目くじらを立てなければ、この2つに共通する部分は多い。文章を飾ることは巧みに操る技術にほかならない。騙すのと紙一重の差、飾るのは一種の騙しである。トリックも手品を思えば歴然としているだろう。必ずしも悪いことばかりではない。よくこそ騙してくれました、という世界も実在する。2つの区別にはあまり大きな意味はなさそうだ。
ならば、ここで大切なのはレトリックのほう。辞書などで調べてみると、レトリックは古代ギリシャの雄弁術に由来し、わかりやすく言えば今日のディベートのテクニック、どううまく説得し、相手をうちまかすか、という技術を指していたようだ。文章表現だけではなく話術にまで思案を伸ばすとなると、さらに領域は広がって、とりとめがなくなりそうだ。
とりあえず私としては(文筆家なのだから)書かれた文章に限定して考えてみた。根本は同じことのような気もする。
すると……レトリックの一番簡単な説明は、文章表現を”よくする”こと……。もう少し踏みこんで言えば、文章表現を表現の目的によく適(かな)うよう巧みに機能させる技のことだろう。
目的はたくさんある。
まず、美しく綴ること……。
 ああ皐月(さつき)仏蘭(フランス)西の野は火の色す 君も雛罌栗(コクリコ)われも雛罌栗
と、与謝野晶子の歌は美しい。レトリックを駆使している。だが、美しい表現ということなら、ほかにもたくさんあるだろう。なにをもって美しいとするのか。
次に、わかりやすく綴ること……。これもレトリックと関わっているのだろうが、あまり単純ではレトリックとは言いにくい。
比喩(ひゆ)などを用いて、生き生きと示すこと……。うん、これはわかる。一番わかりやすいレトリックだ。向田邦子はこの方面の名人で<かわうそ>のヒロインは”西瓜(すいか)の種子みたいな黒い小さな目”の持ち主で、そのバストは”細い夏蜜柑の木に、よく生(な)ったものだと思うほど重たそうな夏蜜柑が実っているのがある”ようにみごとである。ほかにも比喩を巧みに使う作家はたくさんいる。これだけで大部の論文になりそうなテーマである。
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大げさに話すレトリックもあって、昔、聞いたロシアのジョーク。
「シベリアの寒いのなんのって、冬のあいだ立ち話をしていると、話がみんな凍ってしまうんだ。それが春になると、みんな解けてペチャクチャ、ペチャクチャ、うるさいのなんのって」
話芸のうちだが、こうした技は文章にも見られる。
そのほか擬人法、起承転結、押韻、枕詞(まくらことば)、掛詞(かけことば)、オノマトベ、洒落(しゃれ)、ほかにもいろいろな技術がある。1つ1つ述べていったら膨大な叙述になってしまうだろう。

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どうでもいい、じじぃの日記。
図書館に、阿刀田高著 『短編小説より愛をこめて』という題名の本があった。
著者が子どものころから面白かった短編小説として、グリム童話集、落語全集、芥川龍之介、O・ヘンリーらの小説を挙げている。
私と著者とでは生きた年代が違うし、著者は今年まで日本ペンクラブ会長だった人だ(現在は浅田次郎氏)。比較するのも何だが、芥川龍之介、O・ヘンリーは少し読んだ。あとは星新一か。
この本に「レトリック・トリック・テクニック」というエッセイが載っていた。
レトリックとは、
「レトリックは日本語で言えば修辞であり、修辞は文字通り文章を飾ることだろう。トリックは巧みに人を騙す仕掛けである」
らしい。
与謝野晶子の短歌
 「ああ皐月仏蘭西の野は火の色す 君も雛罌栗われも雛罌栗」
意味も分からず、言われてみれば何か美しい。 (^^;;
雛罌栗(コクリコ)とはひなげしのことだそうだ。
レトリックとジョークは「そこはかとなくおかしい」のだそうだ。
「シベリアの寒いのなんのって、冬のあいだ立ち話をしていると、話がみんな凍ってしまうんだ。それが春になると、みんな解けてペチャクチャ、ペチャクチャ、うるさいのなんのって」
うん。そこはかとなくおかしい。
デーブ・スペクターやビートたけし爆笑問題太田光のギャグもそこはかとなくおかしい?
赤塚りえ子著 『バカボンのパパよりバカなパパ 赤塚不二夫とレレレな家族』という本にこんなのがあった。
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フジオ・プロはその頃、大がかりな社員旅行を行った。社員の他にも、関係者や日頃お世話になっている人たち、小野ヤスシさんなど友人も同行し、その賑やかさたる大変なものだったという。
浜名湖・館山寺温泉のホテルに泊ったときのこと。
アシスタントふたりがいちゃいちゃしているようだと、パパに報告があった。
「けしからんな、あいつら。冗談じゃないよ」
「赤塚センセイはビシッと言わないから、ナメた真似するんだよ」
と年長のアシスタントがパパに言う。
「いや、今度は殴る。殴るぐらいのことをする」
パパを先頭に、野次馬5、6人が現場に乗り込むことにした。様子を見に行くと、案の定、5つぐらい向こうの部屋で若い男女が何かをやっていた。
「ほーら。さぁ、センセイどうする?」
「ようし、オレが乗りこんで言ってやる!」
パパはガラッと戸を開けると、ふたりは、いちゃいちゃの真っ最中。
パパはマジに言い放つ。
「おまえら、いいなぁ! オレにもやらせろ!」