【鳳凰網2013.5.9】人民日報:中国琉球の帰属について再議 動画 YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=KxnwKV_20lo
琉球王国
中国画策、沖縄を「琉球自治区」に 海軍機が尖閣接近 2011.3.3 21:12 MSN産経ニュース
中国海軍機が2日、沖縄・尖閣諸島に接近し、航空自衛隊がF15戦闘機を緊急発進(スクランブル)させる事態が起きた。領空侵犯はなかったが、同国の領土拡張への野心は無視できない。実際、中国系の新聞や雑誌、インターネットなどには「中華人民共和国琉球自治区」や「中華民族琉球自治区」といった文字が多く見られるようになっているという。
http://sankei.jp.msn.com/world/news/110303/chn11030321130006-n1.htm
中国初の空母が試験航行 2011年8月10日 沖縄タイムス
【大連共同】中国が遼寧省大連港で改修を続けてきたウクライナ製空母「ワリャク」(満載排水量約6万7千トン)が10日午前(日本時間同)、同港を出港し、試験航行を開始した。1年余りの試験航行を経て、来年就役する見通し。就役すれば中国初の空母となり、アジア太平洋地域の軍事バランスに大きな影響を与えそうだ。
http://www.okinawatimes.co.jp/article/2011-08-10_21913
歴史秘話ヒストリア 「はるかなる琉球王国 〜南の島の失われた記憶〜」 (追加) 2014年9月3日 NHK
【案内役】渡邊あゆみ
●エピソード1 生き残り大作戦
アジア各地の産物を集め、中国と貿易することで繁栄を築いた琉球王国。日本の戦国大名である薩摩島津家の侵攻を受け、窮地に陥る。日本と中国、二つの大国のあいだでの生き残りをかけた琉球王国の作戦とは?
●エピソード2 “したたか”外交で危機を乗り越えろ
日本が幕末の時代に入ろうとしていた頃、琉球には次々と欧米列強の船がやってきます。武器を持たない琉球は、外交交渉でなんとか外国勢力を遠ざけていました。しかし、そこへ来たのが、強力な艦隊を率いたアメリカのペリー提督。琉球王国とペリー、対決の行方やいかに−
●エピソード3 琉球を守れ!若者たちの奮闘
明治新政府が日本の政治を掌握した時、急いだのは国境の画定でした。琉球を日本に取り込む案、あるいは東アジア安定のためとして中国と分割する案…いずれも琉球王国存亡の危機!その時、立ち上がったのは琉球の若者たちです。彼らの奮闘の物語。
http://www.nhk.or.jp/historia/backnumber/212.html
琉球王国の秘密 〜ドラマ“テンペスト”の世界〜 2011年7月18日 NHK
【主演】山田優 【解説】琉球史研究家 上里隆史 【キャスター】白鳥哲也 【語り】中條誠子
琉球王国末期の王宮を舞台に、美貌と才能を併せ持つ女性が、性を偽って政府の役人になり、人を愛し琉球を愛し懸命に生きる姿を描く「テンペスト」。その放送開始に合わせ、ドラマの舞台・琉球王国の秘密に迫る。激動の時代をどう生き抜き、独立を維持したのか。仲間由紀恵さん演じる主人公も翻弄される王宮の陰の宗教権力の実態とは? そして独自の文化が生み出した美の世界も徹底解剖。ドラマがより楽しく深く見られる歴史紀行。
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琉球王国 ウィキペディア(Wikipedia)より
琉球王国は、1429年から1879年にかけて沖縄本島を中心に存在した王国。当時、正式には琉球國(りゅうきゅうこく、琉球方言:ルーチュークク)と称した。
最盛期には奄美群島と沖縄諸島及び先島諸島までを統治した。この範囲の島々の総称として、琉球列島(琉球弧)ともいう。王家の紋章は左三巴紋で「左御紋(ひだりごもん、フィジャイグムン)」と呼ばれた。
勢力圏は小さな離島の集合で、総人口17万に満たない小さな王国ではあったが、隣接する大国明・清の海禁や日本の鎖国政策の間にあって、東シナ海の地の利を生かした中継貿易で大きな役割を果たした。その交易範囲は東南アジアまで広がり、特にマラッカ王国との深い結びつきが知られる。
明及びその領土を継承した清の冊封を受けていたが、1609年に日本の薩摩藩の侵攻を受けて以後は、薩摩藩による実質的な支配下に入った。ただし対外的には独立した王国として存在し、中国大陸と日本の文化の両方の影響を受けつつ、交易で流入する南方文化の影響も受けた独自の文化を築き上げた。
【琉球(流求)が指す範囲の変遷】
隋書においては、「流求」は福建省の東海上に位置する一介の島嶼としている。隋書に続く時代の『北史』、『通典』、『諸蕃志』においては『隋書』の記述を踏襲し、『太平寰宇記』(宋代の地理書)においても内容に大差はなかった。元代に完成した『文献通考』においては、「琉球」は台湾と沖縄県周辺を混同して指す記述となっている。
1874年にサン・デニーが『文献通考』の一部を翻訳し、その琉球条により流求は台湾であるとする説を発表し、1895年にグスタフ・シュレーゲルが、元以前の琉球は台湾で、明からは沖縄県周辺が琉球になったとする説を発表した。1897年、帝国大学文科大学(現東京大学)史学科教授ルートヴィヒ・リースの著書『台湾島史』(吉国藤吉郎訳、1898年)でも流求は台湾とした。
「流求」が史書に登場した7世紀前後から13世紀までは、台湾も沖縄県地方も村落レベルの小勢力の割拠状態であり、中国大陸や日本の中央政権からは認識が薄い状態であった。14世紀、沖縄本島中部を根拠地とする中山王が初めて明の皇帝に朝貢したことで認識が高まり、朝貢した沖縄地方を「大琉球」、台湾を「小琉球」とする区分が生まれた。その後、「琉球」は琉球王国(琉球國)の勢力圏を指す地域名称として定着していく。
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『図説 琉球王国』高良倉吉、田名真之/編集 河出書房新社 1993年発行
統一王朝の出現 (一部抜粋しています)
南山王の版図にあった佐敷(さしき)の地に、佐敷上(うえ)グスクを拠点とする思紹(ししょう)・尚巴志(しようはし)父子がいた。この父子はおそらく奇策を弄(ろう)したのであろう。1406年、軍を率いて浦添(うらそえ)グスクを攻め中山王武寧(ちゅうざんぶねい)を亡ぼした。新たに中山王となった思紹とその息子尚巴志は、その直後に中山の拠点を浦添グスクから首里城に移したと推定される。
中国の正史『明実録(みんじつろく)』によると、1407年4月、「中山王世子思紹」が「父・武寧」の死亡を告げ冊封使の覇権を求めてきたとある。皇帝はその年、ただちに特使(冊封使)を遣(つか)わして思紹を冊封し、「琉球国中山王」の地位を安堵(あんど)した。つまり、中国側にとって思紹は武寧の自動的な後継者だったわけである。
首里城を拠点とした思紹・尚巴志父子は、1416年、大軍を送り今帰仁(なきじん)グスクを攻め北山王攀安知(ほくざんおうはんあんち)を亡ぼして、北山の版図を手に入れた。そして尚巴志は次男尚忠(しょうちゅう)を北山監守(かんしゅ)に任じ、占領地の確保に乗り出している。
北山征服の5年後、1421年、思紹は死去する。中山王位を継いだ尚巴志は、中国皇帝に父王の死を告げ冊封使派遣を求めた。皇帝は25年に柴山(さいざん)を団長とする使節団を遣わして、尚巴志を「琉球国中山王」に封じた。
その頃、北山の地を併呑(へいどん)した中山の勢力はかなり強大であったはずだ。尚巴志は首里城の整備をおこない。27年には城の周辺に大規模な造園工事を施すとともに、人工池「龍箪(りゅうたん)」を掘らせた。彼には懐機(かいき)という名の中国人が政治顧問としてついており、その勢いに乗じて南山を攻撃することは時間の問題であった。
1429年、尚巴志は島尻大里グスクを攻め、南山王他魯毎(たろみー)を亡ぼす。按司(あじ)の抗争期から多くの按司たちが夢見たはずの琉球の統一は、ここに尚巴志の手で実現されたのである。
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どうでもいい、じじぃの日記。
7/18、NHK 『琉球王国の秘密 〜ドラマ“テンペスト”の世界〜』を観た。
琉球王国とは1429年に沖縄本島の武士である尚巴志によって統一された王国で、1609年に日本の薩摩藩の侵攻を受けるまで続いた。
テレビでは当時の琉球は中国(清)とも日本とも同等な関係を築いていたことが紹介されていた。
中国から見れは、琉球王国は台湾と同じ扱いだった。
もう30年前になるが、台湾と沖縄を旅行した。
台湾は一時日本に併合されていたことがあり、台湾の人々が日本に好感を持っていることを聞いていたので、台湾にどれだけ日本が残っているか興味深かった。
そこは、中国だった。
言葉が通じないというのは決定的だ。街を歩いていて看板がすべて中国語だった。
沖縄は違う。やはり日本だ。何も違和感がない。
中国人がイメージする沖縄は明及び清時代の琉球王国であり、台湾だ。彼らにとって台湾が中国領土であることは沖縄も中国領土なのだ。当然、尖閣諸島も中国領土だ。
しかし、何百年も琉球が日本の一部となり、日本語圏になっている沖縄を、俺のものだとよくも言えるものだ。
この間、日本テレビの『ウェークアップ! ぷらす』に出ていた中国人がこんなことを言っていた。
「中国は昔力が弱くて言えなかった。今は力があるので何でも言える」
中国は尖閣諸島に空母を配置するのだろうか?
日本はその時、どう対処するのだろうか。