琉球宮廷樂曲 - 《太平歌》 Ryukyu Court Music - "Peace Song" 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=AlKIgBz9WUA
沖縄歴史物語 伊波普猷/著 1998/07 平凡社
沖縄学の父と呼ばれた伊波普猷が、敗戦後米軍施政下に転落した沖縄にあって、その一千年の苦難の歴史を描きあげ絶筆となった標題作をはじめ、伊波独自の沖縄歴史論を集める。
http://www.heibonsha.co.jp/book/b160443.html
『読書を楽しもう』 岩波書店編集部/著 岩波ジュニア新書 2001年発行
耐えて、耐えぬいて、歓び満つる日を…… 【執筆者】外間守善 より
生きるということのさまざまな苦悩に耐えて、耐えぬいて、歓び満つる日を願望し続けた楽聖ベートーヴェンの生きざまは、歴史の熱風にさらされながら、撓(しな)って、和(なご)やけて、世の平和に凪(とど)やけようとし続けたきた沖縄の人々の生きざまに、あまりにも似ているように思われてならない。
「撓って」、「和やけて」「凪やけれ」という語は、琉球王国時代の小国家が、周囲と平和共存していくためのモットーにした言葉で、沖縄の『おもろさうし』という古典のなかに記されている。アジア中の諸国家、諸民族と共生していこうとする平和思想でもある。
沖縄に生まれて育って、沖縄に学び続けてきた私が、このごろになってベートーヴェンの哲学、思想を手繰り出してきた理由は、日本の縮図ともいえる沖縄と、自分自身を見失わないためでもあった。
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『沖縄歴史物語』
沖縄の生んだ言語学者伊波普猷(いはふゆう)の著書(昭和22年刊)である。伊波普猷という人は、彼の死後、「おもろと沖縄の父 伊波普猷」と刻まれた顕彰碑が浦添に建てられ、それには、
「彼ほど沖縄を識った人はいない 彼ほど沖縄を愛した人はいない 彼ほど沖縄を憂えた人はいない 彼は識った為に愛し 愛したために憂えた 彼は学者であり愛郷者であり予言者でもあった」
という銘文が記されている。その賛辞どおりだと私も思う。
明治の末年、東京帝国大学で学んだ沖縄で初めての文学士になり帰郷した伊波は、日本の近代化のさまざまな社会的矛盾を抱えこまされている沖縄の現実を知り、沖縄の人々に歴史に目ざめてほしい、という願いをもつようになっていく。それを学問的に解明していくために「沖縄学」という学問を拓いていったのである。
その伊波普猷が、死ぬ1ヵ月ほど前に書き残したいったのがこの『沖縄歴史物語』である。
そこには敗戦後の日本と沖縄の関係を案じつつ、「日本の縮図」という副題が添えられている。伊波は、死を迎える1ヵ月前に、渾身の力を振りしぼって「日本の縮図」である『沖縄歴史物語』を遺言の書にしたのだと私は解釈している。結局は、念願した沖縄の通史を完成しえないままだった。通史の枠組みだけはしっかり目次に記されているところをみると、もう一度詳しく述べるための素描だったのであろう。通史的総まとめを構想した大きな史論でありながら、なお未完のまま、伊波の志を包みこんだ遺稿であると考えたい。
私は、伊波普猷の志を継ぐ形で「おもろ」と「沖縄学」を学びようになってから50余年になるが、初めから伊波普猷を学ぶために沖縄研究に入ったわけではない。沖縄に生まれ育った私自身の「存在証明」をするための手がかりにしたのが、私の沖縄研究だった。しかし、私が歩めば歩むほど、踏み込めば踏み込むほど、そこには常に偉大な先駆者としての伊波の苦闘と業績が、一里塚として立っていた。それだけに沖縄学を志した私にとっての伊波の『古琉球』と『沖縄歴史物語』は、沖縄を学ぶだいじな道しるべである。