じじぃの「神話伝説_79_ヨシュア記(旧約聖書・エリコ)」

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古代の町 エリコ

ヨシュア ウィキペディアWikipedia)より
ヨシュア記』は聖書の書物である。
そこには、ヨシュアの指導の下、イスラエル人がカナンに住む諸民族を武力で制圧し、約束の地を征服していく歴史が記されている。この書物は、キリスト教においては「歴史書」に、また、ユダヤ教においては預言書に分類される。
【著者 (成立事情)】
この書物の原作者は、伝統的には主としてヨシュアが書き(ヨシュア記24章26節)、彼の死後の記事をアロンの子エルアザルとエルアザルの子ピネハスが書いたとされている。
1952〜1957年に、Kathleen M. Kenyon らによって考古学的発掘が行われた結果、エリコの城壁の崩壊は紀元前3000年紀の出来事であることが実証されており、ヨシュアたちがエリコに来たときには、エリコはすでに廃墟になっていたことが判明している。したがって、ヨシュア記6章に記されているエリコの陥落物語は歴史的事実ではなく、原因譚として後から(2〜7章の物語が)創作されたと考えられる。 また、10章に記されている太陽と月の停止は、カナンの民間説話がもとになっていると考えられる。

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旧約聖書の謎 - 隠されたメッセージ』 長谷川修一/著 中公新書 2014年発行
エリコの征服 (一部抜粋しています)
祭司たちが足を踏み入れたヨルダン川は「春の刈り入れの時期で、ヨルダン川の水は堤を越えんばかりに満ちていた」が(3章15節)、「箱を担ぐ祭司たちの足が水際に浸ると、川上から流れてくる水は、はるか遠くのファレタンの隣町アダムで壁のように経った」(3章15-16節)。こうして祭司たちが川の真ん中の川床に立ち止まっている間に、イスラエルの民全員がエリコに向かってヨルダン川を渡り終えたのである。
民が渡り終えた後、祭司たちが川から上がると、「彼らの足の乾いた土を踏んだとき、ヨルダン川の流れは元どおりになり、以前のように堤を越えんばかりに流れた」(4章18節)。
こうして人々はヨシュアが確かにモーセの後継者であることを認め、ヨシュアを敬うようになったのである。
イスラエル人たちが渡ったヨルダン川の対岸には、エリコという町があった。
エリコは聖書の中で「なつめやしの茂る町」と呼ばれる町で、死海の北西部に位置している。ヨルダン渓谷の中では数少ないオアシス都市である。年中温暖な気候で、ここに人が住み始めたのは新石器時代にさかのぼる。今でもエリコに住むパレスチナ人は、エリコを「世界最古の町」と呼んで誇りにしている。
ヨシュアたちはこの町を占領したのである。占領の仕方もやはり奇跡的であった。ヨシュア記の6章はこの様子を次のように描いている。
イスラエル人がヨルダン川を渡って攻めてくることを知ったエリコの住民は、町の城壁の内側に閉じこもり、イスラエル人の攻撃に備えた。これに対してヨシュアは神の命令に従い、1日一度ずつ6日間にわたって、民の城壁の周りをまわるように命じる。
角笛を吹く7人の祭司以外の民に、ヨシュアは、城壁の周りを回る間「わたしが鬨(とき)の声をあげよと命じる日までは、叫んではならない。声を聞かれないようにせよ。口から言葉を発してはならない」と命じる(6章10節)。
そして7日目、民が七度町の周りを回ったとき、祭司が角笛を鳴らし、民が鬨の声を上げると、なんと町の障壁が崩れ落ち、そこに侵入したイスラエルの人々によってエリコの住民は滅ばされてしまったのである。
この物語は、これに続くカナン地方一帯の征服の先駆けとして、またその奇跡的な勝利の仕方で、非常に有名な物語である。
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1990年代になると、ヨシュア記の征服物語の描写が、アッシリアの王碑文に描かれる征服の描写と多くの点で類似していることが指摘されるようになった。
こうした理由から、ヨシュア記は、イスラエルアッシリアの影響を色濃く受けるようになった紀元前以降になって、アッシリア碑文の征服の描写に誘発されて書かれたものである、と一部の研究者たちは考えている。
このことは、それらの物語の背後に実際の事件がまったくなかったことを意味してはいない。しかし、多くの誇張表現や物語に内在する矛盾を考え併せると、ヨシュア記の物語がそもそも歴史を正確に描くことを主眼に置いていないことがわかる。