じじぃの「科学・芸術_934_ウェールズ・アーサー王伝説」

Is there any truth to the King Arthur legends? - Alan Lupack

動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=RBsY88Lir-A

The legend of King Arthur

ウェールズを知るための60章 吉賀憲夫(編著) 発行:明石書店

英国を構成する4つの「国」の1つウェールズ。最も早くイングランドに併合されたが独自性を保ち続け、英語と全く異なるウェールズ語を話せる若者も少なくない。アーサー王伝説のルーツを持ち、海苔を食すなど日本との意外な共通点もあるウェールズを生き生きと紹介する。
Ⅱ 歴史
第11章 サクソン人との戦い――アーサー王伝説の原点
https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784750348650

ウェールズを知るための60章』

吉賀憲夫/編著 赤石書店 2019年発行

サクソン人との戦い――アーサー王伝説の原点 より

ブリトン人とサクソン人との間に戦いが起き、2世紀にわたって続いた。平和に慣れていたブリトン人はサクソン人に歯が立たず、敗退を繰り返し、西へ西へと追い詰められた。この間、ウェールズの将来に関わる比重に重要な戦いがいくつかあったが、いずれもブリトン人の大敗であった。577年の南グロスターシャーのディラムの戦いでは、グロスターがサムソン人の手に落ち、ウェールズは南西イングランドブリトン人との交流を断たれてしまう。600年頃には、エディンバラの近くにあったブリトン人の小国ゴドジンの精鋭300騎がアングロ・サクソンの国ディラに進撃したが、北ヨークシャーのカテリックで1騎を残して全滅した。詩人アネイリンはこの悲劇から挽歌「ゴドジン」を作った。面白いことにこの挽歌の一節には、ある死者の武勇を称えた後、「しかし彼はアーサーではなかった」という語句が出てくる。これがオリジナルであれば、アーサー王に言及した最初の文献となるのだが、後世に書き加えられた可能性が高い。615年または616年のチェスターの戦いでの完敗により、ウェールズと北ブリトン人との交通や、分化の交流も遮断されることになった。
この他にアーサー王伝説に関わる12の戦いがあったという。負け続きのブリテン軍にアーサーと呼ばれる戦闘隊長が現れ、ベイドン山の戦いでサクソン軍を完膚無きまで打ち破り、その痛手でその後50年間サクソン人は進撃を停止したと言われている。この勝利をもたらした戦闘隊長アーサーとは誰なのか? アーサー王伝説の幕開けである。
アーサー王伝説と関連する出来事が記載されている史料といえば、まず最初に6世紀のブリトン人修道士ギルダスにより、540年代に書かれたという『ブリタニアの滅亡と征服』がある。彼はアーサーと同世代人で、ベイドン山の戦いと同じ年に生まれたという。この史書では、アンブロシウス・アウレリアヌスが戦闘を指揮し、サクソン人に勝利したとある。また、5世紀末から6世紀初頭に起きたと考えられているベイドン山の戦いに関する初めての記述があるが、アーサーという名はそこにはない。
次の史料は9世紀のウェールズ人修道士ネンニウスの作とされる『ブリトン人の歴史』である。ここにはアーサーの戦歴が書かれている。しかしここで最も重要なのは、アーサーの地位や身分が記されていることである。そこには、アーサーはブリトン人の王とともにサクソン人と戦ったが、アーサーは王ではなく、戦闘隊長であったことが明記されている。その他、アーサーがサクソン人と12回にわたる戦いを繰り広げそのすべてに勝利し、最後のベイドン山の戦いではアーサーが一度の攻撃で960人を斃(たお)したことが記されている。10世紀中頃にまとめられたウェールズ(カンブリア)史の年表『カンブリア年代記』では、72年のベイドン山の戦いでアーサーが三日三晩キリストの十字架を両肩で運び、ブリトン人が勝利した、とある。
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1136年にジェフリー・オブ・モンモスが『ブリタニア列王史』をラテン語で書き、ここで初めてアーサー王の生涯が描かれた。アーサーの誕生の秘密、魔法使いのマーリンのこと、そしてブリテンの王となったアーサーがサクソン人やピクト人を撃破したことが語られる。彼はローマ領であったガリアを征服し、ローマに進軍しようとしていたとき、甥モードレッドの反乱の報に接しブリテン島に戻る。彼はモードレッドを破るも、自らも深手を負い、小舟でアヴァロンの島に運ばれていく。
この『ブリタニア列王史』が後世に与えた影響は大きかった。この本は各国語に翻訳され、アーサーの物語はヨーロッパ中に広まった。この物語はフランスで主にクレチィアン・ド・トロワの手によってロマンス的要素が加味された。物語に宮廷風恋愛や聖杯探求のテーマが加わることにより、アーサー王物語は中世の偉大な文学の一角を占めるようになったのである。