じじぃの「科学・芸術_120_琉球方言」

昇龍祭太鼓 ( ミルクムナリ ) in 沖縄めんそーれフェスタ 2011 動画 YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=tcll21OwaSs
原日本語 (keio.ac.jp/~rhotta HPより)

#1031.現代日本語の方言区分 2012-02-22  hellog〜英語史ブログ
イングランド同様に国土が狭いとされる日本の方言状況を顧みれば,よく理解できる.以下は,佐藤 (167) の方言区画図を再現したものである。
http://user.keio.ac.jp/~rhotta/hellog/2012-02-22-1.html
世界!ニッポン行きたい人応援団 テレビ東京
アルゼンチン・ラプラタの盆おどりで出会った10歳のデニッセちゃんはニッポンの「琉球舞踊」が大好き。
沖縄独自の伝統芸能である琉球舞踊のしなやかな動きが好きなんだそう。
デニッセちゃんは琉球舞踊を5年間習っており、夢は「沖縄の人と一緒に沖縄舞踊の踊ること」。 そんなデニッセちゃんをニッポンへご招待!
琉球舞踊は沖縄独自の伝統芸能重要無形文化財
日本好きのきっかけは日系企業で働いていた母のパウラさん。その影響でデニッセちゃんも日本が大好きに。5年前に日亜学院に入学。その学校を案内。現在は日系人約3、非日系人約7割。
アルゼンチンと沖縄には深いつながりがある。日系移民の約7割が沖縄出身者と末裔。現在沖縄関連の組織が40以上あり、沖縄文化が浸透している。
http://www.tv-tokyo.co.jp/nipponikitaihito/backnumber/
『沖縄修学旅行』 新崎盛暉、村上有慶、目崎茂和、梅田正己、仲地哲夫/著 高文研 2005年発行
沖縄のことば (一部抜粋しています)
沖縄の子どものなぞなぞ遊びに、こういうのがある。
 チッチン チラランセー ヌーヤガ?
共通語になおすと、こうなる。「切っても、切れないもの、なあに?」。答えは水だ。もう一つ。
 アッチン アッチン ウーティチューセー ヌーヤガ?
共通語になおすと、「歩いても、歩いても、追いかけてくるもの、なあに?」。答えは「影法師」。
琉球方言を知らない人が「チッチン チラランセー」と聞いてもわからない。まるで外国語に聞こえる。
しかし、琉球方言は、まぎれもなく日本語の一方言だ。
図(画像参照)で示すと、次のようになる。
     ・
このような琉球方言が、九州から南の島じまにひろがっていったのは、外間守善先生(国語学)の説では、2、3世紀から6、7世紀にかけてだろうという。しかし現在のようなことばの形がすぐできたわけではなく、琉球語が「方言化への傾斜」を深めだしたのは11、12世紀になってからのことらしい(『沖縄の歴史と文化』中公新書)。つまり、『源氏物語』や『枕草子』の時代までは、琉球方言も本土方言も、さして変わりはなかったのだ。
外間先生の本に、おもしろい例が出ている。「坂」のことを、琉球方言では「ヒラ」という。語源をたどると、『古事記』に「黄泉平坂(この世とあの世「黄泉の国」の境にあるという坂)ということばが出てくるように、日本古語では「坂」のことを「ヒラサカ」といっていた。その下半分が本土方言に残り、上半分の「ヒラ」が琉球方言に生き残っているというわけだ。
同様の例に、平安時代の「アカリソウジ(明かり障子)」がある。本土では下半分の「ショウジ(障子)」が残り、琉球では上半分の「アカイ(明かり)」が障子をさすことばとして残った。
この例もそうだが、琉球方言がたいへん興味深いのは、そこから日本古語の姿が浮かんでくることだ。
たとえば、日本語のハ行音の変換をたどると、奈良時代の「パ」から、平安時代には「ファ」となり、江戸時代になって現代と同じ「ハ」となる。ところが、この3つともが、いま現在の沖縄本島方言の中で話されているというのだ。すなわち、「はな(鼻)」のことをどう呼んでいるかというと――北部の名護や今帰仁一帯で「パナー」、恩納村の谷茶で「ファナ」、そして那覇で「ハナ」というぐあいだ。
この例を紹介したあと、国語学者の中本智先生はこう述べている(『沖縄風物誌』大修館所収「風土とことば」)。
「中央語で奈良時代から現在まで千数百年かかって変化したすべての段階の形が、今、沖縄本島内で話されているということになるのだが、これは驚くべき事実ではないか」